「人間にしかできない仕事」とは、結局何なのだろうか。生成AIが文章を書き、考え、会話まで担うようになった今、この問いは以前にも増して身近になっている。一方、仕事の現場では、相手の表情や言葉の裏にある思いをくみ取り、自らの感情を調整しながら応対する「感情労働」の価値と負荷も、改めて可視化されつつある。

接客や営業、医療・介護、カスタマーサポートだけではない。従業員の相談に耳を傾け、管理職との間を調整し、人と組織をつなぐ人事もまた、感情労働の担い手だ。1on1、キャリア面談、ハラスメント相談、休復職支援、組織変革の推進など、人事の仕事には、制度やデータだけでは扱い切れない「見えない心」と向き合う場面が少なくない。その一方で、相手の不安や不満、時には怒りを受け止めながら、冷静で適切な対応を求められる負荷を、個人の忍耐や経験、「コミュニケーション力」だけに委ねることには限界がある。

本書は、脳科学者であり、自意識と感情を専門とする恩蔵絢子氏が、社会学者アーリー・ラッセル・ホックシールドの「感情労働」の概念を脳科学の視点から読み解く一冊だ。他者の心をどのように推しはかるのか、SNS環境は感情にどのような影響を及ぼすのか、AIと人間は何が異なるのか。さらに、感情的知性を個人の対人スキルにとどめず、チームの成果や集団的知性との関係からも論じている。

AIの活用が進むほど、相手の状況や文脈を理解し、関係性を築く力への期待は高まるだろう。しかし、それは人が感情的な負荷を引き受け続けるべきだということではない。本書では、感情を扱う力を「抑える技術」ではなく、「気づき、理解し、適切に扱う力」として捉え直している。感情的知性を測る33項目の自己チェックも収録されており、他者への向き合い方だけでなく、自分自身がどのように感情を捉え、扱っているのかを振り返ることができる。

感情を扱う仕事を専門性として認め、その負荷を可視化し、組織として支えること。そして、人の感情を支える仕事を、別の誰かの見えにくい負荷や忍耐に置き換えないこと。AI時代に人間ならではの価値が問い直される今、本書は、感情を「抑えるべきもの」ではなく、他者を理解し、自分を守り、チームと組織の力につなげるものとして捉え直すための視点を与えてくれる。

【書籍基本情報】
『感情労働の未来 脳はなぜ他者の“見えない心”を推しはかるのか』
著者:恩蔵 絢子
発行:河出書房新社
発売日:2025年10月17日
『感情労働の未来:脳はなぜ他者の“見えない心”を推しはかるのか』恩蔵 絢子 (著) (河出書房新社)

▼内容紹介

AI時代、人間が持つ最大の能力は、感情になる! 感情を抑圧し“他者にあわせる“ストレスフルな現代から、“他者を理解する“感情的知性の未来へ。人間の可能性に話題の脳科学者が迫る。

介護職・看護職・サービス業の人も必読!

この本では脳科学から感情労働を見直していく。そして現代に特有の感情労働についても分析してみたい。私たちはインターネットやS N Sの登場でリアルではつながりのない人とつながれるようになった。さまざまな人の感じ方や意見や態度にさらされて、自分の感情の使い方はどんな影響を受けているのだろうか?
さらに人工知能とも比較して、人間とはどのような存在なのか改めて考えてみよう。きっと私たちの価値は感情にあることがわかってくるだろう。
(出版社ホームページより)

▼目次

はじめに 感情労働に疲れきった人たちへ

1 感情を脳科学から考える
感情とは何か?
感情が動いた出来事は、鮮やかに覚えている
初めてのことには、脳の全てが本気になる
感情の二つの経路
意思決定は感情が行う
道徳的判断は、理性ではなく感情が司る?
感情は頼れる一つの生き物

2 感情労働のはじまり
感情が商品になる時
金の取り立ても感情労働
表層演技と深層演技
感情の抑制と認知的再評価
脳は無意識のうちに他者に合わせる?
感情労働と感情作業は、同じ脳活動

3 脳はどのようにして人の心を理解するのか?
人の気持ちを考えて、自分の感情を表出する
AIは感情労働が苦手?
AIエフェクトと言語
感情労働の能力が高い人がいるチームは、成果をあげる
集団的知性――トランザクティブ・メモリー(交換記憶)
集団的知性を築く――インストルメンタル・コンバージェンス(道具的目標収束)
「共感する」だけでは、人を理解できない
「好き」を扱う脳の回路と「欲しい」を扱う脳の回路

4 脳の進化と感情労働
脳は、外套をかけるための釘?
脳は、意識にのぼらせる情報を極力絞り込んでいる
アテンション・エコノミー
人間の脳の中で最後に発達する、人の心を理解する「社会脳」
言語だけで人の心は理解できる?
人間の脳の大きさは、人付き合いのために進化した
ChatGPTは、他者の心を推測できる?
人間の言語は、身体の感覚情報から生まれる
大規模言語モデルと人間

5 SNSは、感情労働の最前線?
見えにくい心を見えるように「加工する」
SNSの脳への影響
思春期は、脳の成長の過渡期
大人とSNS
噓に投資する脳
脳は、現実とフィクションをどのように区別するか?
ヴァーチャル――噓・本当を超えて、私たちに作用するもの
なぜ脳は、フィクションを必要とするか?
モノ化する自己
日本人は他者を「助けない」

6 未来の感情労働
あなたは感情的知性が高い?――33の自己チェック
感情の欠点
大脳新皮質が感情の手入れをする
「気づき」が最も重要
感情的知性を、自分にも発揮する
自分の無意識の一部を把握できると、人は幸福になる
感情表現と認知的柔軟性を高める
IQからEQへ
おわりに 感情労働の豊かな可能性

【恩蔵 絢子(おんぞう・あやこ)】

1979年、神奈川県生まれ。脳科学者。専門は自意識と感情。2002年、上智大学理工学部物理学科卒業。07年、東京工業大学大学院総合理工学研究科知能システム科学専攻博士課程修了(学術博士) 。現在、東京大学大学院総合文化研究科特任研究員。金城学院大学・早稲田大学・日本女子大学非常勤講師。

著書に『脳科学者の母が、認知症になる』、共著に『なぜ、認知症の人は家に帰りたがるのか』『認知症介護のリアル』、訳書にアンナ・レンブケ著『ドーパミン中毒』などがある。

2023年に放映されたNHKスペシャル「認知症の母と脳科学者の私」は、大きな反響を呼んだ。

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