建材大手のYKK APは2025年10月、新たな人事戦略「Architect HR」を策定した。窓やドアという「環境を設計する製品」を作る企業が、組織作りにも建築の思想を取り入れる。その根底にあるのは、YKK精神「善の巡環」を「組織を動かすメカニズム」として捉え直す視点である。
今回、同社専務執行役員CHRO 兼 人事戦略本部長 西田 政之氏と、株式会社プラスアルファ・コンサルティング 取締役副社長 鈴村賢治氏の対談を企画。自律型組織を支える土壌作り、データ活用の本質、CHROに求められる「思想」について議論を深めた。(以下敬称略)
【プロフィール】

■西田 政之氏
1987年に金融分野からキャリアをスタート。1993年米国社費留学を経て、内外の投資会社でファンドマネージャー、金融法人営業、事業開発担当ディレクター等を経験。2004年に人事コンサルティング会社マーサーへ転じたのを機に、人事・経営分野へキャリアを転換。2006年に同社取締役クライアントサービス代表を経て、2013年同社取締役COOに就任。その後、2015年にライフネット生命保険株式会社へ移籍し、同社取締役副社長兼CHROに就任。2021年6月に株式会社カインズへ転じ、執行役員CHRO兼CAINZアカデミア学長に就任。2023年に株式会社ブレインパッド常務執行役員CHROを経て、2025年6月より現職。一般社団法人うらほろ樂舎顧問。HRアワード2025 企業人事部門 最優秀個人賞受賞
YKK AP株式会社
専務執行役員CHRO 兼 人事戦略本部長

■鈴村 賢治氏
中央大学理工学部卒業後、株式会社野村総合研究所に入社。システムエンジニアとしてキャリアをスタートし、その後、テキストマイニングやデータマイニングなどの分析コンサルティングを多数経験。2007年、株式会社プラスアルファ・コンサルティングに入社し、取締役副社長に就任。データ活用の知見を活かしたタレントマネジメントシステム「タレントパレット」事業を立ち上げ、社員のパフォーマンスを最大化する「科学的人事」を考案。その方法論の確立と啓蒙活動に尽力している。
株式会社プラスアルファ・コンサルティング
取締役副社長

自律は孤立ではない――個が育つ土壌をどう設計するか
鈴村 西田様は数々の企業でCHROを歴任され、2025年6月にYKK APのCHROに就任されました。その後、新たな人事戦略「Architect HR」を策定されました。まずは、現在取り組まれている全体像についてお聞かせください。
鈴村 理念としてだけでなく、組織を動かすメカニズムとして捉えるという視点は、非常に興味深いです。
西田 私はよく、組織を森に例えます。森の樹木は一本一本が自立して立っているように見えます。しかし、土の中では菌根菌のネットワークが樹木同士をつなぎ、栄養を分け合い、危険を知らせ合っています。互いに支え合う関係があるからこそ、森全体が健やかに育まれるのです。まさに「善の巡環」が意味する、他人の利益を図らずして自らの繁栄はないという考え方に通じます。YKK創業者の吉田忠雄が直感的に掴んでいた真理を、生命科学が別の角度から裏付けているようにも見えます。
もう1つ、当社には「更なるCORPORATE VALUEを求めて」という経営理念があります。その根底にあるのは「公正」です。判断基準の土台に公正を置く姿勢は、評価や意思決定の可視化にもつながります。
鈴村 既に社内に深く浸透している理念を、あえてこのタイミングで人事戦略として再設計しようとされています。その背景には、どのような課題認識があったのでしょうか。
西田 組織が内向きになりやすいという構造的な課題です。かつては機能した仕組みでも、その延長だけで大きな飛躍を生むのは難しいでしょう。経営もその課題を認識し、組織に新しい視点を入れようとしていたはずです。私が招かれたのも、その一環だと考えています。
新しい制度を導入するだけでは、構造は変わりません。当社は製造業であり、工場の製造ラインで汗を流す社員もいます。日々の業務をやり切ることが最優先となる現場に、抽象的な言葉だけではなかなか伝わりません。現場まで含めて設計するには、社員が既に共有している言葉から始める必要があります。「善の巡環」を起点にしたのは、そのためです。
鈴村 その普遍的な真理を、具体的な人事の実務にはどのように落とし込んでいかれるのでしょうか。
西田 自律的キャリアは「個人が自分一人で立つこと」だと誤解されがちです。本当の自律は、孤立とは異なります。豊かな関係性の網の目の中にいるからこそ、安心して自分の意思を示すことができます。当社が設計すべきものは、個人の能力開発を目的とした制度にとどまりません。個が育つ土壌であり、それを支える菌糸のネットワークです。
個人的な活動として、北海道の浦幌町でのリーダー開発プログラムに参画していますが、そのコンテンツの中で、不耕起栽培の農家の方々と関わっています。耕し続け、化学肥料を与え続けた畑は、土中の微生物のエコシステムが壊れ、自らの再生能力を失っていくそうです。人材育成も同じで、人事が必要以上に手を加え過ぎると、社員が自ら考え、成長する余地を狭めてしまうこともあります。重要なのは、自ら育つ環境を整えることです。
制度から構造設計へ――「Architect HR」5つの柱に込めた人事の思想

西田 人事の仕事は管理ではなく設計だと捉えています。当社は、窓やドアという環境を設計する製品を作っており、社名の「AP」はArchitectural Products、建築用工業製品を意味します。組織でも環境設計を志向することに、YKK APらしい必然性があると受け止めました。建築家は、そこで暮らす人を直接コントロールできません。それでも、光の入る角度や動線、風の通り道を設計することで、生活の質に大きく貢献できます。人事も同じです。
鈴村 具体的には、5つの基本戦略で構成されているとお伺いしています。
西田 はい。1つ目はファウンデーション、基盤です。価値観や人材マネジメントの哲学にあたります。2つ目はフレームワーク、構造です。等級や役割、評価、キャリアの骨格を指します。3つ目はマテリアルズ、素材です。一人ひとりの個性、スキル、経験が、組織を形づくる素材になります。4つ目はコネクションズ、接続です。人と人、組織と組織、内と外をつなぐ関係性のネットワークであり、先ほど申し上げた菌根菌のネットワークにも通じます。5つ目はトランスペアレンシー、透明性です。建物でいえば窓にあたります。評価や意思決定のプロセスを可視化することで、組織の中に信頼の文化を醸成していきます。

西田 「窓」を非常に重視しています。窓は壁に穴を開けるため、構造上は弱点にもなりますが、光や風を取り込み、外とつながるために欠かせません。評価や配置、意思決定がどのような論理で行われているのかが見えない場所では、安心して意思を示すことが難しくなります。
鈴村 単にすべてを開示すれば良いというわけではないのですね。
西田 窓は、熱や音、視線を遮る役割も担います。何を通し、何を遮るのかを見極めることが重要です。組織も、すべてを見せれば良いわけではありません。何を、どこまで、どのように可視化するのか。そこに設計思想が表れます。
鈴村 非常に示唆に富みます。人事を「制度」ではなく「構造」で語る企業様はなかなかありません。メーカーとしてのものづくりの思想を、人事の領域に見事に接続されていると感じます。
西田 美しく整理された資料として人事戦略を示しても、社員に浸透しないという話はよく聞きます。理由は単純で、社員の日常と乖離しているからです。これまで着任した会社でも、流行している人事制度や他社の成功モデルを、そのまま移植することはしてきませんでした。組織の成熟度、事業の特性、歴史や文化によって、必要な人事の形は異なるからです。その会社の中に既に埋まっている言葉を掘り起こし、事業や文化と結びつけながら、その会社に合った人事戦略へ編集することを大切にしてきました。建材メーカーであるYKK APでは、その象徴的な言葉が「Architect」でした。
人事戦略は、発表する側が理解しているだけでは、なかなか浸透しません。社員が、自分の言葉として語り、次の人、そのまた次の人へ説明できるかどうかが大事です。建築のプロセスに重ねられれば、社員も自分の言葉で語りやすくなります。
協力:株式会社プラスアルファ・コンサルティング
この後、下記のトピックが続きます。
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●自律と挑戦を促す、心理的安全性の一歩先にある「心理的余裕」
●数字で裁かず対話の起点にするデータ活用と独自指標「KHI」
●流行に流されず自社独自の哲学を仕組みへ落とし込むCHROの役割
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