私たちは日々の暮らしの中で、「もっと頑張らなければ」、「弱音を吐いてはいけない」と、自分を励ましながら生きている。学生なら成績や進路、社会人なら仕事の成果や人間関係、家庭では家族への責任などをメルクマークにしながら、である。結果、どの場面でも、きちんと役割を果たし、周囲に迷惑をかけず、期待に応えることが求められているように感じることが多く、心や身体が疲れていても、「まだ大丈夫」、「これくらいで休んではいけない」と無理を重ねてしまう人は少なくない。

「頑張りすぎ社員」の休職・離職を防ぐには? 重要なのは「折れない強さ」よりも「しなやかな回復力」を育む周囲のサポート

頑張りすぎるのは人間の性(さが)

しかし、医療の現場で心の不調に向き合っている人たちと話をしていると、問題は「頑張りが足りないこと」よりも、「頑張りすぎていること」にある場合が多いように感じる。気分の落ち込み、不眠、食欲低下、頭痛、動悸、胃腸の不調、朝起きられない、――こうした症状は、こころの弱さではなく、心身が限界に近づいているサインかもしれない。

にもかかわらず、多くの人はそこでさらに自分を叱咤し、「周りもつらいのだから、自分だけ休むわけにはいかない」と考えてしまうのである。

「折れない強さ」よりも「しなやかさ」を

けれども、心の健康を守るうえで本当に大切なのは、「折れない強さ」だけではない。むしろ必要なのは、負荷がかかったときに少し形を変え、力の向きを調整し、自分を壊さずに持ちこたえるしなやかさである。

強さは、ともすると「耐えること」と同じ意味で使われがちだが、しなやかさは「耐えること」に加えて、「避ける」、「休む」、「頼る」、「環境を変える」といった選択を含んでいる。医療やメンタルヘルスの観点から見れば、こちらのほうがはるかに現実的で、持続可能な生き方と言えなくもない。

実際、人の心は身体と同じで、使い続ければ疲れる。眠れない状態が続けば判断力は落ちるし、緊張が長引けば自律神経は乱れ、気力も回復しにくくなる。まじめで責任感の強い人ほど、自分の不調を後回しにしやすいが、疲労を放置した結果、うつ病や適応障害、不安障害などへ進んでしまうこともある。早めに立ち止まることは、決して甘えではない。むしろ、深刻化を防ぐための大切な自己管理である。

置かれた環境を振り返ってみよう

また、心の不調は、本人の性格だけで説明できるものでもない。同じ人でも、置かれた環境によって大きく変わる。

忙しさが過剰な職場、否定的な人間関係、休みにくい空気、失敗を許さない組織文化の中では、どれほど能力のある人でも消耗する。反対に、自分の特性に合った役割や、安心して相談できる人がいる環境では、同じ人が驚くほど安定して力を発揮できることもある。

つまり、「つらいのは自分が弱いからだ」と決めつける前に、「いまの環境は自分に合っているか」と考えてみることが重要なのである。

人生に必要なしなやかな回復力

しなやかさとは、何も器用に生きることではない。無理なものを無理と認めること、助けを求めること、休息を予定に入れること、比較しすぎないこと、治療や相談につながるようにすること。そうした一つひとつの行動が、心を守る力になる。家族や職場の周囲の人にとっても、「頑張れ」と励ますだけでなく、「少し休んでいい」、「一緒に相談先を探そう」と声をかけることが支えになるのである。

もし、気分の落ち込みや不眠、強い不安、涙もろさ、集中困難、食欲の変化などが続いているなら、一人で抱え込まず、かかりつけ医や心療内科、精神科、地域の相談窓口に相談してほしい。早めの受診や相談は、回復への近道になることが多い。

人生や仕事を支えるのは、ただ我慢し続ける力ではない。揺れながらも立て直し、自分に合う形を探し直す力である。強くあろうとするあまり壊れてしまうより、少ししなって、また戻ってこられる心のあり方を育てたい。メンタルヘルスにおいて目指すべきなのは、誰にも負けない強さではなく、長く健やかに生きるための、しなやかな回復力なのである。

雑草を見習おう

道端や公園でよく見かける雑草のオオバコは、人に踏まれるような場所に根を張る。踏まれても平気なほど強いわけではない。他の植物との競争が苦手で、背の高い草花に囲まれては生きづらいため、あえてライバルの少ない場所を選んでいるのである。そこには、「勝てる場所で勝負する」というより、「生き延びられる場所を見つける」という知恵がある。

また、オオバコのような雑草は、桜のような花を咲かせようとはしないし、大木と高さを競おうともしない。踏まれてもなお生きる雑草の力は、単なる我慢強さではない。環境を見極め、自分に合った形へと姿を変える、これもしなやかな回復力である。
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