
「過剰なホワイトカラー」を減らす――
銀行の決断は時代を先取りした「英断」
日本のホワイトカラー神話には根の深い歴史的背景がある。第二次世界大戦後の高度経済成長期から「良い大学を出て、良い企業に就職する」という命題のゴールは、冷暖房の効いたオフィスでホワイトカラーとなり、定年退職までの安泰な切符を手に入れるということだった。親は子にそれを望み、子も素直にそれを目指した。結果として、日本の組織は実務を伴わない「管理のための管理」を行う人間で溢れかえることになる。
筆者がかつて県庁に身を置いていた時代にも、まさにこの「頭でっかち組織」の縮図を目の当たりにした。組織のあちこちに、実質的には書類にハンコを押すだけの「窓際ポジション」の職員が少なからず存在していた。
現場の最前線で政策立案や議会対応に追われる職員を横目に、座っているだけで高い給与をもらっている彼らを見て、「これで組織が回るのか」と割り切れない思いを抱いたことは一度や二度ではない。そしてこの構図は、行政に限らず、多くの日本企業でも似たり寄ったりであったはずだ。
こうした「働かない窓際族」や「過剰なホワイトカラー」の存在が、日本の生産性を引き下げてきたことは周知の事実である。2024年度のOECDの調査によれば、日本の労働生産性は加盟39ヵ国中29位。主要先進7ヵ国の中では最下位が定位置となっている。現場の足を引っ張る「本部のホワイトカラー」が多すぎることが、生産性停滞の主因の一つであることは自明だ。その点からも、冒頭の銀行の決断は、時代を先取りした「英断」であると評価できる。
行き場を失った「元ホワイトカラー」はどうなる?
しかし、ここで一つの疑問が生じる。本部から現場へ押し出された元ホワイトカラー、あるいはこれから行き場を失うビジネスパーソンは、一体どうなってしまうのか。この問いに対しては、経営共創基盤グループ会長の冨山和彦氏が日経新聞で明確な未来図を示している。冨山氏は「生成AIの普及でホワイトカラーが消滅するのは歴史的な必然だ」と言い切り、会社組織には経営判断を下すボスしか残らず、中間管理職を含むホワイトカラーの8〜9割は不要になると指摘する。その上で、余ったホワイトカラーは地域のエッセンシャル職(医療・介護、物流、交通、小売・サービスなど、社会維持に不可欠な現場職)に転換すべきだと述べている。
そこで誰もが懸念するのが、「現場職になれば、給与が下がってしまうのではないか」という点だ。だからこそ、冨山氏が提唱する「アドバンスト・エッセンシャルワーカー」という概念の解釈が極めて重要になる。
テクノロジーと知恵で生産性を上げる「アドバンスト・エッセンシャルワーカー」へ
この言葉は、単に「机にかじりついていた人を、そのまま肉体労働の現場に回す」という意味ではない。本質は、「かつて本部で培った企画力、データ分析力、問題解決能力、そして生成AIなどの最新デジタルツールを『現場の最前線』に直接投入し、現場の生産性を劇的に変革する人材」への進化を意味する。例えば、介護や物流の現場に、ITスキルと経営的視点を持った元ホワイトカラーを参入させたとしよう。彼らが生成AIやロボティクスを駆使して業務フローを徹底的に効率化し、少ない人数で従来の何倍もの成果を上げる仕組みを構築すれば、その現場の付加価値は跳ね上がる。生産性が上がれば、当然、賃金を高く設定することが可能になる。
つまり、従来の「きつくて低賃金」というエッセンシャルワーカーのイメージを、テクノロジーと知恵で覆す「高度専門職」へと転換することこそが、アドバンスト・エッセンシャルワーカーなのである。
「アドバンスト人材」への変革は日本の生産性向上と雇用の未来を占う
大手銀行の試みは、まさにこの転換の第一歩を意味する。本部から現場へ移る2,000人が、単に「昔の名前で出ています」と過去のプライドに縋ったままにさせるのか、あるいはデジタルを武器に顧客との接点で新たな価値を創出する「アドバンスト人材」に化けさせるのか。彼らを使ったある意味での実証実験の成否は、日本の生産性向上と雇用の未来を占う試金石となるに違いない。ホワイトカラーという「悠々自適の切符」の有効期限は疾の昔に切れた。会社と社員は今、ハンコを押すだけの仕事を捨て、最前線の現場をテクノロジーで武装させる「高度な実務者」へと生まれ変わる覚悟を問われている。
●朝日新聞:りそな、社員2千人を再配置へ「AI導入だけでは差別化できない」(2025年12月2日)
●日本経済新聞:「余るホワイトカラー、地域のエッセンシャル職に転換を」(2025年12月3日)
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