独立行政法人 労働政策研究・研修機構(JILPT)等の調査から、入社1年未満の早期離職理由を、入社前の期待と入社後の現実のギャップ、
いわゆるリアリティ・ショック(Reality Shock:RS)という視点から整理すると、「仕事が自分に合わない(やりがい・有能感)」「人間関係がよくない(組織)」等が上位を占めます。特に「採用条件と職場の環境が違った」という回答が早期離職層で顕著に高い事実は、採用段階の情報提供の不備を裏付けていると考えられます。ここで注目すべきは、日本企業における職場への適応には「ワークプレイス・オンボーディング(職場でのなじませ)」が決定的な影響を持つという点です。若手社員の組織適応を専門とする甲南大学教授の尾形真実哉氏は、
配属現場での上司や先輩からの「役割情報の提供」や「社会的支援」の成否が、RSの深刻化を左右すると指摘しています。
つまり、統計上の「人間関係」という離職理由は、現場の「なじませる力」の機能不全の裏返しであると言えます。
こうしたオンボーディング施策は、新入社員の心理や行動にいくつかの効果をもたらします。主なメカニズムを整理すると、次のようになります。採用時のミスマッチを防ぐ『現実的職務予告(RJP)』(※)理論を提唱したアメリカの産業心理学者ジョン・ワナウス氏らが示す通り、採用時に「ワクチンの接種」を行い、期待値を現実的なレベルに設定し直すことも人材定着(リテンション)の第一歩となります。
(※)採用選考において、企業が求職者に対して仕事のポジティブな情報とネガティブ情報等の「ありのまま」の情報を伝える。
実際、研修や相談の現場でも、
「人間関係が合わない」という言葉の背景を丁寧にたどっていくと、必ずしも対人関係そのものが問題なのではなく、職場にうまく入り込めない構造的な孤立が見えてくるケースが少なくありません。私が関わった企業でも、同様のケースがありました。新入社員が「人間関係が合わない」と退職を希望したため詳しく話を聞くと、実際には人間関係そのものというより、
「誰に何を聞けばよいのかわからない」という孤立感が原因でした。
実は、このような孤立感は特別なケースではありません。私自身も、途中から組織に参画した際に、既存メンバーだけが共有している前提知識や言葉の中で会議が進み、議論に参加できない経験をしたことがあります。周囲に悪意があったわけではありませんが、「誰に何を聞けばよいのか」が分からない状態は次第に疎外感を生み、発言や関与を控えるようになってしまいました。
この経験からも、
組織が新しく入った人を「なじませる設計」を持つことの重要性を強く感じています。
こうした孤立感を防ぐためには、
「誰に何を相談すればよいのか」というルートを組織側が明確にしておくとともに、定期的な対話の機会を設けることが重要です。
例えば、業務マニュアルの場所を伝えるだけでなく、「このツールの使い方はAさん」、「この顧客の経緯はBさん」といった形で、社内の“知恵の在処”を可視化した「情報アクセスマップ」を共有するだけでも、新入社員の心理的負担は大きく軽減されます。いわば、
組織の中で「困ったときに誰を頼ればよいのか」を見える形にしておく仕組みです。これは単なる情報提供ではなく、新しく入った人が周囲に声をかけるための「正当な理由」を組織側が用意する支援でもあります。
そこで、上司と先輩が質問ルートを明確にし、週1回の短い対話の機会を設けたところ、数ヵ月で職場への適応感が大きく改善したという事例があります。新人の適応を「本人の努力」や「コミュニケーション能力」に委ねてしまうと、組織側の構造的な課題が見えにくくなります。
しかし実際には、新入社員が組織に適応していく過程は、個人の努力だけで成立するものではありません。職場がどのように情報を共有し、どのように関係性を築く機会を設計しているかという「なじませる仕組み」が大きく影響しています。
オンボーディングとは、単なる業務説明ではなく、新しく入った人が組織の一員として役割を理解し、安心して関与できるようになるプロセスそのものです。
●新入社員が安心して質問できる環境を整えること。
●職場の前提知識や暗黙のルールを言語化すること。
例えば、「この職場ではチャットの返信はスタンプだけでも大丈夫」、「昼休憩はそれぞれのタイミングで取ってよい」といった、既存メンバーにとっては当たり前すぎて言葉にされない“職場の普通”を意識的に伝えることも重要です。
こうした小さな情報は一見些細に見えますが、新しく入った人にとっては「この場でどう振る舞えばよいのか」を理解する大切な手がかりになります。こうした積み重ねが、「この職場にいてもよいのだ」という安心感の土台をつくっていきます。
そして、
●対話を通して関係性を少しずつ築いていくこと。
こうした小さな仕組みの積み重ねが、新入社員の適応を大きく左右します。
新入社員の離職を「人間関係の問題」として片付けてしまうのではなく、組織が新しく入った人をどのように「なじませているのか」という視点で見直してみること。それが、早期離職という課題に向き合ううえで重要な一歩になるのではないかと、私は考えています。
【参考文献】
●尾形真実哉(2020)『若年就業者の組織適応―リアリティ・ショックからの成長』白桃書房
●厚生労働省(2014, 2020):
「若年者雇用実態調査」、
「新規学卒就職者の離職状況」
●独立行政法人労働政策研究・研修機構(2007, 2016, 2019):
「若年者の離職状況と離職後のキャリア形成」ほか各調査資料
●中島智子(2020)「リアリティ・ショックによる離職意思の緩和に関する研究」(三崎秀央教授指導 博士論文)
●Irving, P.G. & Meyer, J.P. (1994) Reexamination of the met-expectations hypothesis: A longitudinal analysis
●Kramer, M. (1974) Reality Shock: Why Nurses Leave Nursing
●Wanous, J.P. (1992) Organizational Entry: Recruitment, Selection, Orientation, and Socialization of Newcomers