
トラブル事例・1)「退職勧奨」が「退職強要」と認定された事例
退職勧奨は、労働者の自由意思を前提とした「任意の説得行為」であり、法的には許容されています。しかし、これが行き過ぎると「退職強要」として違法となり、不法行為責任(「民法」709条)を問われる可能性があります。裁判例では、勧奨の態様(言葉・態度)・回数・頻度・環境などを総合的に評価し、労働者の自由意思が侵害されたかどうかが判断基準とされています。
例えば、全日本空輸(ANA)事件(東京地裁 平成15年3月28日判決)は、ANAの社員が、4ヵ月間に30回以上の退職勧奨を受け、上司が社員寮に押しかけて長時間の退職勧奨を行い、「寄生虫」などの侮辱的な発言をした事案です。裁判所は、これらの行為が「社会通念上許容される限度を超えた退職勧奨」であり、違法であると判断し、損害賠償を命じました。
実務上は、退職勧奨の面談内容を記録し、複数名で対応する、侮辱的・威圧的な発言を避ける、本人の同意を文書で残すといった配慮が重要です。また、「自由意思で退職を選んだ」と客観的に示せる証拠(退職意思を表明したメールや、「退職届を提出します」といったLINE、Slack、社内チャットの記録を残しておく等)を整えておくことが、後のトラブル防止に役立ちます。
トラブル事例・2)「退職者告知」のタイミングミス
退職について本人の了承を得る前に、「◯◯さんが今月末で退職します」という全社メールが配信され、人事担当者と退職者との関係性が悪化してしまった、というケースがありました。本人としては、業務引き継ぎやお世話になった人への個別挨拶を済ませた後で静かに去りたい、あるいはタイミングを自分で決めたい、という気持ちがあるのに対し、人事部門は「人事上の必要」から先に告知してしまうという構図です。逆に、告知が遅くなることで、「引き継ぎの時間がない」という業務上の不満や「早く退職の事実をみんなに言って楽になりたい」といった感情的なストレスも発生しがちです。
そのため、実務上は、「いつ・誰に・どのように伝えるか」について、本人とのすり合わせを行いましょう。最終出社日や引継ぎ状況に合わせ、「社内告知は◯月◯日にメールと朝礼で行います。」といった具体的な共有をしておけば、不要な誤解や不快感は避けられます。
感情的なやり取りが発生しやすい退職前後の時期だからこそ、こうした細やかなコミュニケーションが、退職者との良好な関係維持にもつながるのです。
トラブル事例・3)離職理由の記載ミスが招くリスク
離職票の「離職理由」の記載は、企業にとって単なる事務処理ではありません。ここを誤ると、退職者から不信感を抱かれる、行政からの指導や罰則に発展する、といったリスクがあります。例えば、ゴムノイナキ事件(大阪地裁平成19年6月15日判決)では、退職者が会社から繰り返し退職を迫られた結果、退職届を提出。会社は「自己都合退職」として処理しましたが、裁判所は、これは実質的に「会社都合退職」であると判断し、退職金の支払いを命じました。
このように、退職の形式だけでなく、実態がどうであったかが重視されます。
また、会社が虚偽の離職理由を記載した場合、「雇用保険法」第79条・第83条に基づき、6ヵ月以下の懲役または30万円以下の罰金が科される可能性もあります。ゴムノイナキ事件とは逆に、本当は自己都合退職であるにもかかわらず、本人のためと考え失業等給付に有利だからと逆に会社都合退職として処理すると、これも虚偽記載となります。
実務では、実態に即して離職理由を記載する大前提を崩さないようにしましょう。「とりあえず自己都合で処理」は、企業にとって大きなリスク。本人に「この離職理由で離職票を作成し提出します」と確認しながら対応しましょう。
トラブル事例・4)最終給与の計算ミス
退職時の給与計算は、通常月とは異なる要素が多く含まれ、計算ミスが起こりやすい場面です。例えば、ある企業では、退職者への最終給与計算において、以下のような複合的なミスが発生しました。まず、給与の締め日と退職日が一致せず、退職前の1週間分の残業記録が未集計のまま処理されていたため、未払残業代が発生。さらに、退職日までに取得していない有給休暇が3日分残っていたにもかかわらず、買い取り対象日数を1日と誤認し、賃金に反映されていませんでした。結果的に、本人からの指摘で発覚し、会社は追加支払いと謝罪対応に追われることとなりました。
このような「締めずれ」や「日数誤認」の他、「給与計算システムの設定変更漏れ」などは、退職月特有のイレギュラーな処理に起因するケースが多く見られます。
ミスは起こるものですが、実務的には、次の項目について、自社の就業規則と照らし合わせながら複数名でのチェックを行うとよいでしょう。さらに、退職前に、最終給与の件で退職者本人にも明細を交付し、説明の機会を持つことで、認識のズレを防ぐことができます。
●有給休暇の残日数と買い取り有無
●月途中退職による日割計算の必要性の有無
●経費や出張費等の未精算金の有無
●税・保険料控除の最終確認
退職者の声が口コミとして広がる時代
近年は、SNSや転職サイトの口コミ投稿が採用活動に与える影響が大きくなっています。「円満退職ができた」、「最後まで丁寧に対応してくれた」という退職者の声が、次の採用応募者にとって重要な判断材料になるのです。また、社内にいる社員は、退職者への対応を冷静に見ています。「あの人が辞めた時、ひどい扱いだった」と感じると、自分の将来に不安を抱き、結果的に早期退職やエンゲージメントの低下につながる可能性があります。
逆に、退職者を丁寧に見送る姿勢は、企業文化の信頼性として共有され、「この会社で働き続けても安心だ」という感情を育みます。採用や定着にメリットがあるといえるでしょう。
このようなことから、退職実務は、単なる手続きの一環ではなく、企業の信用力を示す機会と捉えることができます。去り際の対応にこそ企業の真価が問われているのです。
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