
「労働基準法」改正は見送られたが、「つながらない権利」は世界で議論されている
メールやビジネスチャットの普及により、勤務時間外であっても仕事とつながり続ける働き方が広がっている。こうした状況への問題意識から注目されてきたのが、いわゆる「つながらない権利」である。日本でも2026年を見据えた「労働基準法」改正の検討過程において関連する議論が行われたが、最終的に改正案の国会提出は見送られた。しかし、諸外国ではすでにこの問題に対し、さまざまな形で制度的対応が進められており、この見送りをもって、「制度対応は不要」と考えるのは適切とはいえない。
例えばフランスでは、2016年の労働法典改正により、従業員50名以上の企業を中心に、「つながらない権利」について労使で運用を協議する仕組みが法制度として位置付けられている。スペインやイタリア、ベルギーでも、在宅勤務やスマートワークを前提に、勤務時間外につながらないという考え方が法律上明確にされている。
一方、ドイツやイギリス、アメリカでは、明確な「つながらない権利」の法制化には慎重な姿勢が取られている。ドイツでは、労働者は本来、自由時間において使用者のために常時アクセス可能である義務はないという前提があり、立法による一律規制の必要性自体に懐疑的な見解が示されている。アメリカでも条例化の試みはあったものの、現時点では法制化には至っていない。
このように、各国の対応は一様ではないが、共通しているのは「常時接続を前提とした働き方が労働者の負担になっている」という問題意識である。日本で「労働基準法」改正が見送られた背景にも、業種や企業規模によって実態が大きく異なり、一律のルール化が難しいという事情がある。つまり、今回の見送りは問題の否定ではなく、「各社の実態に応じた対応を求められている」状態だと捉えるべきだろう。

つながらないなら、職場はどうするべきか
「つながらない権利」という言葉から、「勤務時間外は一切連絡してはいけない」というイメージを持つ人も少なくない。しかし、各国の制度を見ても分かるとおり、多くは一律の遮断を求めているわけではない。むしろ、労使協議や個別合意を通じて、業務の特性に応じた運用を設計することが重視されている。人事労務の現場で問題となるのは、連絡そのものよりも、「なぜ休んでいる人に連絡せざるを得ないのか」という状況である。業務が特定の人に集中していないか、属人化が進んでいないか、人手不足を前提に無理な業務設計になっていないか。こうした点を見直さないまま、「連絡を控える」ことだけをルール化しても、現場の負担は軽減されない。
また、連絡を控えることが目的化すると、管理職が判断をためらい、業務が滞ったり、結果責任だけが個人に押し付けられたりする恐れもある。つながらない権利は、「つながらなくても仕事が回る状態を前提とする考え方」だと位置づける必要がある。
そのため企業に求められるのは、連絡の可否を感覚や配慮に委ねるのではなく、「つながらなくても済む仕組みづくり」を進めることだろう。業務の属人化を前提としない情報共有、緊急時の判断フローや代替要員の設定など、特定の個人に負担が集中しない体制を整えることが欠かせない。
同時に、従業員自身の側にも「つながらなくて済むための工夫」が求められる。例えば、退勤前や休暇前に引き継ぎ事項や対応状況を簡潔にまとめておく、翌営業日以降の判断ポイントを共有しておくといった対応は、勤務時間外の問い合わせを減らすことにつながる。自分が休んでいる間も仕事が滞らない状態を意識的につくることは、結果として「つながらなくてもよい」環境を支える要素になる。
「労働基準法」改正が見送られた今は、「自社に合った形を考える余地」が与えられている時期だと言える。つながらないならどうするのか。会社任せでも、個人任せでもなく、双方が工夫することで初めて「つながらなくても済む働き方」は現実のものになる。その問いに向き合うことが、これからの働き方を見直す第一歩になるだろう。
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