
労使慣行問題をめぐる2つの論点
職場には、就業規則や雇用契約書には書かれていないものの、「昔からこうしている」という取扱いがあります。会社が任意に行っていたつもりでも、労働条件としての効力を持つ場合があるため、見直しには注意が必要です。労使慣行をめぐる問題には、大きく分けて2つの論点があります。1つは「そもそも労働条件として成立しているか」、もう1つは「成立している場合に、それを変更できるか」です。この2つを分けて考えることが、適切な実務対応の出発点となります。
労使慣行はどのような場合に成立するか
労使慣行とは、労働条件に関する一定の取扱いが職場で繰り返され、会社と従業員の双方がルールとして受け止めているものです。代表的な裁判例である「商大八戸ノ里ドライビングスクール事件」(大阪高裁平成5年6月25日判決)を踏まえると、法的効力のある労使慣行が成立するためには、次の3点を満たす必要があるとされています。
(1)同じ取扱いが、一定の範囲で長い期間にわたって繰り返されてきたか
(2)会社も従業員も、その取扱いによらないことを、はっきり示していなかったか
(3)会社と従業員の双方が、単なる好意や一時的な例外ではなく、今後も守れる職場のルールだと受け止めていたか
特に会社側では、経営者や人事責任者など、労働条件を決める権限のある人の認識が重要です。
例えば、A社の就業規則には「遅刻時間分の賃金を控除する」と定められているものの、実際には10年以上にわたり、「15分未満の遅刻については控除しない」という運用が全従業員に続いていたとします。経営者もその取扱いを知っており、従業員も会社のルールだと受け止めていた場合には、労使慣行と判断される可能性があります。
一方、規程と異なる取扱いが続いていたというだけで、直ちに成立するわけではありません。「なぜ始まったのか」、「誰が承認したのか」、「誰にどのように適用されていたのか」、「社内通知や給与計算資料に記録が残っているか」を確認する必要があります。給与担当者が独自に処理し、権限のある人が知らなかった場合は、同じ結論になるとは限りません。
「中日新聞社(錬成費不支給)事件」(東京高裁令和6年3月13日判決)では、年額3,000円の錬成費が60年以上支給されていました。しかし、「労使双方が守るべきルールとして認識していたとはいえない」として、労使慣行の成立は否定されました。長く続いていることだけでは決まらないと示した事例です。
このように、以上の3つの要件を満たし、法的効力のある労使慣行が成立すると、就業規則に書かれていない取扱いであっても、労働契約の内容となり、会社と従業員を拘束します。
成立した労使慣行は変更できるか
「労使慣行が成立しているか」という問題と、「成立した慣行を変更できるか」という問題は別です。労働契約の内容となった労使慣行を、「規程に書いていないから」という理由だけで突然廃止することは避けなければなりません。例えば、「学校法人桐蔭学園事件」(横浜地裁令和6年12月26日判決)では、約25年間続いた一定の賞与算定方法と入試手当の支給について、労使慣行としての効力を認めました。その一方で、裁判所は、財務状況の悪化による見直しの必要性や労使交渉の経過などを踏まえ、「労働契約法」第10条に準じて、変更後の労働条件が周知され、変更に合理性があるとして、有効と判断しました。
つまり、「成立したら永久に変えられない」ということではありません。ただし、会社の都合だけで変更できるわけでもありません。
変更後の内容を従業員に周知したうえで、変更の必要性、従業員が受ける不利益の程度、変更内容の相当性、労使での話合いの状況などを総合的に検討する必要があります。
人事担当者が行うべきこと
まず、就業規則、賃金規程、給与データ、社内通知などを確認し、規則等と実際の運用とのズレを洗い出しましょう。そのうえで、運用の開始時期、目的、決定した人、適用範囲、労使の認識を整理します。見直す場合は、変更の理由を丁寧に説明し、十分な周知期間を設けることが大切です。不利益が大きい場合には、経過措置や代替措置も検討するとよいでしょう。また、残すべき取扱いは就業規則などに明文化し、例外的な取扱いは、対象者や期間、判断理由を記録しておくことも必要です。
昔からの運用には、職場を支えてきた知恵が含まれていることもあります。大切なのは、曖昧なまま放置するのでも、突然なくすのでもなく、会社としての考え方を言葉にし、従業員に説明したうえで、対話を通じて共有することです。その積み重ねが、納得感と安心感のある職場づくりにつながるのではないでしょうか。
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