米軍勤務7年目、夫が、山口県の日立製作所・車両工場へ転勤を命じられました。となると、私も米軍を辞め、家族全員で転居しなければなりません。私は米軍勤務を辞めたくなかったし、住み慣れた土地を離れるのも「嫌」でした。そこで、後先を考えず、父の知人で三菱重工勤務の人を尋ねると、愚痴混じりに「夫を三菱重工に入れてくれ」と頼みました。まさに軽はずみな行動でしたが、「ちゃんとご主人に従い、日立の車両工場に行きなさい」と言下に叱られ、やむなく家族全員で転居することとなりました。
第6回 転職、転勤、転居で多様な職場経験がキャリアを育てる
子供は現地の小・中学校に入学し、私は夫の会社、日立製作所・笠戸工場の車両部で、輸出関係の仕事をすることになりました。働き始めてみると、未知の仕事はやはり楽しいものです。車両のことは全く分かりませんでしたが、あさかぜ、はやぶさなどのブルートレインや、ドイツから送られてきたモノレールの製作図面の翻訳、標準軌を走る新幹線製作のお手伝い、エジプト国鉄への貨車輸出、エジプト国鉄技術者教育の通訳や幹部の秘書業務など、初めてのことばかりで大変興味深かったです。

エジプト人技術者の教育は、初めのうちは、日立の技術者が実施していたのですが、或る時、彼らは私に「君はテキストの翻訳と通訳をやったから、後はやってくれ」と押し付けてきました。仕方なく私は、テキストを頼りにしながら、車両製造の際の溶接や鋳物の話を、今までの耳学問で理解してきたことを元に話しました。

そのうち、未知の車両製造の話が、自分にとって馴染み深い家事作業や台所の料理の仕方と一緒だと気づきました。客車の骨組構造に外板を溶接してピンとさせるのは、障子貼りと一緒です。また、鍛造で鋳物を水につける「急冷」は、茹でた「ほうれん草」に水を掛けるのとそっくり。鍛造で言う「油冷」は、八つ頭芋を煮含めて味をしみ込ませるのに当たるでしょう。このように、台所の仕事が、車両製造の理屈と何となく似ていることに気づくと、いくらか気楽になりました。

エジプト人との交流は、まさに「異文化との出会い」でした。女学校時代にミッション・スクールでのカナダ人の先生との出会いも刺激的でしたが、さらに遠い国であるエジプトのことや、初めて知るイスラム教に忠実な人達の行動に驚かされました。

例えば、彼らはラマダンの時、日中は「唾さえも飲んではいけない」ことになっています。それだけでも驚かされるのですが、「黒い糸と白い糸との見分けが出来ない時間になると飲食していい」ということになっており、夜は大パーティーが行われることにはまた驚かされました。

転職、転勤、転居などで、暮らしや仕事が変化し、学ぶことが増えるのは、「嫌」だと思われる方も多いでしょうが、働く人間にとって、それは仕事冥利に尽きます。その後、私が米国や、欧州、東南アジアなど、あちこちに出張することを躊躇しなかったのも、この頃、こうした異文化との触れ合いがあったからです。
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