日沖健 著
千倉書房 1,890円

著者が「はじめに」で書いているが、人材マネジメントに関する書物には2通りがあり、1つは学者が人事担当者向けに執筆した理論書である。アメリカの学説を紹介するものが多く、古くはテーラーの「X理論・Y理論」、シャインの「キャリアアンカー」、マズローの「欲求5段階説」などが紹介されている。
 もう一つはコンサルや人事経験者が体験に基づく経験則を説くものだ。実務者が書いた本でもアメリカの学説が引用されることが多い。
変革するマネジメント 戦略的人的資源管理
このような書物を読みながら不満に思っていたことがあった。日本とアメリカでは文化も社会の構造も違うし、雇用形態も異なるが、人間の欲求や価値観に関してはまったく別のものではないから、学説については日本でも応用できるだろう。しかしこれまで出版されたものは、紹介のための紹介のことが多く、中には丸写しに見えるものもある。理論を実践的に読み解いた本を読みたい。そう思っていた時に出合ったのが本書である。

 日本経済新聞が2013年2月19日の朝刊一面で、「パナソニック、12年ぶりに事業部制復活」というニュースを伝えた。同社では松下幸之助が事業部制を導入したが、2000年代初頭に機能別組織に変えていた。それを事業部制にするというのだ。
 こういうニュースを理解するのに本書は役立つ。第2章「組織の構造とプロセス」に官僚制組織、機能別組織、事業部制組織、カンパニー制と持株会社、マトリクス型組織を説明し、なぜ分化や統合がなされるのか、メリットだけでなくデメリットもあることが示されている。その指摘を読めば、パナソニックの組織改編の理由をより深く理解できる。

 本書で紹介されている組織と人材マネジメントに関する理論は網羅的だが、丸写しではない。実際の事例から理論を実践的な方向に読み替えているものが多い。
 たとえばCDP(キャリア開発プログラム)だ。マネジャー・人事部との面接を経て、キャリアパスを設定するが、著者は20代の若手社員に対して早期からCDPを適用することに異議を唱えている。「若手は知らないことだらけだし、将来に幅広い可能性があるのだから、もっと応用にかまえてキャリアを考えるべき」だと言うのである。その通りだろう。

 新規プロジェクトでは異部署の人間を選抜してチームを作ることがあり、チームの成長を「形成期」「混乱期」「標準期」「達成期」という4段階に分けることは多くのマネジャーが知っていることだろう。混乱期にチーム活動は停滞するが、その原因はコンフリクト(対立、葛藤)である。コンフリクトは「回避」「競争」「順応」「妥協」「協創」によって解消でき、最も創造的なコンフリクト解消の方法は「協創」だとされる。
 「協創」の典型的な事例は日産自動車だ。カルロス・ゴーン氏は最高執行責任者に就任すると、現場に出向いてコンフリクトの所在を明らかにし、対話を通じて「協創」を生みだし、新しい日産を作り出した。
 コンフリクト・マネジメントではここまでの記述で終わるのが普通だろう。本書ではさらに記述が続き、「『協創』がつねに最高の成果をもたらすとは限らない」と書かれている。どのような場合かというと、「ある事業部が危機的な状況にあり、コスト削減によって短期間で収益性を向上させる必要に迫られている場合」だ。この場合、コスト削減に反対する抵抗勢力と「協創」するよりも、「妥協」「競争」した方が確実に成果を上げられると著者は説く。理論を説明し成功事例を挙げるだけでなく、別のケースでの考察を記述していることが本書の魅力だ。

 「マズローの欲求5段階説」でも面白い考察をしている。
 欲求5段階説は人間の欲求を5段階の階層と見立てている。一番底辺に「生理的欲求(食事、睡眠)」があり、その上に「安全欲求」があり、次に「社会的欲求」があり、その上に「自我自尊欲求」がある。そしてこれら4つの欲求が満たされてピラミッドの頂点に「自己実現欲求」がある。低次の欲求が満たされる、段階的に高次の欲求が満たされるようになるというわけだ。
 だが著者は異なる事例に着目する。「安全欲求」や「社会欲求」が満たされていないフリーターがボランティア活動に打ち込み、「自己実現欲求」の充足を目指すのは段階的ではない。マズロー仮説はすべてに当てはまるものではないのだ。

 「論語読みの論語知らず」という諺がある。日本ではビジネス書やセミナーでアメリカの組織・人材理論が紹介されているが、実践的に適用され検証されることは少なかった。本書は実践を指向する理論書だ。著者はマネジャーを読者として想定しているが、人事担当者にも一読を薦めたい。
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