教育コンサルタントは、自分で仕事のニーズを探し、企画を作って売り込むことで、初めて業績達成となります。積極的な訪問と、セールスの両方が仕事と言っていいでしょう。指示命令を待っていてはダメなのだと分かってから、私はずっとそうした基本姿勢を貫いてきました。
第3回 人事部に移籍、教育コンサルタント修業
人事部に移籍すると私は直ぐ、教育コンサルタントの資格修得のため、40日間の合宿研修に参加することになりました。講師として知識・技術を修得することが目的で、朝8時から夜8時まで厳しい指導を受けました。同期生は全国の米軍キャンプから集まった40名で、女は私一人でした。

研修終了後は、全員が、各地の米軍基地で働く日本人管理者にMTP(マネジメント・トレーニング・プログラム=管理者訓練プログラム)を行う資格を得ました。この資格は、元々は米軍内の者だけが保有していましたが、当時の通産省から米軍司令官に依頼があって、新しく設立した「日本産業訓練協会」においてMTP訓練講師養成を受けた人も、保持できるようになったのです。

研修後、職場に戻ると、上司から「早速、管理者訓練講師として仕事をせよ」と命じられました。「あの部門へ行って仕事をしろ、あの部長を尋ねろ」との指示はありません。これはすなわち、「各部署を訪問し、そこの部長や人事担当者に会って教育ニーズを掴み、それに応える企画を作って売り、業績を上げよ」ということを意味しています。

管理者訓練コンサルタントは、自分で進んで各部署を訪問してニーズを探し、仕事を実行して、初めて業績達成となる――これは大変だと仲間に愚痴を言うと「そんなのは当たり前。一度その職場で仕事をしたら、続けて、仕事の成果を補習するフォローアップ指導を売ること。俺たちはそれを“放浪アップ”と呼んで歩き回っている。仕事後も絶えず顧客訪問をするんだ」と教えてくれました。コンサルタントとしては、その部署の教育ニーズを掴む能力と企画立案、そして、それを受け入れさせる能力も合わせて持っていなくてはやっていけないわけです。

しかし、恐ればかり抱いていても仕方がありません。私は覚悟を決めると、とにかく座間キャンプ中を歩き回り、「管理者訓練をやります」と言って回りました。けれども、新米の女コンサルタントは、部長達にいっこうに受け入れられません。それは1954年の頃で、私は29歳の、まさに“ひよっこ”講師。当然だったのかも知れません。男性職員の中には「女は人類じゃない、人類の下に女類、猿類がいる」と冗談を言う人もいたくらいです。各部を訪問して訓練コースを勧めても、コンサルタントと認識してもらえず、「秘書さんですか? 講師は何処?」と聞かれる始末。これではコンサルタント落第、前途は暗く感じられました。
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