このコラムは、人事部で働く人々にインタビューし、メンタルヘルス対策にかける思いを中心に、その人生の一端を「物語」仕立てにしたものです。(※文中の名称はすべて仮名です)

★前回までのあらすじ
対立してしまった一之瀬課長には、うつになった過去があった。
もしかしたら、一之瀬課長の「物語」を知れば、新たな道が見えてくるかもしれない。一縷の希望を胸に、冬美は一之瀬の同期を訪ねた・・・。
~人事部3年目・冬美29歳の物語「うつ病の新入社員を救え!」第7話~

一之瀬の物語

「あぁ、日野原さんみたいなタイプの部下はねぇ……ちょっと辛いかもしれないね、今のあいつにはね」
北川課長はそう言って苦笑した。
北川課長は、人事課長である一之瀬の同期。それも、若い頃からかなり付き合いがあると聞いて、話を聞きにやってきた。突然のアポイントだったにも関わらず、北川は「人事の日野原さんだね。うん、色んなところで名前が出るからよく知っているよ。いつでもおいで」と快諾してくれた。

会議室で向き合った北川は、冬美の話に「うん、うん」と何度もうなずく。「さもありなん」と言わんばかりだ。
「一之瀬課長には、正直、目障りだと思われている気がします」
あえて明るくそう言ってみると、北川は「いやいや」と首を振った。
「最初からあたりがきつかったわけじゃないでしょ?あいつが日野原さんを抑え込もうとしているとしたら、それは、日野原さんが人事の仕事に慣れて、自主的に考えて動き出すようになってから。指示待ちでなく、能動的に動けるようになってから。人事部の中で頭角を現し始めてから……じゃない?」

うーん……と頭の中で、自分が人事部に配属になった当初のことを思い出してみた。確かに、一之瀬は優しいところもあった。正確には、「優しさ」なのか「いい加減さ」なのか微妙なところだが、冬美が何か失敗しても、「いいよいいよ、失敗したって命取られるわけじゃなし」とオオゴトにせずに流してくれたり、まだ慣れない冬美が不出来な資料を提出しても、「時間かけて完璧な資料にするより、効率重視でいいか」と受け取ってくれたり、いわゆる「ゆるさ」があった。一之瀬の適当な「ゆるさ」のおかげで、ストレスを溜めずにいられた頃もあったのだ。

だが、人事の仕事がわかってくるにつれ、冬美は一之瀬の「ゆるさ」が、今度は許せなくなってきた。問題から目を背ける態度は「無責任」と映ったし、何か新しいことを提案しても却下するのは「保身」と映った。そんな一之瀬を、いつからか、冬美は心のどこかで軽視するようになっていなかったか。一之瀬ではなく、人事部長の大崎を見て仕事をするようになっていなかったか。冬美の変化に比例して、一之瀬もまた、冬美を疎ましく思うようになったのではないか。
人間関係は「鏡」なのだ。

「でもね、日野原さん。それは君が、本当は一之瀬と似ているからなんだよ」
北川の言葉に、冬美は思わず「えっ?!」と声を上げる。「どこが?」という心の声が聞こえたかのように、北川はくすくすと笑った。
「自分の頭で考える、指示されなくても能動的に動く、同期の中でも頭角を現す、ついでに言えば、上司に対しても臆せず盾突く……全部、本当の一之瀬の姿だよ。日野原さんを見ていると、一之瀬はまるで昔の自分を見ているようで、きっとイライラするんだ。だから、叩こうとする。出る杭にならないようにね」

そこからが、「一之瀬一郎の物語」だった。
新人の頃から抜きんでて優秀だった一之瀬は、システム・エンジニアとして順調に成長していった。同期の中では一番に係長に昇進、だが、係長になってから異動した部署で、そこの課長と徹底的に馬が合わなかった。それまでのやり方を否定し、斬新な仕様やプログラムの組み方を押し通そうとする、ある意味「生意気」な一之瀬を課長は嫌い、日常的に罵声を浴びせたり、理由もなく仕事を突き返した。さらに重要な仕事を全て一之瀬から取り上げる段になって、一之瀬はうつ病を発症し、会社を休職した。6ヶ月後、人事部付でなんとか復職はしたが、最初は、復職前の部署があるフロアに足を踏み入れようとしただけで、体が震えて動けなくなったという。その後、システム・エンジニアには戻らず、正式に人事部に配属になったが、まるで別人のような性格になっていた。同期一の切れ者が、ことなかれ主義・日和見主義のお調子者に。

「休職直後、人事に頼まれて、一緒にあいつの家に見舞いに行ったことがあったんだけど、あいつ、飯どころか水もろくに飲まず、干からびたみたいになって、ただ布団にくるまっていてさ……。正直、やばい、このままじゃこいつ、死んでしまうんじゃないかって、ものすごく心配になったよ。今のあいつは、あいつらしくなくてどうかと思うけど、死なずに復帰してくれただけで、俺なんかは御の字と思ってしまうんだ」
北川はかつての一之瀬を思い出すように目を細め、寂しそうに笑った。
「君の中に、一之瀬はかつての自分を見ている。君の情熱は、一之瀬がかつて理不尽に奪われたものだ。だから辛くあたるかもしれない。でも日野原さんは、僕に話を聞きに来た。部下としてもう一度、一之瀬と向き合おうとしているんだよね。そこから何か変わるといいなと、僕も祈っているよ」

冬美は、その日、家に帰ってベッドに横たわりながら、一之瀬の物語に思いを馳せた。物語を知ることで、一之瀬を見る目が変わった。そのことを本人に伝えたいけれど、一体どう伝えればいいんだろう……。

(人間関係は鏡。人間関係は鏡……)

その気づきが、ヒントになる気がしていた。
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