★前回までのあらすじ
「現場の売上を死守し、予算を達成するためには長時間労働も仕方ない」と働き方改善に否定的な管理職たちに、EAPから呼んだ講師がある一言を投げかけた ── 。

このコラムは、人事部で働く人々にインタビューし、メンタルヘルス対策にかける思いを中心に、その人生の一端を「物語」仕立てにしたものです。(※文中の名称はすべて仮名です)
~人事課長・春代の物語「社員全員を船に乗せ」最終話~

「健康経営」に向かって

ギリギリのところで、風向きが変わったな……

春代は、3年前を振り返って、ときどきそんなふうに思う。

3年前の管理職研修で、講師は「健康経営」の考え方について「心身の健康を守ることと、お仕事の生産性は、比例しますから!」という明るい言葉とともに紹介した。

「健康経営とは、『企業が従業員の健康に配慮することによって、経営面においても大きな成果が期待できる』との基盤に立って、健康管理を経営的視点から考え、戦略的に実践することを意味しています。 従業員の健康管理・健康づくりの推進は、単に医療費などの経費の節減のみならず、生産性の向上、従業員の創造性の向上、企業イメージの向上などの効果が得られ、かつ、企業におけるリスクマネジメントとしても重要です。 従業員の健康管理者は経営者であり、その指導力の下、健康管理を組織戦略に則って展開することがこれからの企業経営にとってますます重要になっていくものと考えられます。(健康経営研究会のHP掲載の定義より)」

「本当にそうなのか……キレイゴトではないのか……」そんな管理職たちの不安を受け止めつつ、まずは川崎工場を舞台に、春代は一歩一歩前に進むことを選んだ。
産業保健活動をまわせる組織体制、社員への教育、相談対応窓口の設置、「不調者対応・職場復帰支援プログラム」作成など、経営会議で約束した「形」をひとつ実現するごとに、「お、ホントにやるんだ」という目で見直してくれる社員が少しずつ増えていった。不調者に関しても、きちんと対応できるケースが積みあがるにつれ、「こういうのって、大事だよね」という声が増えていき、社内を吹く「風」が、いつしか変わっていったように思うのだ。

そして、春代たち人事部がとことんこだわって考え抜いたのは、「社員が健康である」ということの、本当の意味だった。
体の健康は、残業対策や健康診断の実施と徹底的なフォロー、保健指導やヘルスリテラシー研修、ウォーキングイベントや禁煙対策などを充実させることで、徐々に改善していった。
問題は心の健康だった。

心が元気でいるためには、何が必要なんだろう。
何がキーファクターなんだろう。
何が、職場や、そこで働く社員を活き活きとさせるのだろう。

そんなテーマで、奈々子たち人事部のメンバーが、若手社員を中心にインタビューをしたり、対話をして、わかったことがある。

社員全員を船に乗せ

それは、社員はみな、「自分の仕事に誇りを持っていたい」と思っているということだった。
仕事への価値観は人それぞれで、モチベーションのありかも人によって違う。それを無理にそろえることはできないし、その必要もない。
一方で、「ハイポイント・インタビュー」と称して、「これまでの仕事人生の中で、最も嬉しかった瞬間」について社員に聞いてみたとき、驚くほど共通していたのは、「人に喜んでもらえた瞬間」だったのだ。

お客様に笑顔でありがとうと言われた。
自分の工夫が他部署の人に喜ばれた。
自分が苦労して作った部品が搭載された機械が動いているのを見た。
後輩にノウハウを教えたら案件を受注してきてくれた。
自分なりに見やすさにこだわって資料作りを続けていたら、それに気づいた人が褒めてくれた。

そういった社員たちの「物語」を聴けばきくほど、社員たちは、基本的には「良い仕事がしたい。誇りの持てる仕事がしたい」と願っているのだと、春代は信じるようになった。そして、それが、様々な理由で阻まれ続けたとき、心を病んでいくのではないか。
だから大切なのは、社員の「良い仕事をしたい」という気持ちを、会社が邪魔しないことだ。放っておくと、会社は社員の邪魔をする。例えばパワーハラスメントの上司、例えば適切でない人材配置、例えば無駄な業務フロー、例えば分析不足の戦略、例えばコミュニケーションエラー……。

社員一人ひとりが、誇りを持って仕事をすることを支援する職場。
そのスタンスさえ間違えなければ、

「社員全員を船に乗せて、みんなでひとつの目的地に向かう」

その船影と、目指すべき地平が見えてくる。

春代は、大海原を駆け抜ける風と、遥か地平の果てで輝く光を、確かに感じた気がした。
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