
1. 「法の支配」の視点から
「法の支配」とは、国家権力の行使は法によって制限され、恣意的であってはならないという原則である。企業における服務規律・懲戒の運用においても、この原則は重要な意味を持つ。就業規則は、企業内のルールを明確化し、「従業員がどのような行為をすれば服務規律に違反するのか」、そして「違反した場合にどのような懲戒処分が科される可能性があるのか」を事前に示す役割を担う。これは、従業員にとっての予見可能性を高め、企業による恣意的な懲戒処分を防ぐための重要な保障となる。
もし、就業規則に明確な根拠がないまま、あるいは曖昧な規定を都合よく解釈して懲戒処分が行われた場合、それは「法の支配」に反することとなる。従業員は、自らの行為がどのような結果を招くのかを予測できず、不当な処分を受けるリスクに晒されることになってしまう。
従って、企業は服務規律の内容を具体的に定め、就業規則に規定し、従業員に周知することが求められる。また、懲戒処分の適用にあたっては、就業規則の規定を忠実に遵守し、公平かつ客観的な判断に基づいて行う必要がある。
2. 「罪刑法定主義」の視点から
「罪刑法定主義」とは、刑罰は法律によってあらかじめ定められていなければならないという刑事法の原則である。直接的に刑事罰が科されるわけではない企業の懲戒処分に、この原則がそのまま適用されるわけではないが、その精神は、服務規律・懲戒の運用においても重要な示唆を与えてくれる。罪刑法定主義の核心は、「(1)法律による処罰の根拠」、「(2)処罰対象となる行為の明確性」、「(3)処罰内容の明確性」、「(4)遡及処罰の禁止」、という要素から構成されるが、企業における懲戒処分を考える際、「(1)就業規則という明確なルールに基づいた処分であること」、「(2)どのような行為が懲戒の対象となるのかが具体的に定められていること」、「(3)どのような種類の懲戒処分があり、それぞれの要件や効果が明確にされていること」、が重要となる。
曖昧な服務規律や、事後的に都合よく解釈されたルールに基づく懲戒処分は、従業員にとって不利益であり、予測可能性を損なうものである。また、違反行為の内容と懲戒処分の種類・程度が均衡を失している場合、その処分は相当性を欠く可能性がある。
企業は、服務規律を定めるにあたり、どのような行為が企業秩序を乱すのかを具体的に検討し、それに対する適切な懲戒処分の種類と程度を明確に定める必要がある。これにより、従業員は自らの行為に対する責任を認識し、企業も公平な懲戒処分を行うことができるようになるのである。
3. 「可罰的違法性の視点」から
「可罰的違法性」とは、ある行為が法規範に違反するだけでなく、社会的に非難されるべき程度の違法性を持つ場合に初めて法的制裁の対象となるという刑法理論である。これは、些細な法規範違反すべてに刑罰を科すのではなく、社会的に問題となる行為に限定することで、法の濫用を防ぐための重要な原則である。企業の服務規律違反においても、この「可罰的違法性」の考え方は重要である。就業規則に違反する行為があったとしても、そのすべてを懲戒処分に結びつけるのには問題がある。違反行為の態様、程度、故意・過失の有無、企業秩序への影響、過去の事例、従業員の反省の度合いなど、様々な要素を総合的に勘案し、社会通念に照らして相当と認められる場合にのみ、懲戒処分が科されるべきであろう。
例えば、うっかりミスによる軽微な業務遅延や、一過性の感情的な言動など、企業秩序への影響が軽微であり、かつ改善の見込みがあるようなケースでは、懲戒処分ではなく、注意や指導といったより穏当な措置で対応することが適切な場合も多い。
懲戒処分は、従業員の雇用や生活に直接的な影響を与える重大な措置でもある。従って、企業は服務規律違反があった場合に、形式的に就業規則を適用するのではなく、その違反行為が社会的に見て非難されるべき程度のものなのか、そして懲戒処分という制裁を科すことが相当なのかを慎重に判断する必要があるだろう。
まとめ
企業の服務規律・懲戒の運用は、労働契約という私的な契約関係に係るものであるが、従業員の権利保護の観点から、法の支配、罪刑法定主義、可罰的違法性といった法理論の視点からの検討が不可欠である。これらを踏まえた適切な服務規律・懲戒の運用は、企業秩序の維持と従業員の権利保護の両立に繋がり、健全な労使関係の構築に貢献することになるだろう。- 1
