主役は講師ではなく学習者。教えるとは学習者に考えさせ、変化させること。

「教えること」の大切さが忘れられている

「教えることを科学する」
経営学習論の分野で「『大人の学び』を科学する」をテーマに研究しているが、今、書いている本のひとつに「研修開発入門」というものがある。執筆にあたって、近年の学習研究の知見を総括して「教えること」の7つのポイントをまとめたので、今日はこれをお話ししたい。

 まず、「教えること」とは何か。「教える」というと、「いまさら『教える』なの?それよりOJTでしょ?ワークショップでしょ?」と言う方が多いかもしれないが、あえて、ここに原点回帰したいと最近強く思っている。なぜなら、いま、人材育成の「振り子」が2つの極に揺れすぎていて、「教えること」の大切さが忘れられていると感じるからだ。1つ目は研修でなんか学べない、全ては業務経験しかないという「OJT・経験極」。2つ目は教えちゃだめ、気づかせることが大事だという「ワークショップ極」。しかし、OJTもワークショップも「学びの偶発性」に依存していて、要するにとても時間がかかる。効率を考えるならば「教えること」を躊躇する必要はない。
 また、社会的な文脈から見ると、企業の人材育成では、リーマンショック以降、コスト削減のなかで「研修の内製化」が進み、社内で研修開発を行う動きが高まっている。だが、講師になる社員は、「教えることなんて簡単。誰でもできるよ。しゃべっときゃいいんでしょ」というように考えていることが多いようだ。本当にそうだろうか?

 そこで、皆さんに、今「いくつかの問題」を考えて欲しいと思う。教える方法として、どちらかが適切だろうか? どちらの学習効果が高いだろうか

 (参加者は解答を考え、ディスカッション)

 人は誰もが被教育経験を持っているため、教えること、学ぶことは知っていると思っている。だが、学術の世界では、よく教えること、よく学ぶことのためにはこうすればいいといった科学的研究を行っている。その成果を知ると、皆さんの研修もよりよくなるのではないかということだ。
 前段が長くなったが、「教えること」とは何か。通常の「教える」イメージは、講師が話し、学習者が聞くこと。いいイメージはあまりない。しかし、ここで考えておきたいのは、「教えること」のためには、大切にしたい「2つの軸」があるということだ。手法は何でもいい。聞く、話し合う、活動するなど、多様な学習方法を現場に合わせて活用すればいいが、1つ目の軸は、学習者に「考えさせること」、2つ目の軸は、そのことで学習者に「変化」をもたらすこと。どういう意味かというと「学習者中心主義」、すなわち、教えることの主役は「教師」ではなく「学習者」だということだ。考えさせること、変化させることが大事なのだから、考えさせるための「情報伝達」はOK 。教えるときは自信をもって教えていい。ただし、教師が教えたつもりでも、学習者が考えず、変化しなかったら、教えたことにはならない。だから、実は、教えたかどうかは教え手には決められない。こういう考え方が、いま一番ホットな考え方になっている。

教えたかどうかは教え手には決められない

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