うつ病といったメンタル疾患で休職した従業員を職場復帰させる際、主治医と産業医の意見が食い違うことがある。それはなぜ起こるかというと、主治医は職場に関する情報をよく聞いていない一方で、産業医は治療に関する情報を不完全にしか持ち合わせていない、という「情報の非対称性」が双方に存在するからである。このとき、本来選択すべき結論とは別の結論を選択してしまい、それが労働トラブルに発展する。では、企業はどのように対応すればよいのだろうか。
傷病休職からの職場復帰時の労働契約変更をめぐる情報共有の重要性

主治医と産業医の意見相違による選択の誤り

「心の健康問題により休業した労働者の職場復帰支援の手引き」(中央労働災害防止協会)では、「主治医による診断書の内容は、病状の回復程度によって職場復帰の可能性を判断していることが多く、それはただちにその職場で求められる業務遂行能力まで回復しているか否かの判断とは限らない」と述べられている。これを根拠に、職場環境を知らない主治医は産業医と比べて職場復帰の可否に関する判断ができないから、産業医による職場復帰不可との診断が「真」であると、裁判において企業側から主張されることがある。

まず、誤解を恐れず、「統計的検定」から試論してみよう。検定は、ある現象や法則を説明するための命題(対立仮説)を証明するために、その反対の命題(帰無仮説)を設定し、検証する。「対立仮説」とは「帰無仮説が成り立たないときに選択する仮説」のことをいい、「帰無仮説」は「統計的検定によって検証される仮説」をいう。これを大まかに説明すると、「対立仮説は知りたい仮定」、「帰無仮説は検証する逆の仮定」である。検定により、「帰無仮説を棄却するか(対立仮説を支持するか)」、または、「帰無仮説を棄却しないか(対立仮説を支持しないか)」を決めるのである。

産業医の診断を対立仮説としたとき、この反対の仮定となる帰無仮説、すなわち「主治医の職場復帰可能との診断が『真』である」との仮定が棄却域に入ることが多い(対立仮説が正しい)と、「手引き」は指摘しているようにも見える。しかし、必ずしもそうではない。裁判例は、産業医の診断を採用したものもあるが、主治医の方を優先した判断を示すことは少なくない。

だが、職域では「手引き」が一人歩きして、帰無仮説(=主治医の診断)が正しいときに帰無仮説を棄却することがある。すなわち、対立仮説(=産業医の診断)を支持する「第1種の誤り」を選択してしまうことがある。もちろん、主治医の診断があるからといって自動的に職場復帰を認めてしまう、つまり、帰無仮説が正しくないのに帰無仮説を棄却しない(対立仮説を支持しない)という「第2種の誤り」が選択されるケースもある。

そして、結果のばらつきを「リスク」というが、このリスクを減らそうとするとき、「統計的検定」においては正確な情報が与えられなければならない。

しかしながら、裁判例を見ると、主治医から産業医へ、産業医から主治医へと、正確な情報が提供されていないケースが散見される。このような事案で「労働トラブル」が発生することが多いのが実情だ。それでは、うつ病といったメンタル疾患による休職者の職場復帰を成功させるには、関係者間に何が必要となるのか。

労働契約の変更場面における「情報共有」と「労働者の同意」

一般的に、契約の締結や変更の場面においては、契約当事者が契約に関する情報を共有することが前提となる。「労働契約」も契約の一種であり、労使間で「情報共有」することが必要だ。

職場復帰は、就業場所の変更、作業の転換や労働時間の短縮など、労働契約の変更を伴うことがあり、「労働法」の解釈や「労働契約」の評価が必要となる。この点について、産業医といった産業保健スタッフや人事労務担当者という組織内だけでなく、主治医などの事業場外資源との間でも共通認識にしなければならないが、そうなっていない。このため、必ずしも情報共有が十全になされず、解釈や評価の誤りが生じていると考えられる。そうすると、職場復帰の場面においては、主治医も含めた関係者が情報を共有することが重要だといえる。

情報共有の次に意識しなければならないのは、労働契約は労使の合意により決定され、または変更されることが「労働契約法」の原則であるということだ。企業は、労働条件の設定や変更において「労働者の同意」を得ることを常に意識しなければならない。

個別的労使関係においては、特に変更の場面で、労働契約の内容の解釈をめぐる労働トラブルが発生することが多い。裁判例を見ると、契約変更にあたって、労働者の同意を得ていないケースが少なくない。

だからといって、単に労働者から同意を取ればよいのかというと、判例上はそうではない。キーワードは「自由な意思」である。特に「労働条件の不利益変更」の場面では、労働者に自由な意思を形成してもらうためにどのような説明を行い、何に配慮すべきであるのかが、労務管理において求められる。

この感覚を磨くことが労働トラブルを防止するために必要だ。その意味で、企業の経営者や人事労務担当者だけでなく、産業医といった産業保健スタッフも、労使関係における契約の観念を意識した方がよい。主治医は労働契約の当事者ではないが、労使双方を補完する役割を分担しているといえるから、同じく労働契約を意識することが望ましい。

関係者が労働契約の変更場面である職場復帰において、必要な情報を共有した上で、労働者から自由な意思に基づく同意を得るために、丁寧な対応をすることが求められている。これが、うつ病といったメンタル疾患による休職からの職場復帰が成功する主因となるだろう。
佐久間大輔
つまこい法律事務所
弁護士
企業のためのメンタルヘルス対策室
https://mentalhealth-tsumakoilaw.com/

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