成毛 眞 著
三笠書房 1260円

 成毛氏の著作はいずれもおもしろい。今回は努力にまつわるウソを槍玉に挙げている。本の趣旨はまえがきに書かれている。「頑張れば必ず人生は変わる」「努力をすれば必ず夢は叶う」と学校で教えられ、大人になっても英会話、資格、話し方、自己啓発セミナーに励む人がいる。すべてが無意味。「このムダな努力をやめなさい」というわけだ。
このムダな努力をやめなさい──「偽善者」になるな、「偽悪者」になれ
成毛氏自身は「頑張らない」「我慢しない」「根性を持たない」という三原則をモットーにしてきたそうだ。若い頃も、マイクロソフトの社長のときも、今も、これからもそうだと書いている。

 成毛氏はすべての努力を否定しているわけではない。やめるべきなのはムダな努力だ。「日本人の9割に英語はいらない」という著書では、いくら英会話を勉強してもほとんどの日本人は有効に使う機会がないことを強調していた。
 なんとなく将来に役に立つ、キャリアに有益だ、という漠然とした動機で努力する人が多く、努力はいいことだと、なんとなく奨励する風潮がある。そして新聞・雑誌や電車内の広告には英会話や資格取得、そして自己啓発本の宣伝が蔓延している。
 しかし、すべての努力には「時間」「お金」「労力」がかかる。コスト意識を持たず、単に努力している人が多い。これがムダな努力である。別の言葉を使えば「頑張るな」「根性を出すな」と言うことだろう。

 自己啓発本には「必ず」という言葉がよく使われているが、もちろんウソである。自然科学の実験なら、こういう条件でAとBの物質を混ぜれば「必ず」Cになる。しかし、人間は自分のことだってよくわかっていない。恋人同士だって二人の人間関係がどうなるのか、わからない。会社が数年後に存続し、自分が勤めているかどうかもわからない。年金がもらえるかどうかもわからない。そういう不安定な未来に向けて努力するのはムダなのである。
 もっとも成毛氏はすべての努力を否定しているわけではない。こう書いている。「二〇代はめいっぱい働くほうが圧倒的に仕事ができるようになる。同僚が合コンで浮かれているときに仕事に打ち込んでおけば、頭角を現し、出世コースに乗るのも夢ではなくなる」。ただし三〇代になってから必死にビジネス書を読んで「できるビジネスマンになろう」と努力してもムダ。時すでに遅し、である。

 本書は成毛氏の日本と日本企業と日本人に対する批判としても読むことができる。各所にどきりとさせられる指摘がある。たとえば、戦後の日本人は「いい人」「善人」を好むようになったと書かれている。その典型が「釣りバカ日誌」だ。善人しか出てこない。そして善人を好む日本人は謝罪を好むようになった。外交で「遺憾の意」をひたすら表明し続けるのはそのためだ。
 親鸞聖人の教えに「善人ばかり家庭は争いが絶えない」というものがあるそうだ。善人ばかりなら穏やかな家庭になりそうだが、善人は自分が常に正しいと思っており、相手が自分と違う考えや行動を取ったときに「悪」と決めつけてしまう。
 いまの日本は善人になりたがる人ばかりなので、些細なことで責め合いギスギスしていると成毛氏は言う。

 ギスギスしている好例は電車やバスの中の携帯電話だ。若者が車内で携帯電話を使って話していると、睨み付けたり叱り飛ばしたりする中高年がいる。「しかし」と成毛氏は書く。「ところかまわず大声でお喋りしているおばちゃんは許され、なぜ小声で話すのは許されないのか」。ちなみに車内の携帯電話の使用に目くじらを立てている国は日本だけだ。
 優先席付近では電源を切るように車内アナウンスが流れる。ペースメーカーが誤動作しないようにするためだが、もちろんこれまでに誤動作事故は一件も起きていないし、ペースメーカーを体内に埋め込んでいる人も携帯電話を使っている。根拠があって規制しているのではなく、雰囲気で規制する国が日本。そして「車内の携帯電話使用不可」という常識に洗脳された善人は、常識を守らず車内で携帯電話を使う若者を規制しようとムダな労力を使う。
 車内の携帯電話に限らない。エネルギー問題でも財政問題でもムダな議論が多いのではないだろうか。

 さて、ではどうやって人生を過ごしていけばいいのか。その知恵は第2章に「ムダな努力と縁を切る、12のルール」で説かれている。まず「物事に執着しない」。すぐにあきらめてはいけないという価値観が蔓延しているが、下手にこだわるのはムダな努力。発想、思考、行動を自由にしなくてはならない。
 そして「あっさり妥協する」。成毛氏は「人生で固執しなければならないことなど、ほとんどない」から、相手が別の提案をすれば即座に受け入れる。そういういい加減さがビジネスでは大切と考えている。
 他にも「できる人を演じる」「無理して社交的にならない」「下らない人間と付き合わない」など少々過激な内容が書かれている。

 現代の日本人は過剰に自己啓発したがるので、本書は解毒剤として有効だと思う。しかし目標を実現できない努力のすべてがムダという主張はやや暴走気味のように思った。
 たとえば英会話ブーム。TOEICを運営している国際ビジネスコミュニケーション協会によれば、2011年度のTOEIC受験者数は約227万人で、10年前より約100万人も増加した。TOEFLや英検を合わせれば、現在の受験者数は400万人に近いと思う。グローバル化の進行は避けられないから、最大公約数の能力として英語力を身につけるのはいいことだと思う。業務に活かすことが無くてもいいではないか。
 会社の実務のために勉強しているビジネスマンもいるだろうが、自己の語学リテラシー向上のために勉強している人も多いはずだ。わたし自身も英会話教室に通っているが、目標を定めているわけではなく、楽しいからだ。相当量の本を読むが、それも功利的な目的のために読んでいるわけではない。面白いからだ。
 成毛氏も同趣旨を述べている。「要は、やりたくもない勉強を嫌々やっていても身につかない。好きなことを追求して、それが身についたときに無上の喜びになる」。その通りだと思う。人間は好きなことしか努力できない動物だ。
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