
法的な黒白では片づけられないこと
――「法的潔白」と「社会的責任」の乖離
新浪氏が主張した「法的潔白」と、世間が彼に求めた「社会的責任」の間には、大きな乖離が認められる。法的に問題がないとされても、巨大企業のトップが、社会的に物議を醸す行為に関わったという疑惑そのものが、企業の信用を揺るがす。企業は、製品やサービスを通じて社会に影響を与えるにとどまらず、その活動全体や経営陣の振る舞いを通じて、社会との信頼関係を築いているのである。この信頼は、一度損なわれると回復に多大な時間と労力を要する。
日本の企業文化では、これまで「法を守っていれば問題ない」という考え方が主流であった。しかし、SNSの普及により、個人の言動が瞬時に世界中に広まる現代では、経営トップの一挙手一投足が、企業のブランドイメージに直接影響を与えているわけだ。サントリーホールディングスというグローバル企業にとって、この疑惑は単なる個人的な問題ではなく、企業のガバナンスと倫理観そのものが問われる事態だったと言えるのだろう
ノブレス・オブリージュの精神は見えざる規範
19世紀にフランスで生まれた「ノブレス・オブリージュ」という言葉がある。この言葉は、高い社会的地位や財産、権力を持つ者が、それに見合った社会的責任や義務を果たすべきであるという欧米社会に浸透した道徳観である。元来、貴族階級に求められた道徳観であるが、現代のグローバル社会では、経済的な成功を収めた企業やそのトップに当てはまるものと解釈されている。それは単なる慈善活動や社会貢献といった目に見える行為だけでなく、日々の言動、そして「見えない部分」での倫理的な判断にまで及ぶ。
新浪氏のケースでは、問題となったサプリメントの購入が、企業のトップとしてふさわしい行為であったかどうかが問われた。消費者の健康や安全に関わる事業を手がける企業のトップが、その安全性が疑われる製品に手を出すことは、例えそれが個人的な行為であったとしても、倫理的に許容されるものではない。
ここには、「高い地位にある者は、高い倫理観をもって行動しなければならない」という、ノブレス・オブリージュの精神が欠けていたと言わざるを得ないのである。
グローバル企業に求められるガバナンスと倫理観
欧米の先進企業では、経営幹部の行動規範は、企業のガバナンスの一環として厳格に定められていることが通例である。それは「企業行動憲章」や「倫理規定」といった形で明文化されており、違反した場合は厳正な処分が下される。これは、経営トップの不適切な行動が、株主価値の毀損やブランドイメージの失墜に直結するという認識があるからである。グローバル企業は、世界中の消費者や投資家と向き合ってビジネスを展開している。彼らは、単に国内の法律を遵守しているかだけでなく、国際的な基準に照らして倫理的な行動をとっているかを厳しく評価されているわけだ。
失われた信頼をノブレス・オブリージュで取り戻そう
新浪氏の一連の行動は、疑惑の真相がどうであれ、企業トップに課せられる倫理観の重さを改めて示唆してくれたのではなかろうか。グローバル社会で企業が生き残るためには、法令遵守という最低限のラインを超え、「法的に潔白」以上の、高い倫理観と社会的責任を経営トップが自ら体現していく必要がある。今、日本の企業に求められるのは、この一件を教訓として、経営陣の行動規範を見直し、ノブレス・オブリージュの精神を組織全体に浸透させていくことだろう。それは、単に規則を厳しくするだけでなく、社会の期待を常に意識し、透明性の高いガバナンス体制を築くことではなかろうか。
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