「コンプライアンス」という言葉は、多くの人が「法令遵守」と理解をしているだろう。もちろん間違いではないが、法人・個人を問わずこの理解が、社会生活の中ですべからく通用するかといえば「はい」とは言えない。本稿では、その「法令遵守」ではない理由と「コンプライアンス」の本質について解説していく。
「コンプライアンス」を「法令遵守」とだけ解釈したとき、企業等の“社会的評価”にどんな影響が出るのか
「コンプライアンス」は英語では「compliance」。だがこれは、動詞の「comply」に接尾辞がついた“名詞”となる。では「comply」の意味はというと、「(要求や命令などに)従う、守る、応える」などの意味がある。つまり、「コンプライアンス」には、「人々の期待・要望に応える」という意味が含まれているのである。

例えば、企業にとって期待に応える相手とは誰だろうか。それは、「お客様」、「地域社会」、「株主」、「社員」などのステークホルダーはもとより、地球規模で開発目標が示されている“SDGs”のターゲットなども含まれることになるだろう。

下の図は、弁護士・郷原信郎 氏が提示されている「フルセット・コンプライアンス」を示したものだが、「法令遵守」に加え、「社会的規範」や「企業倫理(モラル)」を遵守することも「コンプライアンス」に含まれるとする考え方となる。いわば、「社会の要請に応える」という捉え方だ。
フルセット・コンプライアンス
たとえ法令違反をしていなくても、現代社会の「社会常識に反する行動」をとった企業は、マスメディアや消費者から厳しい批判に晒される。企業は社会的存在であることを決して忘れてはならない。時代とともに、企業の「社会での役割(アサインメント)」や影響力は大きくなっている。「コンプライアンス」の日本語訳に囚われ、「法令遵守」だけをテーゼとしていても、「社会的評価」は上がらず、かえって時代遅れ企業であることを表象しているようなものである。

政府においても同じような状況にある。数年前に起きた「財務事務次官によるセクハラ問題」は記憶に新しいが、その際、行政トップが「セクハラ罪という罪はない」と言い放った。この発言は、閣議決定を経ての答弁だったそうだ。最近では、総務省の接待問題が世間を賑わせたが、これも同根である。そこには「セクハラは法に違反しているか否かにかかわらず、人としてやってはいけないことだ」とか、「許認可権限を持つ官庁が利害関係者と宴席を設けることが不正の温床になる」という、「社会一般の常識」が欠落しているのだろう。

さらに、イギリスの有名老舗ブランドは2018年の決算で、ブランドを守るため3,700万ドル(約40億円)相当の売れ残った服やアクセサリーを廃棄(焼却)処分したことを発表した。だがこの対応を、ソーシャルメディア上で厳しく批判され、同社は早々に「今後一切、売れ残った商品を焼却処分しない」と発表せざるを得なかった。このブランドは、少なくとも「法令違反」をしたわけではない。企業財務の常道からすれば、不良在庫を廃棄することは正しい選択だ。しかし、それを許さないのが現代社会なのである。

このように、官・民を問わず「コンプライアンス」にまつわる問題が顕在化している現代。取り返しがつかない状況になる前に、各企業も自社の「コンプライアンス」を見つめ直していただきたいと思う。法令遵守にとどまらず、「人権の尊重」、「環境への配慮」、「職場環境の改善」、「顧客とのかかわり」や「取引先との相互発展」、「地域社会との共存共栄」、「株主との関係性」、「政治や行政との距離感」など、これまでの「コンプライアンス」を超えた新しい経営の美学が必要な時代になっているのは確かだ。これは言葉を換えれば「ビジョン」といっていいかもしれない。経営者は大いに「ビジョン」を語らねば、次代の経営から取り残されてしまうかもしれない。
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