MSCでの思い出はいくつもありますが、中でも一番心に残っているのは、MSCの創立から30年間の歩みを纏めた社史の発行です。これは、社の歴史をDVDと冊子にまとめたものです。
第16回 役職を離れてから、何をしたか、振り返る
冊子には、それまでの全ての資料、写真、外部の先生方のご指導や、お客様からのアドバイスなどをまとめました。1995年から準備を始めて、発行が1996年の9月6日。およそ1年もの時間が掛かりましたが、期日に間に合ってお客様や社員に届けることが出来たのは、編集を担当したグループ全員が、自分の時間を割いて一生懸命関わってくれたからです。あまりに力を入れ過ぎて、分厚く重い冊子になったため、皆様にお持ち帰り頂くのが申し訳ないくらいでした。

日頃から「会社とは創業後30年ぐらいで潰れるもの」という言葉を聞いていたので、常に不安はありましたが、できたばかりの30周年記念の冊子を前にして、これからは一層気を引き締めてしっかりとした運営をやっていかなければ、と思いました。

相談役という肩書きになった時、これからは一歩一歩、下り坂を降りて行くのだから行動を少し控えめに、と思ったのですが、後になってデータを見ると、役員会に出ないことを決めただけで、その他の動きはあまり変わっていませんでした。

1997年には、DDI社のお誘いでタイ国に行ってMSCの紹介セミナーを開催したり、ロンドンで開かれたアセスメント国際会議に出席して、バイアム博士のロンドンの家に泊まったり、DDI社との交流に社員を大勢連れて行くなど、一線を退いたつもりが、結局私が主役になって仕舞ったようでした。

その後、相談役から顧問になってからも、今日まで相変わらず、会社に行かせて貰っています。顧問と言えば、ご隠居さんとも言える役割です。顧問たるもの、その時の行動はいかにあるべきかと、実は少々悩みます。私が会社に行くとみんなが部屋に顔を出してくれ、いろいろ話をしてくれます。それは楽しく嬉しいのですが、みんなの話を聞くことのみにし、我が口は巾着のように引き絞めることにしなければと、自戒しています。私の役割はあくまでも外の世界に向けての「MSCのセールスおばさん」、それでお役に立てればよいと思っています。

30周年もとても感慨深いものでしたが、あれよあれよという間に、2016年には50周年を迎えることが出来ました。これを可能としたのはひとえに、DDI社の交流と、MSCをご愛顧くださるお客様、ご指導頂ける心理学の先生方、人事制度について情報を教えてくれる先輩たちのおかげです。

年齢は争えないもので、90歳を過ぎた頃から仕事の処理に時間が掛かるようになりました。そんなこともあって最近、古い書類の「断捨離」を始めました。この作業によって、改めて、昭和40年代の女子社員教育内容から今日までの変遷、アセスメント・プログラムで顧客から求められる能力要件項目の移り変わりなど、時代の変化やグローバル化の進展に驚かされます。それだけに、何歳になっても、未来のある若い人達と話し、異文化に触れ、今後の有り様を考え、未来を覗くのは、私にとって大きな楽しみです。

私は何時もみんなに言います。「愚痴や陰気な話をすれば、それが大好きな厄病神や貧乏神が周りに寄ってくるから、前向きで陽気な話で追い払いなさい」と。私はこれまで沢山の病気をしましたが、何とか今まで長く生かして貰えたのは、明るく前向きな話で災厄を追い払ってきたからだと思ってきます。しかしこんな言葉もあります。「死神はそっと後ろから忍び寄るから姿が見えず、逃げようが無い」と。そのつもりで私も腹を決めなくてはと思うのですが、もし、忍び寄ってきた死神の気配に気付いたら、その時は「孫の手で押さえてやろうか」とも思います。 
    
世の中の動きは女性社員の活用を目指しているので、その傾向の中で、社長として起業する女性や、大企業のOLから課長、部長として昇進して経営陣に参加する女性や、子会社の女性社長になるケースなども増えてきていて、頼もしい限りです。経営という山に自ら元気よく登る人もいますし、私のように担ぎ上げられて戸惑う人や、心配し不安に思いながら引き受ける人もいるでしょう。

でももしその椅子に座ることになったら、腹を決めて、みんなの協力を得ながら、どっしりと座ってください。そして、そこからの下り方も人それぞれでしょう。その点については、私も顧問になって長く経ちますが、今も悩んでいます。男性には多くの参考例があるでしょうが、女性には先人の例が少ないので、自分で作っていかねばなりません。でも、女性らしく、綺麗な形にしていきたいですね。
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