"空、雨、傘"という言葉をご存知だろうか?これは、(1) 空を見ると曇っていて(事実)、(2) 雨が降りそうだから(解釈)、(3) 傘を持って出かける(行動)、そうすればいざ雨が降ってきても傘をさして濡れずに済む、といった具合に、事実を解釈して行動につなげるという、意思決定において有用な思考様式を端的に表したフレーズである。この一見シンプルなプロセスも、ビジネス上の出来事に当てはめるとその遂行は必ずしもたやすくはなく、雨の日に傘がなくて困った経験が読者の皆様にもおありではないだろうか。
弊社とも関わりの深い企業年金業界で最近降った雨と言えば、AIJ投資顧問の件は非常にショッキングな出来事であった。ただ、このような事件性の強い事柄は別にしても、企業年金には実に様々なリスクがつきもので、担当者の方々は自社の年金制度を雨に濡らさないよう、リスクマネジメントに日々心を砕いておられることと思う。そして、そのような取り組みのサポートにこそ、我々アクチュアリーの存在もまた生きてくる。


 アクチュアリーは、とかく確率や統計といった小難しい数学の専門家という認識を持たれる(こうした一面は確かにある)が、米国アクチュアリー会の定義によると、"a business professional who analyzes the financial consequences of risk"、即ち、リスクの専門家であり、数学はあくまで道具に過ぎない。冒頭のフレーズに沿えば、アクチュアリーとは、リスクの空模様を読むことに長けており、雨が降る可能性を人に伝え、お望みとあらば傘をも差し出す存在である。


 ただ、リスクと一口に言ってもその種類は多岐にわたるため、弊社の年金・財務リスクコンサルティング部門では「リスクあるところにアクチュアリーあり」と銘打ち、国内の企業年金制度だけでなく海外の企業年金制度、健康保険組合、ストックオプションなど、ヒトとカネの絡む人事組織上の仕組みに係るリスクに対応するための種々のサービスを提供している。


 企業年金ひとつをとっても、(極度に単純化しているが)具体的な要望に応じて年金ALM(Asset Liability Management: 年金債務の特性に応じた年金資産配分の適正化)のご提案を行う (適切な傘を渡す) こともあれば、M&A時のデュー・デリジェンスにおけるリスク要因の洗い出し(雨が降りそうか伝える)や、年金制度改定を見据えた現行制度の状況分析(一緒に空を見ることから始める)を求められることもある。


 こうした経験を通じて感じるのは、こと人事組織上の仕組みに係るリスクという事柄については、雨に備えて傘を持っておくどころか、空すら見ていないケースがままあるということである。また、危機意識を有するのが一部の担当者のみで、それが組織内でなかなか共有されていかないという問題も散見される。


 企業年金に関しては、多くの日本企業において、そのリスクは概念として認識されていても、会計上の債務や引当金がどの程度で、他社と比較してどういう水準にあって、コーポレートファイナンスの観点から財務上のリスクとなりうるのか否か、といった具体的な問題を提起し対処していくための系統的な取り組みは、欧米企業でのそれに比べて未だ発展途上であろう。


 これが、海外支社の退職金や年金制度の話となると、そもそも各国でどのような制度をどう運営しているか、といったことの確認にすら一苦労という状態が、一般的ではないだろうか。しかし、このような事項への対応は、企業がグローバル化を志向し、その事業や組織を進化させていく中で、経営上の意思決定を適切に行い、ステークホルダーへの説明責任を果たしていく上で、不可避なものであるはずだ。


 2011年を振り返ると、日本企業にとって様々なリスクが顕在化した大雨の年であったと言える。3月の大震災ならびに原発事故、タイでの洪水、欧州での金融危機に歴史的な円高など、日本企業に対する悪材料は枚挙に暇がなく、その多くは、2012年も既にその1/4が経過したのだが、依然好転の兆しを見せていない。一方で、2011年の日本企業による海外企業のM&A(In-Out)は買収金額ベースで過去最大注となり、日本企業の成長を賭けたグローバル化への試みは、その勢いを増している。


 企業年金の世界では、今年は法令が改正され、今後も国際会計基準の導入による退職給付会計の変化が予想されるなど、リスクの雲行きを変える新しい風が吹いている。それが企業にとって、雨を呼び込む逆風とならないことを祈るばかりだが、当世のような厳しい環境下でこそ、リスクに対する意識の差が事業に与える影響も大きくなるのではないだろうか。


 日々空を見ているかどうかなんて、字義通りに捉えると甚だ愚問だが、リスクの話となればNOという答の数も増えてくるはずだ。況や雨の日の傘をや、である。多くの企業において、そのさらなる発展のために、適切なレベルでのリスクマネジメントが、事業の拡大と同程度に重要視されるようになることを望んでやまない。そして、何かリスクに関する問題でお困りの際には、マーサーの名前を思い出していただければ幸甚である。
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