労働・社会保険関係法令の誤運用は思いのほか多い
企業には労働・社会保険関係法令に則した経営を励行する義務が課されている。この義務を蔑ろ(ないがしろ)にすれば、懲役刑・罰金刑が科されることさえある。ところが、法律の運用を誤っている企業は決して少なくない。理由は「法律の定めを正しく理解できていない」、「法改正が行われたことを見落としている」などだけではない。「法律を自社に都合よく解釈している」、「意図的に違法行為に手を染めている」などのケースも散見される。
労働・社会保険関係法令の誤った運用は、企業経営に甚大な損失を与えるものである。「労災事故が発生する」、「社員の離職が増加する」、「労働基準監督署から行政指導を受ける」、「社員から訴訟を提起される」など、数え上げればきりがない。
企業がこのようなトラブルを回避して持続的な成長を遂げようと思えば、誤った法運用の有無を定期的に確認して経営の軌道修正を継続的に行うことが必要だ。そのために実施される取り組みが「労務監査」である。
労務監査として機能しづらい「内部監査」
社内に監査部門を有する企業の経営者の場合には、前述のように「定期的に内部監査を実施しているから、外部による労務監査は不要である」と考えるケースもあるようだ。しかし残念ながら、内部監査は労務監査の機能を十分に果たし得ないものである。理由は3点ある。1番目は、内部監査は必ずしも労務監査を目的とした取り組みではないからだ。
一般的に、内部監査は「労働・社会保険関係法令にたがわぬ経営をしているか」だけを確認する目的で実施されるものではない。業務監査や会計監査、セキュリティー監査などのさまざまな監査項目のひとつとして労務監査を実施するのが通常である。そのため、十分な時間をかけて監査を行うことが困難なものだ。また、そもそも内部監査の項目に労務監査が含まれていない企業も数多い。
2番目の理由は、監査部門の社員は必ずしも労働・社会保険関係法令に精通しているわけではないからである。
通常、内部監査は監査部門に所属する社員によって実施される。当該社員は残念ながら労働・社会保険関係法令の専門家ではない。そのため、「必要な書類が揃っているか」などの形式的・表面的なチェック機能しか有さず、企業行動をリーガル面で精査する力を有していないものである。
最後の理由は、不都合な事実が隠蔽されることがあるためである。
内部監査を実施する社員が社会保険労務士や弁護士の資格を有している場合、職場で発生しているさまざまな行為・現象について、労働・社会保険関係法令に照らし合わせたデューデリジェンスを実施することも可能であろう。
ただし、監査の結果として不都合な事実が明らかになった場合、「このことを経営陣の耳に入れるのはまずいから、報告書に記載するのは辞めよう」などと、内部の論理で事実が歪められることも少なくない。そのため、信頼のおける監査結果が得られるとは限らないのである。
人事労務部門は自浄能力を発揮しづらい
内部の人材を使用して労務監査を実施する方法の中には、人事労務部門が監査を行うという手法もある。人事労務部門は労働・社会保険関係法令を遵守した企業づくりの当事者なので、監査部門の社員よりも法令の内容に明るい人材が多いものだ。ところが、一般的に人事労務部門は労務監査の実施に消極的なケースが少なくない。万一、法令の運用誤りが発見された場合には、自身の誤りを認めなければならないこともあるからである。
「これまでの取り扱いが間違っていた」という事実を経営陣に報告するのは回避したい。そのような思いから、労務監査の必要性を認識しているにもかかわらず、実施に踏み切れないということもあるのである。
組織の中で自らの誤りを積極的に認め、軌道修正をすることは容易ではない。加えて、労務監査は法定された制度ではないので、監査実施に消極的になりがちな人事労務部門が多いのも分からないではない。
有効な労務監査を根付かせるには経営者の意思が必要
労働・社会保険関係法令をたがえた経営行動は、あらゆる企業トラブルの温床となる。被害を発生させないためには、誤りや不正の芽が小さいうちに潰しておかなければならない。しかしながら、社内リソースを活用した労務監査では上記のような理由から、有効な監査が行えない。従って、労務監査は外部の専門家・専門機関を活用することが必要になるわけである。ただし、そのためには経営トップが自ら「外部労務監査を導入すること」を意思決定し、トップダウンで指示を下す必要がある。経営者がそのような意向を明確に持たない限り、社内の監査部門や人事労務部門が「外部労務監査を取り入れたい」と申し出るケースは決して多くないであろう。
昨今では、IPOを目指す企業が主幹事証券会社から「外部労務監査を受けるように」と要求されるケースも増加している。労務リスクを自社リソースだけで把握・改善することは困難だからである。ぜひ、定期的な外部労務監査の実施を検討していただきたい。
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