『上司力』というと色々な能力が含まれているが、その能力の一つが部下を活かし、育てることである。このことに異議を唱える方はほとんどいらっしゃらないであろう。人が利益を生む、会社の財産になるからである。しかし、こと部下の育成にあたっては、『部下力』というものも必要にはなってくるのではないだろうか。いくら教えても、最初から自己流に変えてしまったり、ある程度、慣れてきた段階でも自分で改良していこうと考え、行動を起こさないでいる主体性のない部下では、上司も活かしようがない。育てようがないからである。
『上司力』と『部下力』

重要なのは、「ほめる」「叱る」「教える」の3要素

最初は、写経の精神でそのまま素直にやってみるのが肝要ではないだろうか。100%自分では考えないという意味ではない。その点は誤解を事前に解いておく必要はある。
写経の精神、すなわち「指示されたことを、素直に実行する精神」でやっていくと、物事はある程度は必ずできるようになる。もし、部下ができるようになっていないのであれば、それは上司力のなさが原因であろう。
大切なのはその後、慣れによって生じる余裕を活用し、改良していくことである。「こんな言い回しが、お客様にとってはわかりやすくありませんか?」「もう少し言葉を足したいです」等々、与党精神を発揮してもらうことである。ただ、そのためには、与党精神を発揮しやすい場や環境、ムードをあらかじめ創っておくことが必要である。
この場創りに必要なのが、「ほめる」「叱る」「教える」という3つの要素である。このバランスが上手くとれれば、土台としての「場」ができ、ムードが生まれ、人が育っていくのである。とはいっても、実践しきれないのが、同じく「ほめる」「叱る」「教える」の3つでもある。仕事をこなしている中では、この3点を実践していく気力がわきづらいのも現実である。
また、「ほめる」が「嫌味」にならないか、「叱る」が「パワハラ」にならないか、「教える」が「自己満足」に陥ってしまわないか、という不安があり、「叱る」ことを躊躇してしまうのかもしれない。
「嫌われたくない」、「人間関係がぎくしゃくしないだろうか」、「モチベーションを下げてしまわないか」という不安もあるかもしれない。

奥深い「怒る」と「叱る」の違い

その不安を解消するにはまず、「怒る」と「叱る」の違いを理性に覚えさせることである。
「怒る」とは感情的に腹を立てるだけでなく、それを回りにぶつけて不満や鬱憤を解消するにすぎない行為である。自慰行為であり、相手がどう感じるかも考えていない。
「叱る」とは、思いやりを下敷きに問題点を具体的に提示、反省を促し、改善させるアドバイスである。
端的に言えば、「怒る」=「自分を慰めている」にすぎず、「叱る」=「しなやかさが必要でかつ、根性もいる」わけである。「やさしさは根性だ」とは、フランスでも著名な某日本人映画監督の言である。
「怒る」=「自慰」である以上、利己的になる可能性が高く、判断力が低くなり、判断を誤る確率も高くなるのである。会社としてそのような人財に重要な仕事を任せられるだろうか。
「ほめる」「叱る」「教える」によって、ムードが生まれ、場が創られ、信頼へつながるわけである。本当に大変なことであり、また重要な仕事の一つでもある。数字に基づいた経営判断と同じくらい重要度が高いのである。だからこそ、経営者やトップ、リーダーが率先していく必要がある。私自身もまだまだ精進中の身であるが、自戒の意味を込めて伝えたい。軋轢を恐れて、面倒くさがって「叱る」ことを放り出してはいけない。

アーネスト・ハート 社会保険労務士 竹内 元宏

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