「職場や地域社会で多様な人々と仕事をしていくために必要な基礎的な力」として、経済産業省が2006年に打ち出した「社会人基礎力」。その定義づけを行った研究会に座長として参画し、現在も、この概念のさらなる普及・浸透に取り組まれている法政大学大学院の諏訪康雄教授に、「社会人基礎力」の概念がどのようにつくられ、学生、大学、企業をどのように変えようとしているのかをお聞きしました。

十分条件でなく必要条件に絞り、行き着いた「3つの力」

--社会人基礎力」の概念はどのように定義されたのですか。

第4回 「社会人基礎力」の概念はなぜ生まれたか。 学生、大学、企業はどう変わるべきか。
日本の若者の問題についての危機意識を背景に、2005年に、経済産業省がソーシャルスキル、すなわち社会関係のなかで必要とされる力にフォーカスして、産学の有識者による研究会を立ち上げ、そうした力とはどういうものか、概念づくりを行うことになりました。
しかし、議論を始めると、社会に出て有為な人材になるためには、こういう力が欲しい、ああいう力もあった方がいいと、人材への要求が際限なく広がっていきました。ある委員は、「これからはグローバル化の時代だから、語学も英語以外に1カ国語か2カ国語できて、海外に行ったり海外の人と交流したりしたときに一目置かれるような人材を育てるべきだ」とおっしゃった。素晴らしい指摘ですが、実際に日本の企業にそういう人がいるのかというと、ほとんどいないでしょう。
そこで、必要不可欠な最低限の条件である必要条件と、そこにさらにこういうものがあったらいいですねという十分条件を分けて議論しようということになりました。必要条件に限定し、最低限これがないと困る条件に絞りました。一緒に仕事するのはつらい人はどういう人かを絞りこんでいくと、結果は「なんだ、3つじゃないか」となったのでした。
まず、「今の若者は指示待ち型が多くて困る」と皆さんがおっしゃる。そこで「前に踏み出す力」が必要ですねとなり、次に「マニュアル人間が多くて困る」、もっと臨機応変に自分の頭で考えることが必要だということから「考え抜く力」が出てきました。さらに、自分なりに行動して前へ踏み出し、自分なりに考えて工夫をしても、社会には一人だけで完結できる仕事はまずありませんから、「チームで働く力」がないと困る。この3つの力があれば、多少の欠点があっても職場で一緒に仕事ができますねということです。

--日本の若者の「社会人基礎力」の現状をどう見ますか?

人は子供の時から家庭教育、地域教育、学校教育を受け、社会に出ても職場教育や、地域活動を通じた社会教育など、いろいろな側面で教育体験をしていきますが、どうもこれら全てが社会人基礎力を弱める方向に進んできてしまったのが、戦後の高度成長期以降の流れではないかと私は見ています。
まず、家庭教育が変わりました。大家族がなくなって核家族になり、平日は父親が不在、母親もパートを含めると仕事を持つ人の方が多い時代です。親戚づきあいも減り、兄弟姉妹も減り、家庭のなかで社会関係、人間関係をうまく処理する力がなかなか育たなくなっています。
地域の教育力も落ちています。近所の子供が悪さをしたらしかってくれる大人が少なくなりましたが、それも道理で、日本の就業人口のうち自営業が激減し、今は勤め人(雇用されて働く人)が9割近くです。平日の住宅地に大人がいなくなり、お祭りなど地域の様々な活動も、そこで社会性が磨かれるのですが、担い手不足でできなくなったり、縮小したりしてきました。
学校教育も、受験体制中心型になって運動会や学芸会といった行事や生徒会、部活動などがさかんでなくなり、学校で子供同士が分業と協力の関係を学ぶ機会が失われてきました。受験勉強では、「考え抜く力」はそれなりに鍛えられますが、自分が何点取るかが全てで、社会に出たら企業が最も重視する「チームで働く力」は無関係です。これは人材育成の観点からは、非常に大きな問題です。
職場教育も変わりました。非正規社員が増えたこともあり、昔のように、多少頼りない新入社員が入社してきても、濃密な先輩後輩関係や上司部下関係のなかで会社が鍛え直してくれるような時代ではなくなっています。
このように、今の日本は、放っておけば社会人基礎力のかなり欠けている人が自動的にたくさん生まれるシステムをつくってしまっているのです。

若者のソーシャルスキルの欠如は先進国共通の問題

--大学教育の方向性はどのように変わっていくべきだと?

第4回 「社会人基礎力」の概念はなぜ生まれたか。 学生、大学、企業はどう変わるべきか。
知力、体力とは異なるソーシャルスキルというような力が足りないまま、若者が社会に出るというのは、実は、先進国が共通して抱える問題です。アメリカでは、大学の学部教育(=College)のミッションをCollegeの語の各文字を頭にして、Communication/Organization/Leadership/Logic/
Effort/Group/Entrepreneurship
といった力を若者に身につけさせることであると最近いわれることがあります。コミュニケーション力、組織を編成する力、リーダーシップ、論理的に考える力、目標達成のために力を集中させて計画通りに進める力、チームワーク、そして起業家精神というものですが、面白いことに、全て「前に踏み出す力」、「考え抜く力」、「チームで働く力」のいずれかに当てはまります。
このように、国際的にも大学教育の方向性は変わりつつあり、社会人基礎力の育成をもっと意識的に行っていく必要があると思えます。例えばグループを作って調べさせる、プレゼンさせる、フィールドに出してインタビューをさせるなど、大学の授業は工夫すれば相当に変えていけると思います。私の学部ゼミでは学生がそういう課題に熱心に取り組んできました。

--若者の社会人基礎力を高めるために必要なことは何でしょうか。

企業などと連携してプロジェクトに取り組みながら学ぶPBL(Project-Based Learning)をいろいろやってきたなかで、外部研究機関と一緒に今の都市型地場産業の調査を行うプロジェクトをたて、東京の二つの区にある170ほどのアニメ産業関連会社などを学生たちが電話帳で調べ、訪問し、インタビューしてまとめたことがありました。すると、電話でアポイントを取るにも、最初は足が震えるほど緊張しながら、自分らで一生懸命つくったマニュアルを片手に不器用なやりとりをしていますが、最後は上手になり、臨機応変にたたみかけるように話すようになったのでした。
つまり、人は自分の能力よりも少し背伸びをする、あるいは少し高めの責任を負うときが絶好の成長機会になります。筋肉と同様、人の能力もストレッチしないと伸びません。と同時に、やみくもにやってもだめで、マッピングして計画的に機会を与えることが重要です。また、同じ経験をしても気づきがなければ学びとれません。リーダーが気づかせてあげることが大事で、気づくか気づかないかで人の成長は全く違います。

中堅層になってから社会人基礎力を養成しても遅すぎる

--社会人基礎力という概念を、企業の人事はどのように捉えればよいでしょうか。

第4回 「社会人基礎力」の概念はなぜ生まれたか。 学生、大学、企業はどう変わるべきか。
企業のなかで社会人基礎力が十分伸びないまま部下を持つ年代になっていく人が増え、今、グループリーダークラスが非常に問題だといわれています。その背景には、先程お話しした様々な問題の積み重ねがあると見るべきです。学力と同様、社会人基礎力も基礎から積んでいく必要があり、1日や2日頑張ったからといって、急に身につくわけではありません。ミドルエイジになってからでは遅いので、入社してきた若者に対して、社会人基礎力への気づきをあたえ、早い時期から意識的に身につけさせることが重要でしょう。
また、社会人基礎力は働く現場の実態に即して定式化した概念ですから、新卒採用する際の尺度としても機能します。もともと、私たちが社会人基礎力を考えたときに参考にしたのが、多くの企業で実施するようになっていたコンピテンシー採用なのですが、第一線で活躍する10年選手をモデルにつくられたコンピテンシーは、まだ働くまえの学生にはハードルが高すぎます。ですから、これをもう一段簡素化し、要素を抜き出したものが社会人基礎力だと考えてもらえばいい。会社に入る段階ではこの程度のざっくりしたものでよく、そこから次のレベルに行くのには、いわば社会人基礎力1.0に対する2.0、3.0というものが必要になるでしょう。グループリーダーになるには2.0、部課長になるには3.0といったイメージですね。
経済産業省では、社会人基礎力を育成する取り組みを、大学生だけでなく、下は中学生、高校生、上は大学院生、さらに若手社会人向けにも広げる方向で動いてきています。今後、社会人基礎力という概念がもっと広く世の中で共有されていき、社会人基礎力を磨く学生と、採用時にそれをひとつの基準として評価する企業が増え、お互いに共通の基盤の上で活発なやりとりをするようになってほしいと願っています。
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