関西ペイントは、1918年尼崎で創業し、昨年100周年を迎えた、日本を代表する塗料メーカーだ。2018年度の決算は売上高4,274億円で、そのうち海外が約60%にのぼる2,679億円。日本以外の国籍の社員比率も約80%と、もはや関西ペイントではなく、“世界ペイント”である。(※売上数字は関西ペイント2018年度決算説明会の資料より抜粋)
今回のコラムの対談者は、今年の6月までKANSAI PAINT ASIA PACIFIC SDN. BHD.(以下、KPAP)のCEOを務められていた小谷宜行さん(※取材を行なった2019年4月当時は現職)。インドネシアで知り合い、私とはもう5年ほどのお付き合いだ。大学の先輩でもあり、公私ともに大変お世話になった方である。あちらでも有名だが、決しておごらず、関西弁でしゃべる親しみやすいお人柄のため、社内外にファンが多かった。この小谷さんに、これまで海外で苦労されたさまざまなエピソードをお聞きした。

タイの暗黒の土曜日・洪水に、東日本大震災と労働組合のロックアウト

稲垣 小谷さんは、ASEANのみならず、日本中のさまざまな場所でお仕事をされていらっしゃいますよね。

小谷 転勤は両手で数えても足りません。1975年に尼崎で入社してから、倉敷→広島→三好→浜松→埼玉→福岡→浜松→名古屋→大井町……。ここまでいろんな場所で仕事をしている人間は、社内でもあまりいないでしょう(笑)。領域も、建築用、自動車用、船舶用、工業用と、ほとんど全部に関わったと思います。そこから2010年に、タイへ行き、インドネシアからマレーシア……。マレーシアに来てからは、そのほか毎月ASEAN地域をグルグル回っています。

稲垣 すごいご経験ですね。2010年からタイへ行かれたということは、57歳で初海外ということだと思いますが、戸惑いなどはありましたか?

小谷 いえ、正直、あまりなかったです。国が違えど、同じ塗料を扱いますし、結局、同じ人間がやることですから。ただ、2010年以降は、タイでも日本でも、いろんなことが起こった時代でした。有名な「暗黒の土曜日」(バンコクで発生した武力弾圧事件で、タクシン元首相派の市民ら約10万人の抗議デモに対し、アピシット首相の指示のもとにタイ王国軍が発砲し、2,000人以上の死傷者を出した。)がありましたし、2011年3月の「東日本大震災」では、日本から供給される材料が止まりました。

さらに2011年はタイでも、11月に洪水で国内が混乱したし、12月には労働争議でロックアウトする、という事態にもなって。そのさなか、各社自動車メーカーの工場が次々と建設されて、我々にご注文を頂けたのは、嬉しいやら忙しいやら。……大変は大変でしたよ (笑) 。

稲垣 何かもう、聞いているだけでも戦慄が走りますが、笑って話されている小谷さんはさすがです。(笑)

小谷 いろんなことが同時に起こって大変でしたが、塗料の経営なので、やることは国内でやってきたことと、そう変わりません。お客様に喜んでいただけることを第一に考えて、在庫管理、サプライチェーンの見直しなどの内部改革、それから何と言っても社員を教育していくこと。1〜2年先を見た経営ではなくて、5年後10年後を見て、コツコツとやっていくんです。

“北風と太陽”のマネジメント

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