米国証券取引委員会(SEC)は、2020年に米国の上場企業に対して人的資本の情報開示を義務化しました。このことは、企業価値や経営状態を理解する指標として、「ヒト」に関わる情報がますます重要になってきたことを表しています。投資家は、企業の成長性を捉える上で「経営戦略と連動した人材戦略が行われているか」や「取り組みが成果に繋がるのか」ということに注目しています。つまり、「モノ・カネ」の資産や売上利益といった現在の“財務情報”だけではなく、将来の成長性を“非財務情報”から判断したいと考えているのです。
人的資本情報開示が目指すもの――ステークホルダーに“経営戦略の実現性”を伝えることが人事の役割に

世界的な潮流に沿い、日本でも法整備が進む「非財務情報」の開示

日本でも経済産業省が2021年に「非財務情報の開示指針研究会」を立ち上げ、非財務情報及びその指針・基準に関する世界的な動向の共有を行いながら、非財務情報の開示の議論がスタートしました。

世界的な潮流を見れば、これはある意味自然な流れともいえます。一昔前までであれば世界的に製造業の企業が主体でしたので、その会社の内情や動向を知るには、土地や工場、在庫などをどれだけ持っているかなど、財務情報を見れば、企業の直近の状況を把握でき、投資判断をすることができました。

一方で近年増えた非製造業の場合は、多くの資産を持たなくても、経営者や社員個人のアイデアや技量一つで突然莫大な売上や利益を生み出す可能性があります。しかし、経営者や社員の個人的なスキル、能力というのは、財務情報では表記できません。そのため、投資家の立場からすると、財務情報だけではその会社に投資をすべきか否かの判断材料としては不十分であり、会計上の数字以外の「非財務情報」をより多く、具体的に開示してもらうことで、その会社の実態をより正確に理解できるようになります。
将来的に企業価値が高まりそうな会社を見定めて、「投資をしたい」という狙いがあるのだと思います。

もともと「財務情報」と「非財務情報」は実は密接に関わるもの

こうしてみると、一見、「財務情報」と「非財務情報」は分離されたもののように見えるかもしれませんが、実際には連動したものです。なぜなら会社の数字は全て「ヒト」が作っているからです。

これは製造業も非製造業も同じです。「ヒト」が考え、アイデアを思いつき、それに必要な資金調達をし、製品やサービスを作り出してイノベーションを起こし、売上を生む。残った利益でまた新たな製品やサービスを作る。この繰り返しによって会社経営は成り立ちますが、このプロセスの中で会計上の数値で表記できるものが「財務情報」であり、表記できないものが「非財務情報」であるというだけのことなのです。

つまりこの例でいえば「資金」、「売上」、「利益」などが財務情報であり、それ以外の「そのようなアイデアやイノベーションを生み出せる人材をどうやって育成、確保しているのか」といったことなどが“非財務情報の中の人的資本の部分”であると思います。

では日本の現状は、人的資本などの“非財務情報”を全く開示していないかというと、そうではないと思います。

実際には多くの企業が有価証券報告書や統合報告書、中長期経営計画などの中で、どのような人的戦略で企業価値を高めていくかについて既に触れています。また、近年は企業のミッション、ビジョン、ヴァリュー(MVV)が重要と言われるようになり、多くの企業がホームページなどで、MVVについて情報発信しています。

他方で、日本国内で情報開示の義務化が進むことを見越して、『ISO 30414(人的資本に関する情報開示のガイドライン)』に基づいた人事データの整備も活発化しています。

今後、法整備された要件に沿って“人的資本情報”が開示されていくようになるでしょう。ここで、注目したいのは「いわゆる非財務情報は、財務情報に比べると開示形式や内容の自由度は高いものになるだろう」という点です。つまり、各企業が“人的資本の情報開示の仕方”によって、個性を出していくようになると予想します。

“経営戦略の実現可能性”を可視化していくことが人事の役割に

また、人的資本の開示は「人材確保や離職率の低下」の観点からも重要な役割を果たすと考えます。企業が人材にどう投資し、環境を整えているのかは、働く人にとって非常に興味のあることです。就職、転職活動時の企業選びにおける差別化の重要な要素となるでしょう。

具体的にどのような内容を開示するかは、業種や社歴に応じた違いが見られそうです。たとえば、IT系のベンチャー企業であれば、「いかに優秀な人が入り、いかに優秀な人が辞めない施策をとっているか」というエンゲージメントに関して開示し、優秀な人材を集めつつ、その一方で投資家が懸念する優秀な人材の「転職リスク」、「独立リスク」に配慮することでしょう。他方で、歴史があり社員数も多い製造業でしたら「いかに丁寧に会社がバックアップして人材育成を行っているか」にフォーカスできます。それによって、腰を据えて長期間一つの会社で安心して働きたいと思っている人材確保に繋がりますし、定着率も高まっていくでしょう。さらに、経営の安定性を投資家にアピールすることができます。

このように、「人的資本の情報開示」が目指すものは、企業を取り囲むあらゆるステークホルダーに向け、より深く経営戦略に関わる情報を届ける環境を整えることです。これにより企業価値の向上・維持を図る業務は、人事部門の重要なミッションの一つになっていきます。そのためにも、人事部門全般の業務効率化を高める、DX推進は欠かせない最初のステップであることは言うまでもありません。
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