榎本 博明 著
日経プレミアシリーズ 893円

本書は、「キャリア」という言葉が蔓延し、「自分」探しと「やりたい仕事」探しによって若者が毒されている現状に警鐘を鳴らす本である。
 大学の就職課がはじめてキャリアセンターと改称したのが2000年の頃だから、キャリアという言葉が独り歩きし始めてから10年以上が経つ。いまではデザインや自律という言葉とくっついて、学生は大学でキャリアデザインを教えられ、企業に入るとキャリア自律を求められる。
「やりたい仕事」病
かつてのキャリア教育は就活と裏表の関係であり、3年生になってから自己分析を始めたが、いまでは1年生からキャリア教育を受講させられる。たぶんキャリアの重要性を学生にたたき込めば、内定が得られやすいという信仰があるからだろう。一人ひとりの学生の就活指導では確かに有効かもしれない。
 しかし本書を読むと、キャリア教育の弊害も大きいことに気付く。いくつもの実例が紹介されている。
 内定をもらったのに、「5年後、10年後のイキイキと働く自分がイメージできない、もっと自分のキャリアデザインを固めて就活し直したい」と留年するという学生。
 販売部門に配属されて、「こんな仕事がしたくてこの会社に入ったわけじゃない」と人事部に不満をぶつける新入社員。
 営業部門から工場への異動を伝えると、「私の将来のキャリアにどんな関係があるのか」と上司に詰め寄る若手社員。
 企業もキャリアという言葉を安易に使う。採用ホームページに頻出するし、「当社の仕事を通して、あなたはどのようなキャリアを実現したいですか?」というフレーズは面接の定番だ。

 しかしこんなキャリアへの盲信に対し、著者は静かな口調で異議を唱える。キャリアデザインでは「5年後、10年後の自分をイメージせよ」と教えるが、著者は「どうなっているのかはだれにもわからない」という。当たり前のことだと思う。
 社会人が「キャリア」と言う時、1つの意味は高級官僚であり、他の意味はエリート的なニュアンスを持つ経歴や職業だ。時制は過去や現在である。
 しかし大学で教える「キャリア」は、未来のゴールを指しているようだ。そしてキャリアデザインでは「目標」が大切と教える。あたかも無謬の真実であるかのように「目標を持て」と言い聞かせる。
 著者の考えは異なる。人生で最も大切なのは「目標」ではなく「プロセス」なのだ。「目標を持つ」という言葉にはいいイメージがあるが、将来の展望を固定的に捉え、逆算していまの行動を決めるのは他の可能性を排除することになりかねない。「大事なのは、人生を設計することではなく、そのときどきの人生を豊かに味わうことだ。そこで必要なのは、経験から学ぶ姿勢である」。
 経験からの学びを妨げるのが先入観だ。現在のキャリアデザインは若者に先入観を擦り込んでいるというわけだ。

 興味深く感じたのは、若者の学力が低下している原因の1つがキャリアデザインと論じた箇所だ。政府は、大学だけでなく中高からのキャリア教育も強化しているが、将来の職業を意識すれば、幾何や古文などの勉強が役に立たないことはわかるだろう。
 現在の中高生、大学生の学力低下の原因がキャリア教育だけとは思わないが、自分の将来を具体的にキャリアデザインすればするほど、学校の勉強が無意味に思えるのは当たり前ではないかと思う。
 本書は現在のキャリア教育のあり方に疑義を投げかけているが、著者はキャリア教育自体を否定しているわけではない。現在のキャリア教育が、若者に対し未来を固定的に捉えさせていることに異義を唱えているのだ。そしてキャリア教育の正しい方向についても書かれている。その内容を知りたければ、本書を読んでもらいたい。
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