井戸川寿義 著
日本能率協会マネジメントセンター 1,575円

企業と軍隊は組織として共通するものが多く、本来は軍事用語である「戦略」「戦術」が企業活動でも頻繁に使われる。軍隊に例えるなら、課長は現場の指揮官であり、戦闘の強弱を左右する存在だ。課長の優劣によって企業の強さが決まる。
その重要性は広く認知されており、人事研修でもミドルマネジメント研修やリーダーシップ研修が増えている。ただ多くの研修は時間がかかり、多忙な課長にとって負担が大きい。
部下を幸せにする課長、不幸にする課長
そこでお薦めしたいのが本書である。課長とは何かを教える教科書はいくつかあるが、類書のなかで本書は突出して懇切丁寧だと思う。またビジネス本には珍しく、カタカナがとても少ない。使われているカタカナは、リスク、メンバー、サイクルなどの中学生でも知っている言葉だ。

 人材セミナーやリーダーシップ研修を受講した人には、本書の内容は聞き慣れているはずだ。全編を通じて本書が説いているのは「過去と他人は変えられない。変えられるのは自分と未来だけ」ということだ。これに反対する人はいないだろう。
 ただ「変えられるのは自分と未来だけ」という言葉に賛同しても、自分を変えて違う未来を作れる人は少ない。多くの課長は自分を変えられないまま、悩みを抱いている。
 本書によれば、課長を対象とした研修で、課長たちが取り組まなくてはならない課題として挙げるのは「部下を育成すること」「部下にもっと主体性を発揮させること」だそうだ。どの業種の課長も必ずと言っていいほど取組課題にしている。ところが実際に取り組まれているかというと、手がついていないか、中途半端なままだそうだ。
 本書は、部下育成を課題としながら、実際にはおざなりにしたままの課長に読んでもらいたい。読み通して実践すれば、自分が変わり、部下も変わる。そして明るくて強い職場になるだろう。

 本書の文体はわかりやすいので気付かない読者が多いと思うが、指摘は非常に鋭い。叙述の例を挙げよう。
 課長研修でよく出てくる部下の問題は「部下が期待どおりの仕事をしてくれない」というものだ。そして研修に参加している課長は「部下が期待どおりの仕事をしてくれない」のは「部下の問題」だと考えている。ところがよくよく考えてみると、これは部下の問題ではないのだ。
 「問題」とは「あるべき姿」と「現状」との乖離だ。「部下が期待したとおりの仕事をする」というあるべき姿に対し、「部下が期待したとおりの仕事をしてくれない」という現状の差異が問題だ。しかしこの「あるべき姿」を思い描いているのは誰だろう。部下がそう思っているのか? そうではない。課長が思っているのだ。とすれば「部下が期待どおりの仕事をしてくれない」のは課長の問題なのだ。こういう論理展開は鋭いと思う。
 課長が「部下の問題」と他責的に考えている限り、問題は解決しない。自分の問題と自責的に考え始め、部下にその問題意識を伝えることから事態は改善していく。もっとも著者は「部下が期待したとおりの仕事をしてくれない」という表現は抽象的なので、もっと具体的に「依頼した納期までに報告がなかった」という具体的な事実に基づくことが重要だと説いている。

 本書は表を多用しており、その多くは心理の流れだ。たとえば部下の指導で失敗するのは、相手の否定。何度も指導したが、部下の報告忘れが直らず、部下に対し否定的な態度をとるようになる。この行動は部下に自分は腹を立てているのだということを伝えたいからだ。もちろんこんな否定的な接し方では、部下は育たない。
 もうひとつは、相変わらず報告忘れの多い部下に対し、指導方法を変えて成功する方法だ。例えば、毎朝ミーティングを実施し、報告忘れの多い部下を含めて課員から報告を受ける。そして良い報告は褒め、良くない報告は直すべき点を具体的に指摘する。そして職場の雰囲気が良くなる。
 こういう心理メカニズムが表に書き出されており、演劇シーンのように理解しやすい。

 最後に本書の核心である「人情」と「道理」について紹介したい。「課長自ら率先して行う・示すことが望ましい言動」は、人情では「挨拶する」「笑顔で接する」「率先垂範する」「説明する」「報告する」「責任を取る」であり、道理では「自分の考えを示す」「夢がある」だ。
 もうひとつの別ランクの「人情」と「道理」もある。「適切な時期に先手を打って行う言動」は、人情では「聴く」「感謝する」「褒める」「労う」「叱る」「相談に乗る」「任す」、であり、道理では「判断する」だ。
 これらの言動の一つひとつが詳細に説明されている。ぜひ読んでもらいたい。いずれも課長に必要な言動という前に、社会人として、人間として大切な徳目だと思うが、多忙なビジネスの現場にいると忘れがちだ。
 本書は「コミュニケーション」という言葉をまったく使っていないが、読み終えてから優れたコミュニケーションの解説書であることに気付いた。コミュニケーションについて重要性を説くビジネス本は多いが、抽象的で中身が曖昧だ。本書は、挨拶、笑顔、聴く、感謝する、労うなどを「言動」として具体的に説明している。これらはすべてコミュニケーションの要件だと思う。
【著者紹介】
日本能率協会マネジメントセンター・研修ラーニング事業本部シニアHRMコンサルタント。

1983年大学卒業後、大手自動車会社入社。人事部門、工場労務人事、国内営業部門を経験した後、化学メーカー人事部門を経て現職。組織改正、評価、人事制度改定、人材開発など、メーカーの人事業務に従事する。
現在では、研修プログラムの開発業務とともに研修の講師として自動車、電機、医薬品、不動産、精密機械、化学、食品、情報通信ほか多数の企業のマネジメント、リーダーシップ、問題解決などをテーマにした研修を行っている。

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