豊田 義博著
ちくま新書 798円
就活エリートの迷走
タイトルに「就活」というコトバが使われているが、採用担当者だけでなく、教育研修担当者にもすすめたい良書だ。マネジャーや経営者も読めば学ぶものが多いだろう。組織戦略を実行するために、現在の若者、大学、就活の現状を知る必要があるからだ。
内容は、有名企業・人気企業から早くに複数内定をもらい、第一志望企業に就職していった「勝ち組」の新人・若手に起こっている変調である。「あの会社では、新人の8割が戦力になっていないらしい」のはなぜか?
著者はリクルートブックの編集長を経て、リクルートワークス研究所の主任研究員というキャリアだが、さすがにリクルート。データも豊富で正確だし、分析の方向も鋭い。

著者は人間集団を5:15:40:40の比率で分類し、就活生を天才肌の「ハイパー層」と努力型の「エリート層」が上位の2割を占め、残りの8割の半分ずつ「漂流層」と「諦観層」が存在するという。
しかしそのエリート層は就職してからエリートであることを止め、不満を募らせていく。優秀学生を採用したつもりだった企業には、そんな若手社員の不満が理解できない。活躍してくれそうな学生を選んだのに、なぜ?
原因は意外なところにある。就活の過程で形成されたアイデンティティが就職後に解体されてしまうのだ。そして不満を抱くようになる。

就活に熱心に取り組む学生は、短期間のうちに成長する。最初の面接でしどろもどろだった学生が、いつの間にか自信に満ちて面接官と対話できるようになる。
「就活が始まる前には子どもの姿かたちをしていたのに、悶々としている蛹の時期を経て、瞬く間に成人へとメタモルフォーゼしていくのだ」。逆に言えば、そのようにアイデンティティを形成した学生が内定を得られる。漂流する学生はなかなか内定を得られないし、諦観した学生は就活をあきらめてしまう。

しかし就活の中で確立するアイデンティティは「自己分析」からスタートし、「やりたいことはなんですか?」に対する答えを中核して形成されている。言い換えれば「5年後、10年後にどのような自分でありたいか」というキャリア・ゴールにこだわるキャリア観が中核にある。
エントリーシートでも面接でも「あなたが大学時代に力を入れたことは何ですか?=自己PR」「(当社に入社したら)あなたがやりたいことは何ですか=志望動機」とほとんどの企業が聞く。真面目に就活に取り組む学生は「やりたいこと」探しに熱中しながらアイデンティティを形作っていく。
企業にとって「やりたいことは何ですか?」は採用するかどうかの判断材料のひとつに過ぎない。しかし自己分析から始め、たくさんの企業のエントリーシートに「やりたいこと」書いてきた学生は、面接での「やりたいこと」の質問を額面通りに受け取る。そして内定が得られたら、自分の思いが評価されたと思いこむ。志望通り部署に配属されるものと信じ込む。ここに大きなズレが生まれている。

本書を読んでいくうちに、現在の採活・就活は大きな錯誤の上に成立しているのではないか、と考えざるを得なくなった。正確に言えば始まった頃に意味があったとしても、現在は弊害が大きくなっているのに依存し続けているという印象だ。
「自己分析」という言葉は1993年創刊の「絶対内定」で使われてから広まった考え方であり、「エントリーシート」はソニーが大学名不問採用で導入した手法だ。まだインターネットが一般的なものではなく、大学進学率も低かった時代だった。
しかし10数年前から就職ナビが普及し、現在の大学進学率は5割を超えた大学全入時代だ。新卒採用環境が激変したのに、この4、5年に進行しているのは採活・就活のパッケージ化、画一化、マニュアル化。こんな採用の仕組みは変わらざるを得ない。

著者の「就活改革のシナリオ」は終章で語られる。見出しのみを紹介しよう。
大学生に関する社会幻想のリセットから始めよう/採用活動・就職活動の時期を分散化しよう/採用・就職経路を多様化しよう/企業が求める人物像は、ひとつではない/次世代リーダーへの渇望感が生んだミスリード/大卒のキャリア・コースを多様化しよう/多面的な選考プロセスをデザインしよう/本物のインターンシップを実施しよう/日常で獲得・発揮した能力を可視化する仕組みを作ろう/入社後の活躍をゴールにした選考の再設計を/大学生を「お客様扱い」するのをやめよう/エントリーシートを廃止しよう/就社を推奨しよう/就活が変われば、社会は変わる
かなり刺激的な提案だ。

本書の価値は鋭い分析であり、世間の常識に反するものもある。たとえば就職協定や倫理憲章だ。「協定がなくなったから」「憲章を守らない企業がほとんどだから」、新卒一括採用市場がおかしくなっている、と考える人は多いだろう。経済団体や文科省の言う「早期化の是正」の背景には「新卒採用になんらかの取り決めが必要」という考えがあると思う。
ところが著者の分析は逆だ。1997年に形骸化した協定が廃止されたことによって、それまでの「集団お見合い型」から、学生と企業がさまざまな形で出会い、お互いを見極める「自由恋愛型」就職・採用への大変革が始まった。もちろん早期から採用活動を始める企業もあったが、秋採用、通年採用も定着し、自由化にふさわしい市場が形成されていた。

しかしこの自由化の流れは、2004年に倫理憲章に追加された一文によって転機を迎える。「卒業・修了学年に達しない学生に対して、面接などの実質的な選考活動を行うことは厳に慎む」。
「厳に慎む」のは3年生の3月までだから、実質的な選考解禁日は4月1日になる。そうして学生が内定を獲得する時期は、4年生の春へと早期化・一極集中した。
本書に日本生産性本部の内定獲得時期のデータが掲載(68P)されているが、2003年、2004年でもっとも多いのは「4年夏」で約40%。「4年春」は20%強と少ない。2005年から「4年春」が増え始め、2008年以降は50%を超えている。確かに早期化・一極集中した様子が見て取れる。
憲章に一文が追加されたことにより、企業の採用心理が変わり、この5、6年の異様な採活・就活になったという著者の分析は正しいようだ。とすれば現在の選考時期に関する議論は、事実を無視していることになる。
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