「地球温暖化」や「働き方改革」、「LGBTQ」など、時に、権威や権力が世論を作り上げることもある。そしてこうした現象は、企業においても起こり得る。組織の方針に対し、従業員がその正当性を考えずにただ従うことで、有意義でない風土や常識が出来上がりかねないのだ。このような例は枚挙にいとまがないため、本稿では数例を挙げながら、従業員個人が自ら「思考」することの大切さを考えてみよう。
成長する組織のために、これからの従業員に必要なのは「自ら考え、本質を見極めて行動する」こと
冒頭で述べた「権威・権力」の行動原理は、「無謬(むびゅう)性の原則」(「ある政策を成功させる責任を負った当事者の組織は、その政策が失敗したときのことを考えたり議論したりしてはいけない」という信念)に基づく。これにより、人々はその方針が正しいか否かにかかわらず、考えることを止め、それに従った行動をとってしまうのだ。しかし、組織に属する一人ひとりがいったん立ち止まって冷静に思考しなければ、後から間違いに気づくようなことになりかねない。その結果、個人も組織もそこで成長が止まってしまうかもしれない。

こうした現象が起こる過程をイメージするにあたっては、特に「国の政策」と、それに対する「世論」に関する例が分かりやすい。そこで今回は、国の政策に関する例から、個人が自ら考え、行動することの必要性を考えていきたい。

例1.「公的年金」は本当に安心なのか?

「公的年金の持続可能性」に関して、中には「GPIF(年金積立金管理運用独立行政法人)が運用する年金積立金の運用損益は年金破綻とは直結しない」と唱える社労士や有識者が存在する。たしかに、年金積立金の運用損益が年金破綻と直結しないというのは誤りではない。しかし、国民はこのような言説によって、「年金積立金だけが、公的年金の持続可能性の判断基準だ」と勘違いしてしまうかもしれない。公的年金の持続可能性に関する本質的な問題(少子化・高齢化・経済成長)には言及されないため、根拠のない安心感が植え付けられてしまうのだ。

しかし、公的年金の財政見通しに影響を与える極めて重要な要因としては、年齢階層別の人口によって決まる「年金保険料」や、「税金の負担者数」と「年金受給者数」、年金額を削減するシステムとして導入された「マクロ経済スライド」、そして年金保険料に影響する「経済成長率」や「実質賃金上昇率」といった様々なものが挙げられる。それにもかかわらず、こうした視点の説明が欠落しているために、自ら考えたり調べたりしなければ本質は見えてこない。

昨今の社会・経済状況から、敢えて公的年金のリアルな将来見通しを立てれば、少なくとも「過去の年金制度改革で決められた年金受給額や支給開始年齢を維持することは困難である」と言わざるを得ない。そして、そうした現状であるならば、「国民一人ひとりが自らの長寿リスクに備えていかなければならない」という結論に至るはずだ。

例2.「レジ袋有料化」で本当に環境問題は解決する?

環境省が進めた「レジ袋の有料化」はどうだろうか。これは、「廃棄物・資源制約」、「海洋プラスチックごみ問題」、「地球温暖化」といった問題を解決に向け、プラスチックの過剰な使用を抑制することが目的とされている。これを受けて、「レジ袋の有料化」の流れにそのまま従った多くの国民は、マイバッグを持参するなど、当たり前にレジ袋を購入しない行動をとっている。

しかし、果たしてこのレジ袋削減で、実際にどれほどの資源が節約できているのだろうか。国内で消費される原油のうち、プラスチックの生産に使われるのは2.7%で、レジ袋に使われるのはその2.2%、つまり「国内で消費される原油の0.05%」である。これをゼロにしても、資源の大きな節約にはならないと言えるのだ。

さらに根本的な話として、レジ袋の原料になるポリエチレンは、石油を生成する過程で出てくるナフサから作られる。これは過去には捨てられていた副産物である。つまり、ポリエチレンを節約しても結局は石油が生成されることになるため、レジ袋を削減しても石油の消費量は減らないのだ。「資源節約」という意味では、レジ袋の有料化は全く無意味なことなのである。しかも、レジ袋の代金は税金ではないため、ただスーパーやコンビニの懐が潤うだけである。

これらを踏まえると、本当の問題は環境破壊ではなく、人々本質を理解せずにただ政策に従っていることなのではないだろうか。見向きもされないが、レジ袋の需要が激減したことにより、それを生産していた中小零細企業が加速度的に倒産している。それにより、多くの雇用も失われている。一人ひとりの生身の人間に思いを致しながら日々のコンサルに勤しんでいる筆者としては、多くの人が、事の本質を理解してくれることを願うばかりだ。

個人として、従業員として、思考停止から脱しよう

今回見てきた2つの例は、いずれも企業における話ではないが、このように世の中の様々な事象には、誰かに都合の良いバイアスがかかっていることが少なくない。素直に信じることは悪いことではないものの、そうして本質的な問題から目を背けることで、事態が悪化してしまう可能性も考えられる。そして、こうした現象は「企業」と「従業員」の間でも起こりうるのだ。

価値観変容の激しい時代において、これから我々が向かっていくべき方向は、当たり前だと思っているシステムの再構築、そして常識との決別かもしれない。「これまではこうだったから、これからもこうなるに違いない」といった正常性バイアスは捨て去り、「自ら考え、自ら行動する」という指針を持とう。
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