宗教リテラシーは、グローバル社会が加速する現代人が備えるべき免疫システム

稲垣 インドネシアでは、Pancasila(パンチャシラ)という建国の原則があって、日本語では「多様性の中の統一」という意味です。これは本当に素晴らしい国のスローガンで、さまざまな宗教、文化を認めており、現にインドネシアではイスラム教以外にもあらゆる宗教の信者がいます。しかし、最近はインドネシアでも宗教における問題が起こるようになってきました。世界を見渡しても、宗教だけでなく、国・地域・階層・文化で人をラベリングして、排他的に見る傾向が強まってきているのではないかと思います。今、日本の外国人労働者が166万人にまで増えましたが、恐らくこれからもどんどん増えていくでしょう。我々日本人が、宗教・文化・言葉の違う外国人と良い関係を築いていくことが大切です。この潮流の中で、日本人はどのように異文化と向き合っていくべきなのか、というのが私の関心事です。

小原 日本人は、おしなべて、宗教に対して無知といえるかもしれません。おのずとそうなったというよりは、戦後教育の結果でもあります。戦前の日本とは、天皇に対して絶対的ともいえる忠誠を誓う宗教国家だったわけです。それが国民を戦争へ突き進ませたということで、戦後の教育の中からは宗教が徹底排除されました。そういった背景を考えると、老いも若きも学校で宗教を勉強していませんし、日常的にお寺で何かを学ぶといった、昔あったような環境もなくなってきているので、そもそも学ぶことができないんですよ。自分のうちに仏壇があって、お葬式の時には何々宗のお坊さんが来てくれたとか、そこまではわかっていても、では「曹洞宗とはなんですか?」、「浄土真宗とはなんですか?」と聞かれると誰もわからない。そういった状況なんですよね。

何も知らないから結果的に宗教的な偏見を持っていない。この無垢さは、状況が変わると大変危ういものなのです。宗教の基本知識を持っていると、何が怪しくて、何が健全かというセンサーが働くので、自分に魔の手が迫っても、これは危ないと察知できます。しかし、知識がないと、単に自分の心を癒してくれそうなものと感じたら、なびいてしまう。宗教についての基本的な知識を「宗教リテラシー」といいますが、宗教リテラシーがあるということが、ひとつのセキュリティになるわけです。反対に、それがないと、自分自身に忍び寄ってくる危ないものに対しての防壁を持っていないことになります。ある意味で宗教リテラシーというのは、グローバル化が加速する時代において、現代人が備えるべきある種の免疫システムでもあります。もちろん、先述のように、宗教リテラシーは異文化の人たちと信頼関係を築くための鍵にもなります。

映画やアニメを見ることから始めることで、身近に感じら...

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