宗教を学ぶことは、人が持つ価値観の多様性を理解する道

稲垣 例えばイスラム教やヒンドゥー教を信仰する方にお話を聞くと、皆さんすごく素晴らしいことをおっしゃっているし、そういう世の中になったほうがいいなと思う反面、これだけ宗教というものがいろいろとラベリングをされていて、時にはそこでいざこざが起こっているわけです。宗教にこだわりの薄い私は、宗教の矛盾を感じて、少し怖いものとか、特殊なこととか、何かしらの偏見を持ってしまっていると思うのです。

小原 そのような「怖さ」がどこに起因するかというと、人間はひとつの考え方や信念体系に囚らわれてしまうと、しばしば自己絶対化してしまい、最悪の場合、他者を認めず、そして他者に対して暴力的になる、という歴史的経験に由来するものがあると思うんですよ。日本では、オウム真理教事件以降、宗教は反社会的な犯罪や暴力を引き起こすので危ない、怖いというイメージが生まれましたよね。しかしこれは別に宗教に限らず、政治的イデオロギーであれ、他の考え方であれ、「自分の考え方が正しいんだ」と主張する人が暴走した場合には常に危険です。

確かに人間には、自己絶対化や暴力につながるような闇の部分がある。反対に人間は現状を打開するような大きな勇気や希望を生み出す力も備えている。そういったさまざまな側面に光を当てるのが、宗教なんですよ。ですから、宗教というのは極めて両義的です。その両義性というのは、人間そのものに由来するものなんですよね。つまり、宗教を知るということは人間を知るということです。単純に悪とも善とも割り切れない人間の複雑さを、宗教というレンズを通して、より具体的に、客観的に見ていくことができるのです。宗教を信じる人は、人間をそれぞれのレンズから見ているのです。

稲垣 例えば、インドネシアでは、多くの人がイスラム教というレンズを通して、人間を知ろうとしている、ということですね。

小原 稲垣さんは、インドネシアでご苦労をされてきたと思いますが、やはりイスラムという宗教を知らないと、インドネシアで経験するいろんなことを的確に理解できない場合があります。日本で積み上げてきた経験と、インドネシアで見聞きする経験との間には、何かしらのギャップがあります。しかし、一旦彼らの行動原理を支えている価値観とか宗教性を理解すると、そのギャップを少し埋めることができます。例えば、「なぜ1日に5回もお祈りをするんだろう?」といった疑問が少しずつ解消していきます。

宗教というのは、人と人との関係をブロックする材料にもなりかねませんが、理解し始めると、それが「ブロック」ではなくて「ブリッジ」する役割を果たしてくれます。国際社会で仕事をしようと思ったとき、ブリッジする力としての宗教に着眼しないと、下手するとそれが障壁になってしまいます。東南アジアでは、仏教もあればイスラム教もありますし、インドまで行けばヒンドゥー教もあります。それぞれの社会を支えている価値観というのは、グローバル社会であっても簡単には変わらないんですよ。どんどん変わっている部分もありますけども、変わらないで社会を支えているような価値観が、一体なんなのかを知ることによって、人と人との信頼関係はできてくると思います。そういった意味で、宗教を学ぶということは、グローバル化の中で人が持つ価値観の多様性を理解する道になると思いますね。
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