一橋大学 教授の楠木建先生は、ビジネス関連の著書を多数出版されており、このコラムを読んでいらっしゃるビジネスパーソンにはファンの方も多いだろう。今回は縁あって対談が実現した。先生は今年『逆・タイムマシン経営論』という本を刊行されたのだが、それが実に面白かった。あるムーブメントが起こったり、バズワードが飛び交ったりすると、人はみな同じ「過ち」に陥るというのだ。日本で働く外国人材が増えているが、これは今後も加速するだろう。どんな過ちがあり、どう乗り越えていくのか、対談でたくさんの示唆を与えていただいた。
第21話:「逆・タイムマシン経営論」のススメ

新聞・雑誌は「寝かせて読め」

稲垣 私もさっそく拝読しました。タイトルが孫正義氏の「タイムマシン経営」をもじっていて、目を引かれましたが、さらに中身は大変考えさせられるものでした。楠木先生から、この本を書かれた経緯や概要を教えていただけますでしょうか。

楠木 私は学生のころ、調べ物をする時によく図書館を使っていたんですよ。当時は今のようにデジタル化されていなかったので、貸出カードを使って目当ての本や雑誌がどこにあるのかを調べて、その棚へ行って、本を取り出してコピーをとる、という時代でした。今だと1秒でできることが3時間ぐらいかかっていたんです。そこで、例えば「『日経ビジネス』の1978年●月号、〇~△ページ」と、当たりをつける。そして、バックナンバーがあるところまで行って、引っ張り出すわけですが、デジタル検索でPDFをダウンロードしているわけではないので、嫌でもその前後の記事が目に入ります。そうすると、とにかく古新聞・古雑誌に書いてあることが面白くて仕方がなくて。

稲垣 「偶然の発見」がありますね。

楠木 そう、「気がついたら半日経っている」というような経験があったんですよ。20年後とか30年後から見るとトンチンカンな議論を、大の大人が大真面目にしている、という面白さがあって。トンチンカンじゃなくても最新時点で考えられていることとは、ずいぶんズレがあったりもするんですよね。

例えば「戦前」の記事。昭和6~7年では、アメリカと比べて日本の経営の問題点はとにかく労働の流動性が高すぎる、少しでも金具合がいいとみんなそっちに移っちゃうので、いつまでたっても企業に技能が蓄積されない、と。アメリカは、当時デトロイトに大規模な自動車産業ができていたところです。アメリカは長期雇用で大きな会社が家族のように機能していた。みんなが会社にロイヤリティを持って、会社が社宅を造り、そこで家族のようにやっている。日本は、とにかくあちこちに会社を移すから、ああいう大規模な企業や産業ができないんだ、と。「日本もアメリカみたいにじっくり物作りをやらなきゃ駄目だ」と言っているわけなんですよ。

稲垣 今とは正反対ですね。

楠木 とんでもないでしょう? 今では、アメリカは狩猟民族だから金融資本主義的で労働資本の流動性が高く、日本は農耕民族だからひとつの会社にずっといる、それが日本の文化だと言われていますよね。100年も経っていないものを「文化」とは呼ばない、とか。時間を経ることによって、はじめて見えてくる本質がある。つまり、新聞・雑誌は「寝かせて読め」という話なんです。結局、メディアの記事というのは、同時代のステレオタイプなものの見方に必ず染まっていて、同時代のノイズがたっぷり含まれている。時間を置くだけでそのノイズが綺麗さっぱり洗い流されるので、むき出しの本質が目に入る。

稲垣 著書にもあった「同時代性の罠」ですね。確かにいつの時代も世の中は必要以上にバズワードに踊らされていると思いました。
第21話:「逆・タイムマシン経営論」のススメ

同時代性の罠

楠木 「同時代性の罠」というのは大体3つぐらいのタイプに分けられて、1つ目が「飛び道具トラップ」。いつの時代も「これからの秘密兵器はこれだ!」とか「バスに乗り遅れるな!」とか、「これが最新の経営手法だ!」なんていう、飛び道具みたいなものが喧伝されています。それを単純にコピペしちゃうと変なことになる。これが「飛び道具トラップ」です。例えば、少し前だと「AI」、今だと「DX」とか「サブスク」とかですね。

そして、ずっと「仕事がなくなる」と言われ続けているのが面白いですよね。「オートメーションで仕事がなくなる」、「コンピューターで仕事がなくなる」、「ロボットでなくなる」、「SISや戦略情報システムでなくなる」、「ERPでなくなる」……。「AI」でも、「DX」でも仕事がなくなるはずなのに、今でもまあまあ多くの人が「忙しい」といいながら依然として仕事をしている。これが「同時代のノイズ」の典型です。メディアは注意を引くためにパッと人間のアテンションがとれるような打ち出し方をするので、同時代のバズワードが飛び道具として出てくるんですね。

それから、やっぱり「不安」というものに、人間は強く反応します。「貯金がなくなる」なんて言われたら恐怖ですよね。本当にそうなのだと信じ込んで、ロジックがすっ飛んじゃう。これが「飛び道具トラップ」です。

稲垣 その時代にいると気づかないけれど、確かにSISやERPって昔ほど使われなくなりましたね。

楠木 2つ目は「激動期トラップ」。いつも「今こそ激動期」って言っているんですよね。「これまでのやり方は通用しない」と、50年間1日も休まず言われ続けているって、どういうことなのか? 論理的には「激動」という状態は連続しません。「変わっているけれど、変わってない」というのが本当のところなんです。しかし、ついつい「激動期だ!」と言って変化を過大に受け止めてしまい、それが意思決定を狂わせる。だからいつも「革命」なんて言っているんですよ。本来、めったに起こらないことだから「革命」と呼ぶはずですよね。『日経ビジネス』も50年間常時革命状態で、「新産業革命」って10回ぐらいは言っている。

稲垣 確かに「革命」はよく見る2文字です(笑)。

楠木 3つ目が「遠近歪曲トラップ」です。近いものほどアラが目立ち、遠いものはよく見えるというのが、メディアの情報を受け取った時の人間のバイアスなんです。ですから「シリコンバレー」と言われるだけで「すごい!」と思い、「日本」と聞くともう閉塞感を抱く。こういうことです。

今も「日本的経営は崩壊する」と言われていますが、『日経ビジネス』を読んでいくと創刊7周年記念号、つまり今から44年ぐらい前の特集記事で「揺らぐ日本的経営」って書いているんです。50年間も揺らいでいられるって、逆手に取れば「日本の経営って、どれだけ頑健なんだよ……」って(笑)。
第21話:「逆・タイムマシン経営論」のススメ

今の世は、過去が豊かにある「パストフルネス」時代

稲垣 そもそも「日本的経営」というものはあるのか? と言われていますね。

楠木 「本当はそんなものはないのでは」と。これに限らず、過去の記事を見ていくと、いろいろと面白いことがわかります。結局のところ、同時代性の罠の淵源は私のいう「文脈剥離」というメカニズムにあります。

何事も、ある文脈をもって生起しているわけです。例えば、ある企業が「DXですごく成功している」とか、「オープンイノベーションで成功している」とか。そういった成功事例とともに、「これからはDXだ、オープンイノベーションだ、ダイバーシティだ!」と言うわけですけども、それは「成功企業に固有の文脈」、私の言葉だと「戦略ストーリー」があって、その中で成果がもたらされているわけですね。飛び道具をむき出しのまま使って成果を得ているのではなくて、実際の成功要因は「戦略」なり「経営の総体」なりにあるわけです。

ところが、「戦略のストーリー」という文脈から引き剥がされた単語だけをコピペしてしまうと、文脈の総体を見失ってトンチンカンなことになる。例えば、最近のベストセラーコミックスに『鬼滅の刃』がありますね。あの作品の中に出てくる読者がみんな痺れたセリフは、『鬼滅の刃』という文脈の中だから意味があるわけです。それをコピーして夏目漱石の『こゝろ』にペーストしてしまったとしたら、小説はぶち壊しになる。こういうことを指して「文脈剥離」と呼んでいます。

『FACTFULNESS』という本がよく売れました。これは、「きちんと事実を押さえましょう」という内容で、まったくその通りなんですけれど。それに引っ掛けて言えば、逆・タイムマシン経営論が標榜するのは「パストフルネス」です。「パスト」=過去ですね。

歴史というものは、それ自体「ファクト」の蓄積ですよね。みんなが「未来はこれからどうなるんだ?」と関心を持っていますが、未来は誰がどうやっても正確には予想でません。ところが歴史は既に確定した事実なので、そもそも「ファクトフル」なんです。

もっと大切なこととして、統計データのようなファクトとは違って、「歴史的な事実」の強みは、それが起きた文脈・背景・状況が豊かだということ。「文脈込みで考える」という意味でも、歴史的な事実、特に古新聞・古雑誌は貴重です。多くの人は、情報の鮮度は高ければ高いほどいいと思っているんですが、むしろ、「寝かせてみると本質が見えてくるのではないか」という説が「逆タイムマシン経営論」という話です。

価値のある思考は常に「批判」である

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