「教育的介入」のポイント

稲垣 ポイントをついた「教育的介入」が重要だと思いますが、先生が心がけていることはありますか?

池田 できる限り「共修スタイル」を心がけています。自分がとらなければいけない行動に対して、パラレルで一緒に参加しているという状況をつくってあげることです。時系列で、インターバルを長くしてあげる、という点がすごく大事です。

家族と一緒ですよ。家族だって、一緒に過ごす時間が長ければ長いほど絆が深まります。何をするでもなく、ただただボーっと過ごすだけでもね。本音は、授業なのでボーっとはしないで勉強してほしいんですが、そういった「時間を一緒に過ごす」という経験、同じものを一緒に見て、共通の体験をする機会・接触を増やすことが一番大事です。そこからは、彼らが自分で行動するでしょう。

稲垣 なるほど。「共修スタイル」で長い時間を過ごしていくと、相手に共感できたり、腹を割ることもできたりしますよね。ただ、人は、「異質」のものより「同質」のものを好む傾向があります。そこで共修スタイルをとると、自分と同じ意見の人と固まったり、違う意見に対してうまく議論できなかったりしませんか? これは、社会人教育の現場でも起こっていることです。

池田 そうですね。同じことがいえると思います。まさに、ここが「教育的介入」の大事なところだと思います。メタレベルに認識させることが重要ですね。「自分とは異なる意見の人間と対峙する」こと、そして「共に学ぶ力をつけることが大事だ」ということを、「メタレベルで認識させる」のが非常に重要です。自分と似たような人と一緒にいた方が楽なんだけれども、敢えてそれを乗り越えないといけない。その理由はなんなのか? というのを、自分自身がメタレベルで理解していないと、一歩踏み出せないですよね。ここは、放ったらかしではなんともならないので、我々が「教育的介入」をする場面です。

稲垣 「メタレベルの理解」ができると、行動に移せるものですか?

池田 いやいや。そこがまた「教育的介入」のポイント・難しさだと思います。こういったものは抽象的に言われてしまうと、「綺麗事」で終わってしまいます。そこを、具体例や、自分自身が開眼するようなもの、エピソードを入れこみながらうまくやってあげる。

必ずしもメタだけを集中してやる必要はないんです。少しメタをやってまた実践に戻して、過程を見て、変化のタイミングを見計らってまたメタを入れる。「メタと実践」を行ったり来たりしていいと思うんですよね。そういうやり方をしないと、実際のところ、その人自身のためにはならないし、身につかないと思うんです。一番肝心なのは、専門用語を覚えることではなくて、実感として「異文化の人間と一緒に何かをおこなう時はこうすればいいんだ!」という理念・セオリーを、自分の中につくれるかどうかなんです。

「自動化」によってメモリーの消耗を減らす

稲垣 私は過去の「ロンドンオリンピック」の時に、ハンドボールの日本代表チームの「チームビルディング」をお手伝いしていたんですが、彼らも「理論と実践」をひたすら繰り返していました。監督は「動きを細胞に覚えこませる」という表現をしていたと思います。

池田 まさにそうだと思います。学習理論の中に「自動化」というコンセプトがあります。人間の頭で一度に情報処理ができるキャッシュメモリーは有限なのに、なぜ覚えられるのかというと、膨大な記憶やスキル、動きなど、なんでもそうなんですが、反復練習のようにいろいろなプロセスを経て、その工程を自動化するからなんですよ。その、自動化されたものに対して費やすエネルギーはゼロなんです。

稲垣 なるほど、キャッシュメモリーを使わないんだ。

池田 意識しなくてもできる状態にしたら、今度は次の新しいスキルを頭に入れられるわけです。それをまた自動化していく。人間は、「自動化」の能力をもっている生き物で、この点が、ほかの生物・動物とは異なる、一線を画しているところなんだそうです。

稲垣 異文化適応において、日本人の特徴をどう捉えておられるかをお聞きしたいです。私自身、今から6年前、39歳で初めてインドネシアに働きに出て、いかに自分が凝り固まった価値観をもっていたかを思い知ったんです。これは結構ショックでしたね。今はいい経験ができたと思っていますが、仕事で成果を出しながら、自分の価値観を広げて適応していくというのは、ストレスがかかりました。日本人の価値観の狭さなどを感じられますか?

池田 もちろん感じます。その理由のひとつは、日本国内にいると「異なるものとの接触」が極めて少ないからです。まったく自分と異なる存在に対する接触度合いが、成人になるまでの人生で極端に少ない。今やっと「グローバル化」といって、日本社会や隣近所にも外国人がいるようになりましたけれど、それでもまだ「都心の話」ですよね。例えば、インドネシアは「インドネシア人」とひと括りにはまとめられない、ダイナミックな国じゃないですか。

稲垣 あらゆる民族・宗教・価値観の人がいますね。

池田 そういった中にいて、子供から成人になるのとは全然違う。「接触度合いが違う環境」という要因は大きいと思います。

稲垣 なるほど。先ほどの「自動化」の話でいくと、6年前の当時、異文化が自動化されていなかった私は、結構脳みそが疲れたんですよね。インドネシアに行って、自分とは価値観や宗教観がずいぶん違う人とコミュニケーションをとりながら、仕事で成果を求めるということは、メモリーを相当使っていたんだろうなと思います。当時と比べると、今は全然そうではなくなってきていて、異文化の人と話してもあまりメモリーを使ってないんですね。

池田 異文化コミュニケーションが、すでに稲垣さんの一部にもなっているんじゃないですか。インドネシアの感覚というものが、稲垣さんのアイデンティティだったり考え方だったりに対して、「異物」ではなくて自分に内化しているところがあるんじゃないかな。それを「自動化」と呼んでもいいと思います。そうすると楽ですし、自分のもの、つまり自分の感覚の一部になる。

稲垣 そうですね。それができたら、インドネシア人だけではなく西洋人でも、僕が今まで、自分とは異なると無意識に思ってきた人たちも、アナロジーで、応用的に受けいれられる。その受容の幅が広がっているんだと思いますね。日本の若者は、意図的に接触の度合いを上げていくことが大事なんでしょうか。

池田  「接触の度合いを上げる」とは、言い換えれば「異文化交流」という綺麗な言葉に聞こえますが、もっと擦りむけるぐらいの修羅場にのぞむことです。私は「摩耗」といいますが、これは摩擦どころではなく、擦り切れるし、傷つくぐらいの接触の仕方が大事なんです。今は「ソーシャルディスタンス」で、そんなことが可能かもわかりませんが、いわゆるメンタルな意味も含めた「摩耗」です。疲れるし、嫌な気持ちにもなりますよね。しかし、その過程をもっと早く、より頻度高く、国内で交われるようになる、というのが、これからの若者に対して必要なことだと思うんです。

これは『Collective Genius(邦題/ハーバード流逆転のリーダーシップ)』という本の中で「Abrasion」という言葉で、その重要性が語られています。「Abrasion」の日本語訳でぴったりくる意味が「摩耗」なんです。

インタビューを終えて

池田先生の半生は本当に波乱万丈で面白く、体験による理論的な言葉が力強かった。14歳で日本を飛び出した頃と今も根本は変わっていないような、無垢な人間性も感じる。Zoom越しでも、人間のオーラは感じることができるものなのだ。

池田先生のように、人生を力強く切り拓いてきた方のお話は、どこかテレビモニターの向こう側を覗いているように感じるかもしれないが、誤解を恐れずにいうと、そうではないのだ。100メートルを9秒台で走るとか、史上最年少で棋聖戦のタイトルを獲得するとかいった特別なことは、天が与えた才能によるものと思ってしまうが、先生の思考・行動の一つひとつは、誰もが真似できることだと感じる。大事なのは、「摩擦」では終わらせず「摩耗」するまで、自分を厳しい環境にさらすことができるかどうかだ。私も、今までの人生でそれなりに摩耗してきた自負はあるが、これからの半生も新しい挑戦をして摩耗していきたいと感じた。
取材協力:池田佳子(いけだ けいこ)さん
大阪府出身。関西大学国際部 教授・グローバル教育イノベーション推進機構 副機構長・一般社団法人Transcend-Learning 代表理事。2006年、ハワイ大学にてPh.D.を取得。トロント大学、名古屋大学で教鞭をとり、15年より現職。専門は国際教育、英語および日本語教育、会話分析。文部科学省委託事業 留学生就職促進プログラム「SUCCESS−Osaka」などのプロジェクトにも参加。外国人留学生と社会をつなぐ活動にも精力的に取り組む。
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