先日、「SUCCESS−Osaka」という文部科学省委託事業の「留学生就職促進プログラム」の一環で、関西大学で外国人留学生を対象として、キャリアに関する講義をさせていただいた。その時、モデレーターをされていたのが、関西大学の池田教授だ。Zoom越しにも人間力がビシビシと伝わってくるお人柄で、タダモノではないと感じ(笑)、取材を申し入れたところお引き受けいただけた。ご自身の波乱万丈な半生と、理論と実践にもとづいたお話は大変学びが多かった。特に、若者に対する「摩耗するほどの経験をせよ」というメッセージは、強い共感を覚える。若手の育成、もしくはご自身の価値観をもっと広げたいと思っている方にはぜひお読みいただきたい。

14歳、勘当状態で海外へ飛び立つ

稲垣 まず簡単に、池田先生のプロフィールを教えていただけますでしょうか。

池田 現在は、関西大学 国際部教授・グローバル教育イノベーション推進機構 副機構長を務めています。稲垣さんには「SUCCESS−Osaka」で外国人留学生に講義をしていただきましたが、日本に来る留学生への就職支援や、日本人の海外への留学支援などもおこなっています。大学はハワイ大学 マノア校でPh.D.をとっています。

稲垣 海外と関わるようになったのはいつからですか?

池田 高校1年の時からです。生まれも育ちも大阪で、中高一貫教育の大谷女子中学校・高等学校に入ったんですが、何を思ったのか、高校には進学せずにカナダの高校に留学し、1年後アメリカの大学に進みました。

稲垣何か事情があって海外に渡ったんですか?

池田 いえ……。若い時って「勢い」で行動するんですよね。中学生の頃の私は英語が嫌いで0点ばかりとっていたんです。苦手だったために、カナダ人のALT(外国人言語教育アシスタント)の先生も避けていたのですが、ある時エレベーターでふたりきりになってしまって。外国の方ってすごく話しかけてくるじゃないですか。仕方がないと思って汗をかきながらしゃべってみたんですよ。そうしたら楽しかったんです。その勢いで「留学をしよう」と決めました。

稲垣 急展開ですね! ご両親は理解してくれましたか?

池田 大反対でした。とくに、父からは「留学するなら勘当」と言われました。その当時の「留学」に対するイメージは、「人生の道を外れるもの」くらいだった時代なので。母親も反対で、さすがに学費は出してくれましたが、高校3年間で1回も帰国せず、手紙のやり取りを1度したくらいでした。

稲垣かなりの覚悟をもって留学したんですね。

池田 「覚悟」といえばカッコいいですが、まだ14歳くらいなので、本当は何も考えていませんよ(笑)。無知で頑固なだけです。しかし、「無知」というのは場合によっては武器にもなります。「何も考えずに一歩踏み出す」という力を若者はもっているので、「無知」もパワーになると思うんですよ。

稲垣 そこは共感できます。厳しい会社への就職や、出世した後の転職、ゼロから始めた起業、英語も話せない状態の海外進出。私も、「無知」だからこそ飛びこめたと思います。

池田 そうです。だから、それができるうちにどんどん新しい世界に飛びこむべきなんですよね。

「1人だけ」でかまわない。腹を割って話せる友達をつくる

稲垣 期待いっぱいに飛び込んだ海外。すごい解放感だったんじゃないですか?

池田 いえ。それが、本当にどん底でした。これって「留学あるある」だと思いますが、日本では来日した外国人が特別扱いされてチヤホヤされているのを見ていたので、反対に、日本人の自分が海外に行ったら特別扱いしてくれるものだと思っていたんですよね。ところが、ちょうど「香港返還」が起きたくらいの当時は、アジアからの移民なんて、ごろごろといて、まったく相手にされなかったんです。私なんて「ゴマ粒」程度の扱い。しかも、言葉の通じないゴマ粒だから最悪ですよ。そういった衝撃を最初に受けました。

稲垣 ホームシックにかかるとか、「帰ろう」、「嫌だな」とか思わなかったんですか?

池田 もちろん思いました。でも、親に啖呵を切って背水の陣で来てるでしょう。しかも帰ったら私は中卒になります。後ろは振り返れませんでした。

稲垣 どうやって乗り越えたんですか? 誰か心の支えがいたんですか?

池田 当時、「心のよりどころ」がいましたね。カナダに渡って3ヵ月くらいでできた友人でした。その友人は、中国系カナダ人2世の子だったと思います。親が移民なので、「言語的なトラブル」や「異文化とのギャップ」といった困難を乗り越えてきているんです。そうすると、同じように困っている学生・留学生に手を差し伸べたいという気持ちが生まれ、私のつたない会話にも、我慢強く付き合って聞いてくれました。

10代の女の子ですから「話ができたらハッピー」なので、彼女がホームステイ先に電話をかけてきてくれて、夜な夜なしゃべるんです。最初のうち、私は英語を話せないのでひたすら聞いているだけでしたけど。その後は、その子が四六時中一緒にいてくれるベストフレンドになってくれたんです。孤独を抜け出し、そこからは「普通の女子高生」の生活ですよ。おしゃれをするし、買い物にも行くし……という、「普通の生活」に入ることができました。一気に楽しくなりますね。ちょうどそのぐらいの頃から、ちゃんと英語が聞き取れるようになってくるし、少しずつしゃべることができるようにもなりましたね。

稲垣 なるほど、大切な出会いがあったんですね。そういった「相手の立場をちゃんとわかってくれる友達」は、大事なキーワードなんでしょうね。

池田 友人の数は1人でもいいと思いますがとても大事です。日本に来ている留学生も同じだと私は思います。私はその立場を経験してるいのでね。

しかし、日本人学生と留学生って意外と交わってないんです。たぶん、それは日本のどこの大学でも一緒。そして、海外でも一緒だと思います。なかなか違う国同士の人間が腹を割って話せるような状況にはなってないと思います。それができている人は就活ひとつとっても、まったく問題ないし、放っておいても就職できる。しかし、留学生は疎外感をもっているし、同じ境遇同士の人だけでコミュニティをつくってしまうんですよね。そこに日本人とのネットワークが入ってこないんです。この「交わりをつくること」がすごく重要だと思います。

稲垣 そういったネットワークをつくってあげる、用意する、というのは意図的にできるものですか。

池田 「お膳立てをしてあげる」という意味では、できると思います。そういう環境に導いてあげる。どこにその接点があるかがわからない学生たちが多いから、「接点ができそうなところ」や「環境」をつくってあげて、ちょっと背中を押してあげる、というのがいい温度感なんですよ。日本人側も留学生側も、どちらも近寄ってくるのを待っているけど、お互いが牽制し合っているというのも事実なので、我々が、どっちにも「背中をポンッと押してあげる」という役割を担うのは大事だと思っています。その後は、私たちは徐々にフェードアウトしていく必要がありますけどね。

「教育的介入」のポイント

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