ヒンドゥー法が内包する「神秘性」と「合理性」

稲垣 「ヒンドゥー法」と聞いてイメージするのは、高くそびえる山に住んでいて、人知を超えた仙人のような存在のことですが、本当にそういった人はいるのですか?

よぎ 今、インドには数名のトップ、つまり瞑想を語る人たち、悟りを開いた人たちがいるといわれています。その方々は、世の中のことについて何を聞かれても答えられるといわれるような方たちです。ヒマラヤで長い期間瞑想していたといわれます。例えば、サドグルという方は悟りを開いているそうで、科学的なことも含みいろいろなことについて、どんな質問をしても答えてくれるといいます。悟りを開いた時に「自分が宇宙とつながった」という言い方をしていますね。

ヒンドゥー法のヨーガには、「チャクラ」という考え方があるのです。人間の体の中には7つに分かれている112のチャクラがあって、そのうち4つは自然に開かれていきます。残り108のチャクラを開くのに、それぞれのメディテーション方法ががあります。一般の人は21のチャクラが開いているそうで、22以上のチャクラが開くと「スーパーヒューマン」といえるような存在になるそうです。先ほどのトップ数名の瞑想は、多くののチャクラが開いた人たちです。つまり脳と宇宙が、人間と宇宙が会話できるようになるといっています。仏陀も同じだったといわれています。「悟りを開く」という言葉自体がそのような意味です。全部が見え、宇宙の存在も見えてくる。

稲垣 「宇宙の存在が見える」とはどういうことなのでしょうか。

よぎ 「宇宙のあらゆること、自分の魂とつながる」ということだと思います。

稲垣 とてもにわかには信じられない神秘性を感じますが、その一方で、合理的な側面もあるのがヒンドゥー法の面白いところです。そもそもインドの「カースト制度」というのは、本来、とても合理的にできているという話を聞いたことがあります。

よぎ はい、とても合理的です。しかし、そもそも「カースト」という言葉は、インド人ではなく、ポルトガル人がつけたものなんです。「カースト」というのは、区別するためのフレームワークで、インドではもともと「ヴァルナ」と「ジャーティ」と呼ばれていました。ヴァルナは上下の関係がない「職業」、ジャーティは細かく分かれている「役職」のようなもので、上下関係があり、伝統や行事の差があります。このマトリクスで国民を整理し、国全体で必要な職業や役職をマネジメントしていました。

稲垣 HR業界でいう「ジョブディスクリプション」ですね。

よぎ まさにそうです。本当はジョブディスクリプションのような管理手法ですが、「カースト」という名前がつけられて、それが「差別の習慣」というような誤ったかたちで世の中に伝わってしまいました。インドでは、お坊さんの中にもたくさんのジャーティがあります。例えば、「ジョーシ」という名字がついている人たちは、本殿の中で働く人たち。また、日本でも成田山などで火を焚いて法務のようなものをおこないますが、そういったことを人の家でおこなうのも「ジョーシ」という名字の人たちです。私の名字である「プラニク」は、聖典を読み聞かせるという職業です。王様にも、軍人にも、みんなそれぞれのポジションがあるわけです。

名字を聞けば、この人はどういう地位かがすぐにわかります。これは、マネジメントのサイエンスだったと思います。今の企業にも、さまざまな職種に加えて経営陣がいたり、中間のミドルマネジメント層がいたり、さらに一般社員がいたりするわけです。それと同じことなのです。

稲垣 「ヴァルナ」と「ジャーティ」は、自分の意思で変更できるのですか?

よぎ 遠い昔にはできたのです。先ほどお話しした、神の化身・クリシュナの時代(紀元前50世紀頃)でも、下の階級から王様になった人がいますし、上の階級から下の階級になった人もいます。変更のためのルールもあります。例えば、「違うジャーティ同士の人が結婚するときは、どちらかのジャーティに就く」といったものです。実は、「ヴァルナ」と「ジャーティ」の制度は仏教でもジャイナ教でも受け継がれています。

ただし、長い植民地時代にインドの昔からの知恵と良いところが非難され崩壊し、「ヴァルナ」と「ジャーティ」間の移動ができなくなってしまいました。第二世界大戦前後には、大病などで村の外に住まわされていたアンタッチャブルな人たちが政治家の声掛けによって、一気に仏教に改宗するなど、仏教に対するイメージに偏見が生じた時期もあります。ヒンドゥー法は、哲学であり、経済学であり、医学であり、科学であるのです。だから、ヒンドゥー法を勉強しはじめたら、非常にいろいろなことが開けてくると思います。単なる宗教ではなく、「ヒンドゥー法は人類の哲学および科学」なのです。

インタビューを終えて

よぎさんは、「ヒンドゥー法には宗教独特の難しさがない」とおっしゃっていた。確かに、唯一神の存在を信じる一神教や、厳しい修行のイメージがある仏教と違って、ヒンドゥー法には親近感を覚える。インタビュー後に思い当たったのだが、その理由は、日本の神道のような「生活に根差した八百万神」に近い考えだからではないだろうか。私が小さい頃に読んだかっこいい神話や、主人公が不思議な体験をする昔話などに出てきた日本の神様も、崇高な存在だが、普段の生活の知恵も与えてくれる身近な存在でもある。お話を聞く中で、この神道と同じ感覚を持ったのだと思う。しかし、紀元前10世紀から始まるといわれるヒンドゥー法の奥深さはすさまじいのであろう。ヒンドゥー法を巡る旅も面白そうだ。

さて、2月から始まり計6回にわたって対談した「宗教特集」だが、今回で終了となる。4つの宗教を信じる敬虔な信者の方々から直接話を聞けたことは、大変意義深い体験であった。対談した方々は、それぞれ自分の信じる宗教に真摯に向き合い、プライドを持っていた。私にとっての一番大きな教訓は、「宗教観・価値観を尊重すること」の大切さだ。自分が知らないから、理解ができないから、という理由で他人が大切にしている考えを否定することは、あってはならないことだと思う。
取材協力:よぎ(プラニク・ヨゲンドラ)
1977年生まれ、インド西部出身。プネー州立大学で、国際・労務経済の修士号と同時に情報技術(コンピューター開発)と日本語の学位を取得。以降、国立経営大学で国際経営を学ぶ。1997年と1999年に国費留学生として来日し、2001年から在日IT企業・日系銀行に勤務。システムエンジニア、プロジェクトマネジャー、日本支社長など要職を務める。役所、外務省、企業などで客員講師としても活躍。2012年に帰化し、2017年に「江戸川印度文化センター」(東京都江戸川区東葛西/Edogawa India Culture Center〈EICC〉)を設立。2019年の3月に楽天銀行の企画本部副本部長に就任するが、2019年4月に江戸川区議会議員選挙に出馬し初当選。本稿での呼称「よぎ」「よぎさん」は知人からの愛称。
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