ここからは、人的資本経営への取組み状況について見てみる。経済産業省から2022年5月13日に公表された『人材版伊藤レポート2.0』(以降、レポート2.0)で、「3つの視点」と「5つの共通要素」の実現に向けて例示されている各項目への取組み状況について、回答企業全体と大企業、さらにエンゲージメントレベルが高い企業である「高エンゲージメント企業」(エンゲージメントレベルが「高い/やや高い」とする企業群、以下同じ)を比較しながら確認していく。ただし、これら各項目について、すべてに取り組むことが求められているわけではなく、各企業の経営戦略や事業内容、置かれた環境の違いなどを考慮し、自社の人的資本経営の実現に必要な取組みを、着実に実践していくことが重要となる。「3つの視点」については図表4-1~4-3で、「5つの共通要素」については図表5-1~5-5で、レポート2.0で例示されている具体的な項目への企業の取組み状況を示している。これらの図表を概観的に眺めると、すべての項目において、全体より大企業の方が「取り組み中」(「安定的に取組みを継続中」と「取組みを開始した段階」の合計)の割合が高くなっており、他の企業規模より大企業での取組み状況が先行していることがうかがえる。これは前年調査と同様の傾向となっている。また、高エンゲージメント企業の取組み状況は、大企業と同程度やそれ以上の進行状況にある傾向が見られている。そこで、各項目に対する大企業と高エンゲージメント企業での取組み状況を中心に見ていく。まず、「視点1:経営戦略と人材戦略との連動」への取組み状況を見てみる。大企業で「取り組み中」の割合が最も高いのは「課題への対策に関するKPIの設定」で60%(全体31%)と6割に上る。同じ項目について高エンゲージメント企業では57%と6割近くに上り、大企業と同程度の取組み状況にあることが分かる。また、高エンゲージメント企業で「取り組み中」の割合が最も高い項目は「人材面での全社的な経営課題の抽出」で60%に上り、大企業の52%より高くなっている。従業員のエンゲージメントが高い企業ほど、人材マネジメントの課題を経営課題と捉えて可視化している傾向にあることがうかがえる。一方、「取り組み中」の割合が最も低くなっている項目は、大企業と高エンゲージメント企業ともに「人材に関するKPIの役員報酬への反映」で、それぞれ26%、28%(全体12%)となり、項目により取組み状況が顕著に異なることが分かる。また、高エンゲージメント企業では、「CHROの設置」(34%)、「サクセッションプランの具体的プログラム化」(36%)も4割未満で大企業より低い取り組み率となっており、大企業の方が取組みの重要性を高く認識している項目も見られている(図表4-1)。【図表4-1】「視点1:経営戦略と人材戦略との連動」への取組み状況次に、「視点2:『As is(現在の姿) - To be(目指すべき姿)のギャップ』の定量把握」への取組み状況については、「人事情報基盤の整備」の「取り組み中」の割合が最も多く、全体で32%であるのに対して大企業で50%、高エンゲージメント企業で49%と、ともに半数程度に上っている(図表4-2)。他2項目は「人事情報基盤の整備」ができた上で、現在の姿と目指すべき姿のギャップを定量的に可視化するために必要な取組みであり、今後、各種の取組みを計画的かつ効果的に進める中で、重要なステップとなる。これら2項目ではいずれも高エンゲージメント企業が大企業より「取り組み中」の割合が高く40%に上っている。視点1において「人材面での全社的な経営課題の抽出」の取組みが大企業より進んでいる結果となっていたことを踏まえると、人材課題の可視化と解決に向けた計画的な取組みが、大企業より先行していることが示されていると推測される。【図表4-2】「視点2:『As is(現在の姿) - To be(目指すべき姿)のギャップ』の定量把握」への取組み状況「視点3:企業文化への定着」への取組み状況については、視点1,2に比べて大企業のみでなく全体でも「取り組み中」の割合が高いことが分かる。特に高いのは「経営理念、企業の存在意義、企業文化の定義づけ」で、全体で46%、大企業では73%、高エンゲージメント企業では63%と6割以上に上っており、「経営理念等について、社員の具体的な行動や姿勢に紐づける取組み」は全体で37%、大企業と高エンゲージメント企業ではともに61%に上っている(図表4-3)。これらの項目に関しては、人的資本経営を意識する以前から重視している企業が多く、近年では、人的資本経営の軸として「パーパス経営」の重要性が増してきている。企業のパーパス(存在意義)や企業文化を社員に共有し、社員から共感を得るための有効な手段の一つである「CEO・CHROと社員の『対話の場』の設定」に取り組む企業は、全体の30%に対し、大企業では50%と半数に上り、高エンゲージメント企業では53%と過半数に上っている。【図表4-3】「視点3:企業文化への定着」への取り組み状況ここからは、「5つの共通要素」に関してレポート2.0で例示されている取組み項目について、企業の取組み状況を見ていく。まず、「要素1:動的な人材ポートフォリオ計画の策定と運用」への取組み状況については、視点2との関連が特に強い要素と捉えられる。すべての属性において「取り組み中」の割合が最も高い項目は「目標と現状のギャップを踏まえた、平時からの人材の再配置、外部からの獲得」で、全体で30%、大企業では48%と半数近く、高エンゲージメント企業では56%と6割近くにも上っている。逆に、最も低いのは前年同様に「博士人材等の専門人材の積極的な採用」で、全体では16%、大企業では31%、高エンゲージメント企業では34%となっている。これらを含むすべての項目において高エンゲージメント企業の「取り組み中」の割合が最も高く、「博士人材等の専門人材の積極的な採用」以外の3項目では「取り組み中」が半数近くまたは半数以上に上っている(図表5-1)。高エンゲージメント企業では特に、人材課題を抽出するとともに、将来の事業構想を踏まえて必要な人材を適切に獲得する取組みが進んでいることがうかがえる。【図表5-1】「要素1:動的な人材ポートフォリオ計画の策定と運用」への取組み状況「要素2:知・経験のダイバーシティ&インクルージョン」への取組み状況については、2項目それぞれの「取り組み中」の割合は上から順に、全体で21%、22%と2割程度、大企業では42%、37%と4割前後、高エンゲージメント企業では48%、51%と半数程度に上っている。2項目とも、全体<大企業<高エンゲージメント企業という「取り組み中」の割合の高さの関係性があり、特に「『課長やマネージャーがマネジメント方針の相互共有によって学び合う環境』の整備」では大企業と高エンゲージメント企業とでは14ポイントもの差がついており、マネージャー層における人材や組織のマネジメントに関する学び合いの重要性がうかがえる(図表5-2)。【図表5-2】「要素2:知・経験のダイバーシティ&インクルージョン」への取組み状況続いて、「要素3:リスキル・学び直し」への取組み状況を見てみる。5つの取組み項目の中で、いずれの属性でも「取り組み中」の割合が最も高いのは前年と同様に「組織として不足しているスキル・専門性の特定」で、全体では33%、大企業で53%、高エンゲージメント企業では60%に上っている。事業推進していく上で組織として不足しているスキルや専門性を特定することで、従業員にリスキルしてもらいたいスキルや専門性は可視化できている企業が少なくないものの、従業員がリスキルする意欲の醸成につながりうる「リスキルと処遇や報酬の連動」や「社外での学習機会の戦略的提供」等は、大企業や高エンゲージメント企業においても「取り組み中」の割合は4割に満たない現状となっている(図表5-3)。今後は、組織としてリスキルすべきスキルや専門性を従業員に明確に開示するとともに、従業員のリスキル支援策にも注力していくことが望まれる。【図表5-3】「要素3:リスキル・学び直し」への取組み状況「要素4:従業員エンゲージメント向上」への取組み状況については、すべての属性において「取り組み中」の割合が最も高いのが「従業員エンゲージメントレベルの定期的な把握」で、全体で44%と4割を超えており、大企業では66%、高エンゲージメント企業では70%にも上っている。人的資本経営の主要な目的として「従業員エンゲージメント向上」が挙がっていることから、現状のレベルを定期的に把握することは、必要不可欠な取組みとなっていることがうかがえる。また、「副業・兼業等の多様な働き方の推進」や「健康経営への投資とWell-beingの視点の取り込み」は、高エンゲージメント企業で過半数に上り、従業員の働き方の自由度を高くするとともに幸福度も高く働ける環境を整備することに力を入れている傾向がうかがえる。「健康経営への投資とWell-beingの視点の取り込み」は、大企業においても取り組む企業の割合が年々増加しており、2年前の調査では4割未満であったのに対して前年は46%、今年は50%に達しており、従業員の健康や幸福度の向上を重視する機運の高まりが見られている(図表5-4)。【図表5-4】「要素4:従業員エンゲージメント向上」への取組み状況「要素5:『時間や場所にとらわれない働き方』の推進」への取組み状況について見てみると、5つの共通要素の中で最も取り組み率が高いテーマとなっており、この傾向は2年前の本調査開始時から同様となっている。中でも「取り組み中」の割合が全体的に最も高いのは「リモートワークを円滑化するための業務のデジタル化の推進」で、全体で54%、大企業では76%と8割近くに上り、高エンゲージメント企業では71%と7割に上っている。一方、「リモートワークとリアルワークを組み合わせる取組み」は属性ごとの差異が顕著で、「安定的に取組みを継続中」の割合を見ると全体では37%であるのに対して、大企業では47%と半数近く、高エンゲージメント企業では57%と6割近くとなっており、全体との差は20ポイントにも上っている(図表5-5)。従業員一人ひとりに対して、必要に応じてリモートワークとリアルワークを効果的に使い分けられるハイブリッド形式での働き方を提供できることは、従業員のエンゲージメント向上に重要な要素となっているのだろう。【図表5-5】「要素5:『時間や場所にとらわれない働き方』の推進」への取組み状況次に、人的資本経営に関わる施策テーマの中で最も重点施策をエンゲージメントレベル別に比較して見てみると、エンゲージメントレベルに関わらず「社員エンゲージメントを高めるための取組み」が最も高く、「高い/やや高い」企業群では36%、エンゲージメントが「低い/やや低い」企業群で39%と4割近くに上っている。エンゲージメントレベルが「高い/やや高い」企業群で次に高いのは「知・経験のダイバーシティ&インクルージョンのための取組み」で26%、「低い/やや低い」企業群の14%と比較すると12ポイントも高く顕著な差異が見られており、特徴的となっている。一方、「いずれも重点施策として取り組んでいない」はエンゲージメントレベルが「低い/やや低い」企業群で21%であるのに対して、「高い/やや高い」企業群では僅か8%にとどまり、13ポイントもの差異で低くなっている(図表6)。【図表6】エンゲージメントレベル別 人的資本経営に関わる施策テーマの中で最も重点施策人的資本経営への取組みにより得られているメリットについては、「従業員エンゲージメント向上」が最多で51%、次いで「採用力の強化」が39%、「企業イメージの向上」が37%などとなっている。人的資本経営の主な目的の一つである「企業価値の持続的向上」は19%と2割未満にとどまっており、取組みの効果として表れるにはまだ時間がかかりそうな状況となっている(図表7-1)。【図表7-1】人的資本経営への取組みにより得られているメリット人的資本経営の実践に関する課題については、「従業員のスキル・能力の情報把握とデータ化」が最多で35%、次いで「次世代経営人材の育成」が34%、「経営戦略に基づく人材要件の明確化」が33%などとなっている。人的資本経営・開示を継続的に行っていくにあたり、従業員情報の可視化が必須となる中、まずは人材データを揃えて情報基盤を整備することに課題を感じている企業が少なくないのだろう(図表7-2)。【図表7-2】人的資本経営の実践に関する課題