前回と前々回の対談を通じて、日本を代表するイノベーション研究の第一人者である米倉誠一郎教授は、「日本人はSocializationとShared Valueで多様性に対応せよ」と強調されていた。つまり、「みんなと一緒に汗をかいて夢を語り、強いチームを作れ」ということだ。では、具体的にどのようにすれば、日本人がインドネシアという異国の地で、強いチームを作っていけるのか。
その点をより深く考察するため、今回は、私がインドネシアに来てすぐに意気投合し、4年以上の付き合いになる、「DORÉ by LeTAO」のDirector、バスメレ河野 力樹さん(通称リッキー)を訪ねた。インドネシアと日本、両国の血が流れる彼は、3年前に「DORÉ by LeTAO」をゼロから立ち上げ、今や6店舗、70名のスタッフを抱えるまでに成長させた。日本とインドネシアを繋ぐ次世代のキーマンとして注目されつつある彼が経験した葛藤や苦悩、そしてそれらを乗り越えて掴んだ喜び、成功体験からは、多くの教訓を学ぶことができる。
第12話:日本の「こだわり」を組織に浸透させる、リーダーシップ力の向上を

ハーフであることを誇りに思う

第12話:日本の「こだわり」を組織に浸透させる、リーダーシップ力の向上を
稲垣 まずは、リッキーさんのご経歴を教えてください。

リッキー 父親がアラブ系インドネシア人、母親が真田幸村の城がある長野県上田市出身の日本人です。もうすぐ30歳になりますが、日本で9年間、インドネシアで12年間暮らしており、高校生活はシンガポールで3年間、大学生活はオーストラリアで5年間過ごしています。2015年にOmiyage inc Indonesiaを立ち上げ、お土産・ギフト向けの食品製造事業「DORÉ by LeTAO」を開始しました。

稲垣 そしてお父様は『Gajah Duduk』の経営者。インドネシア人なら誰もが知る一流サルーンブランドですね。

リッキー はい。サルーンは、インドネシアをはじめ、東南アジアで伝統的に着られる腰巻きのようなもので、インドネシアでは42%のシェアを持っています。会社を立ち上げたのは私の祖父です。

稲垣 稀有な生まれであり、幼少の頃からグローバルな環境で生活し、経営者としてもさまざまな経験を積まれているリッキーさんに色々お聞きしたいと思います。まず、両国の血が入っているということを、自分ではどのように感じていますか?

リッキー 私は小さい頃から、インドネシア人と日本人のハーフであることを、プラスに捉えてきました。一般的な日本人にとって私は「常識的でない存在」でしたが、いじめられた経験も含めすべてが、誇るべき自分のアイデンティティです。日本は単一民族で、みんなに共通しているカルチャーを土台にコミュニケーションをするので、そこから少しでも外れると「非常識」となってしまいます。しかし世界では、異なる「常識」を持つ人たちが、同じ国や地域に属しているのが一般的です。

インドネシアでも、ジャワ人、スマトラ人、華僑、アラブ系、ムスリム、クリスチャン等の違いがあって、常に違いを意識して頭を切り替えなくてはいけません。世界において、常識の違いは、非常識ではなく、「ただの文化の違い」なんです。例えば、インドネシアで研修をする場合などは、みんなそれぞれに文化の違いがあるので、どうやったら同じ目線、同じ波長で、よいコミュニケーションをとれるのかと、常に考えます。

もっと言えば、実は、民族や宗教の違いだけでなく、世代間や所得差、組織によっても違いがあります。ですから、文化的差異に適応する力が、自然と育まれていくようになっています。常識の違いに対して否定的になるのではなく、その違いを受け入れる。そして、それぞれの良さを引き出す、という考え方こそ、グローバルで勝ち抜く上で大事なことなのではないかと思います。

稲垣 おっしゃる通り、日本がグローバル化していく上では、いわゆる「ダイバーシティ・マネジメント」が課題だと思っています。ですが、いまの日本は、外国人への対応の前に、世代間ギャップへの対応が課題となっています。

リッキー そうでしょうね。でも文化的差異への適応力も、身につけていかないといけません。今後、生産年齢人口が減少していく日本では、若い人だけでなく、外国人、高齢者など、さまざまな働き手の力を引き出すことが不可欠になってくると思います。

日本の「こだわり」を組織に浸透させる工夫

第12話:日本の「こだわり」を組織に浸透させる、リーダーシップ力の向上を
稲垣 リッキーさんの経営されている「DORÉ by LeTAO」は、ジャカルタで一気に拡大されましたが、成功の秘訣は何だったのでしょうか。

リッキー もともとこのブランドは、日本のスイーツ界を代表する「ルタオ」の姉妹店として、ジャカルタで立ち上げたものです。悪戦苦闘の毎日ですので、まだまだ成功とは思っていませんが、私が徹底しているのは「クオリティへのこだわり」です。やはり、ここが大きなアドバンテージで、インドネシアにも中国にもアメリカにもない、日本が世界で勝てる大きな要素と言えます。

ケーキを作るだけならレシピ通りやれば簡単にできるのですが、同じ味・雰囲気を生み出すことが本当に難しいんです。そこをクリアするには、食材の選び方や保存方法はじめ、調理工程や技術、パッケージ・店づくり、接客に至るまで、ありとあらゆる「こだわり」が大切です。これをどうやってインドネシア人に伝えようかと、日々、四苦八苦しています(笑)。ですが、このようなこだわりを多様な文化に浸透させていった先にこそ、日本の未来があるような気がしています。

稲垣 なぜ、インドネシア人にこだわりを浸透させるのは難しいのでしょうか。

リッキー 歴史的背景が大きいですね。両国の「こだわり」に対する概念の違いには、両国の文化や歴史が反映されています。日本人にとって当たり前のことが、インドネシア人にはなかなかできないということはたくさんあります。それに加え、この国は、日本と比べて離職率も高く、厳しいことを言うとすぐ辞めてしまいます。創業当時に入った人は、一人を除いてみんな辞めてしまいました。定着してきたのは最近になってからです。

稲垣 何か変えたことがあるのですか?

リッキー はい。1つ目は、当社の理念やビジョンを一生懸命伝え続けることです。オーナーである私が、データだけを見て、遠くから指示していても、心が動かないことに気づいたんです。ですからいまは、マネージャーやスタッフとたくさん会話をして、自分たちの目指している世界観を地道に伝えていく、ということをやり続けています。

2つ目は、パブリック・スピーキングのトレーニングで、プレゼン力を鍛えたことです。やっぱり上手なスピーチというのは人の心に響きますよね。細かいですけど、チャイニーズの人にはチャイニーズの人の言葉遣いにしたり、世代に合わせた例え話を使って、ビジョンを説明したり、本当に心から共感してもらうにはどうしたらいいかといったことを考え続けています。

3つ目は、部下からリスペクトされる存在を目指すということです。インドネシアは、上司と部下の差が激しい国で、目下の人は目上の人を敬うという気持ちが強いんです。これは日本人よりも強いですね。だからこそ、上の人はリスペクトされる存在にならなくてはならない。部下にガッカリされてはいけない。私の父もそうですが、一緒に仕事をすると迫力があって緊張する存在ですが、仕事が終わると、すごく気さくに話をしてくれます。そのように、事業や人に対して本気でコミットしている姿に、部下はリスペクトするんだと思います。

稲垣 それぞれの文化を尊重しつつ、リーダーとしての人間性を磨いていくということですね。

リッキー 日本の人たちって、こっちに来たら外国人ですからね。逆に考えると分かりやすいのですが、日本でも、日本の礼儀をちゃんと守って、コミットしてくれる外国の人たちって、絶対に好かれるじゃないですか。現地の人に対するコミットというのは、そういった点では、どこの国でも同じだと思います。しかもインドネシア人というのは、そういう人に対しては、すごくフレンドリーにしてくれますよ。
第12話:日本の「こだわり」を組織に浸透させる、リーダーシップ力の向上を
稲垣 では最後に、リッキーさんの夢を教えてください。

リッキー 私はインドネシアと日本をつなげる存在になりたいです。私が有名になりたいということではなく、ハーフとして生まれてきた自分の可能性を信じて、インドネシアと日本の架け橋を作る一人でありたいんです。政治でもビジネスでも、エンタメでも、どんな分野であっても、インドネシアの起業家が日本のことを知りたい時、また逆に、日本の企業家がインドネシアのことを知りたい時に、“価値”を提供できる存在になりたいんです。今はまだ、自分のビジネスで手一杯ですが、将来的にはそういったコミュニティ作りをしていきたいと思っています。

インタビューを終えて

4年前に出会った26歳のリッキーさんは、まだあどけなさの残る青年だったが、ジャカルタで6店舗・スタッフ70名を抱える企業を起こし、日々挑戦している中、かなりの苦労もあったのだろう、彼の発する言葉にどれも説得力があり、厚みのある人間性を感じた。

インドネシアと日本の文化を知り尽くした彼がいう日本の強みは、「こだわり」であるそうだ。日本人にはこれから、さまざまな文化的差異を乗り越え、日本独自の「こだわり」を浸透させるためのリーダーシップが求められるだろう。私自身、今までの日本を創ってこられた上の世代と、これからの日本を創っていく若いの世代の中間の世代である。この取材を通じ、人と組織の活性化を専門にする身として、改めて自分のやるべきことが見えてきた。


取材協力:バスメレ河野 力樹/Riki Kono Basmelehさん
Omiyage inc Indonesia CEO. 1989年生まれ。長野とインドネシア・スラバヤのハーフ。早稲田渋谷シンガポール高校、豪州ニューサウスウェールズ大学国際ビジネス専攻卒。日本9年、インドネシア12年、シンガポール3年、豪州5年滞在。訪日外国人向けサイトMATCHAの立ち上げ、企業のインドネシア進出支援・セミナー、日系イベントのサポート等を経験。2015年にお土産・ギフト向けの食品製造事業「DORÉ by LeTAO」を立ち上げる。インドネシアと日本の架け橋になるべく活動中。
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