42年強のビジネス経験の内、10回にも及ぶ転職人生の中で、実際に外資系企業でのジョブ型雇用制度の下で働いた2度の体験での印象は、とにかく「職(ポスト)もジョブディスクリプションもシンプル」。そして、そのベースとなる「組織も意思決定の仕組みもシンプル」というものでした。「組織」、「肩書」、「責任」すべてが明確であって、曖昧なところがありませんでした。このジョブ型導入というのは、「失われた30年」に改革を遂行できなかった大企業の日本型経営へのアンチテーゼ、改革を迫られる組織に今後必要な改革施策の一環のように捉えることができるのではないでしょうか。

日本型経営の課題を解決する糸口の「ジョブ型雇用」

外資系企業のジョブ型雇用で感じた人事制度のカルチャーショック

22年間勤めた大手金融機関からの転職が、10回を数える私の転職体験のスタートになります。最初は、ドイツの大手金融機関の主要一部門が所有する英国子会社の日本法人への転職。転職前は、従業員3万人、100年の歴史がある超ドメスティックな会社で、当然メンバーシップ型の雇用でした。そのため、転職後は、全てのことがカルチャーショックの連続だったのです。

まずは採用に関して箇条書きで記してみます。

・もちろん、専門職での採用(私の場合は、機関投資家に対するクライアント営業。資産運用や金融市場、経済に対する専門的な知識が必要)
・採用面接は同じ営業部門の人間(入社後は同僚。皆中途採用)
・人事部面談は、採用決定後の事務的連絡のためのみ(HR部門はサービス業)


人事の話だけではなく、日々の業務、経営面でもカルチャーショックは大きいものがありました。上記同様、箇条書きにすると以下の通りです。

・組織の構造はシンプル。100人程度の比較的小所帯ではあったが、機能別で分かりやすい部門、肩書しかなく、ジョブディスクリプションで職(ポスト)でのやることは明確(ラインでの役職しかなく、スタッフでの管理職などはない。「……開発部」のようなラインでの仕事以外の部門はなし)
・意思決定は責任権者である部門長が基本的に全て決定。会議で決まることはない
・社員は仕事や営業時間外に自らのスキルを磨き、ステップアップすることを常に考えている
・人事評価、報酬は、部門長の考え一つで決定される(部門長は、部門内の予算を各人に分配する)
・基本的にジョブローテーションはない。しかし、グローバルベースでの社内公募制度が存在
・年に1度のクリスマス時期に全社員+家族での盛大なパーティが開かれるのが唯一の社内親睦イベント
・解雇については、「あなたに相応しいポストは無くなった」と通告され、「コンペンゼーション(退職条件)については、人事と話をして欲しい」と告げられ、悪くない退職金が提示される


日本の大企業での“必然的に意識せざるを得ない出世”、“他の社員の異動状況などを常にウォッチしながら過ごしていた「内向き」な働き方”、“仕事が終われば同僚と酒を飲みながら会社、職場のことを話す文化”には正直ウンザリしていました。そのため、転職後は外資のある意味シンプルな形……つまり、社員と会社の関係、そして経営を実行する組織形態自体には違和感をあまり持たなかったように記憶しています。

もちろん、万事シビアな外資系金融機関だったので経済状況が悪くなれば「ヘッドカウント(人数)のカット(整理)」、つまり解雇が発動される。また、部門長に権限が集中しているがゆえに部門長との関係が悪くなれば、居場所がすぐになくなるデメリットがあるのも事実です。

それもあって個人的にはあんな「狩猟民族的な激しい世界」には戻りたくないというのが本音ですが、現在導入が検討されている日本におけるジョブ型の導入においてはそうしたデメリットへの配慮も可能でしょう。ジョブ型の可否について「解雇のあるなし」だけを論じるのはフェアでない気がします。

まずは、ジョブ型の導入機運が高まっている理由について、このコラムの前回、前々回でも私見を述べましたが、ジョブ型の本質、導入理由を十分に理解し、メリット、デメリットを社内で共有することが重要なのではないでしょうか?

ジョブ型導入は日本型経営へのアンチテーゼ

今回私が自らの外資系での経験を述べながら読者の皆さんに強調したいことは何か。それは、ジョブ型雇用が今注目を浴びているのは、「失われた30年間」、ビジネスモデルの転換などの大きな経営上の意思決定を行う責任感も覚悟も欠けていた多くの日本の大企業へのアンチテーゼなのではないかということです。

前回、「ジョブ型導入議論が単にHR的な事項だけではなく、会社の組織、意思決定と不可分な経営改革の契機になりうる」といった私見を述べました。私自身が日本の大企業と、外資系企業の両方、それも複数の企業で実際に働いて得た体験による意見であり、それを読者の皆さんにも感じていただきたいのです。

戦後75年間、1990年の「バブルの崩壊」までに試行錯誤で営々と創り上げてきた大企業の仕組みの中で、下記のような社内のぜい肉を切り落としていくことが必要でしょう。

・実行する気概のない会社と社員が改革をやろうとして数ばかり増えた組織、「……補佐」、「……代理」というように数ばかりが増えた肩書、部下なし管理職の増大
・責任権限が分散化したがために増えた会議、戦略実行のための「すり合わせ」のエネルギー、コストの肥大化による実行の不徹底
・会社にぶら下がって自らの専門性やスキルアップよりも社内事情にばかり目がいく社員

 
そしてシンプルに、「会社」、「組織」、「それぞれのポスト」、そこで働く「社員」のあり方を「再定義」しようとしたもの、それが今「導入すべきもの」として議論されるジョブ型雇用なのではないでしょうか?

別に、外国の会社で今行われているジョブ型をそのまま日本企業に移植する必要はありません。今のメンバーシップ型の日本の大企業のデメリットを十分理解した上で、それを改善できるものとしてのジョブ型を志向すれば良いのです。

「理想の経営の形はどのようなものか?」といったそもそもの疑問については、世界中の企業が日々トライ&エラーを行っていると言って良いでしょう。今を時めくIT企業の雄、グーグルにしても、従来の米国企業とはかなり違った形での経営の形、社員の処遇、文化の形成・維持の刷新を日々行っています。

今回は私の外資系での体験をベースに、米中企業などに劣後している日本企業が、今後飛躍する契機ともなりうるHR、組織の見直し策としてのジョブ型について述べました。最後に、過去2回に渡る外資系勤務体験でもう一つ感じたカルチャーショックについても付記したいと思います。

それは21年前に最初に転職(外資系企業の1社目)したときに、その外資系企業から入社前に渡されサインをした「雇用契約書」です。内容は、労働条件に関するものはもちろんのこと、退職時の競業避止だとか、とにかく解雇や退職時のことが事細かに記載されていました。

カルチャーショックと書いたのは、転職時、辞めようとして会社にそれまで配布されていなかった退職金や年金などのことが知りたくて退職金規程、解雇事由や兼業などデリケートな内容を網羅した就業規則などをHR部署に求めたところ、「見せるけど、社内でも拡散しないように」と言われていたときに、「これ、隠すことではないのでは?」と抱いた違和感からです。実際熟読すると、年金規程には不明朗な記述があり、HRの裁量で金額が変わってくる内容になっていました。

日本企業も現在は、労働基準法施行規則により、「解雇事由を含む退職に関する事項」だとか、「退職手当」に関する事項が明示すべき事項として挙げられています。法令に従って就業規則を「周知」(例えばPCで閲覧できる場所にある)はするものの、入社時に配布するという企業は稀なようです。会社と社員が対等なパートナーとして「契約」する、契約にあたっては契約内容を詳述する、といった外資系的な関係性が今のトレンドであり、職務内容を明示して採用するジョブ型も、そうしたことの一環です。

日本の大企業の方々も80年代までの「成功体験」を捨てて、新たな経営改革に進んで米中にキャッチアップしていく。その基盤となるための人事のあり方として、ジョブ型を導入するという考え方もあるのではないかと思います。
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