「経営プロ」にて連載された「渋沢栄一の『士魂商才』――ビジネスリーダーなら知っておきたい『日本資本主義の父』の肖像」が書籍化された。これを記念して、著者中村彰彦氏にインタビューを敢行。2021年のNHK大河ドラマ「蒼天を衝け」が放送間近となり、22年には日本最高額紙幣の新たな“顔”となる「日本資本主義の父」はどのように生まれたか。史実第一主義の直木賞作家は、執筆を通して日本最強の経済の巨人をどう感じ、今、何を学ぶべきだと思ったのか。

今、ビジネスの現場で求められている渋沢栄一の経営哲学とリーダーシップはどのように生まれたのか

――渋沢栄一は、江戸後期・幕末から昭和までと非常に長生きし、多くの時代の転換期を目撃した人物でした。本作で、歴史作家として渋沢栄一の人生を見渡して感じた、思想や人物像の面白さとはどんな点でしたか?

中村彰彦(以下、中村氏) 渋沢栄一の人生は、一言で表せば「精神のバランスを取りもどすドラマ」ですね。幕末という動乱の世に青春時代を過ごしていますから、どうしても「打倒政権!」的な尊王攘夷思想に傾倒してしまう。ただ、暴力に走り、破滅型の人生に進まずに済んだのは、幼い頃から培った「見識」があったからだと思います。

とはいえ、物のわかった平和主義者ではなく、少年の頃のエピソードでは、嫌な人物、鼻持ちならない輩に対しては敢然と立ち向かうことも辞さない、なかなか激しい気性を持ちあわせていた面も垣間見えます。ただし、理路整然と説き伏せることで解決を図る調和型な性格が育っていたため、激昂して失敗するようなことはなく、何事も、知性で踏みとどまることができたのでしょう。

ただ、豪農とはいえ農民のせがれでしたから、「武士になりたい」という出世に憧れる気持ちは抱いていました。これが晩年まで、良い意味での「上昇志向」として貫かれていく人生です。

――本書の中で渋沢栄一を「幸運な人」、「バランス感覚が良い人」、「人脈の広げ方がうまい人」と評していますが、経営者やビジネスに関わる人にとって一番大切な素質はどれだと思いますか?

中村氏 渋沢栄一の場合、幸運とはいっても単純に「ラッキー」という意味ではなく、「才気が幸運を呼びよせている」と感じます。とくに「人脈」で発揮された幸運は大きい。その人脈の広げ方も独特です。人に対しても物事にも「食わず嫌い」をしない性格なのでしょう。物怖じせずに、とにかく一度は懐に飛び込んでみる好奇心が旺盛です。これは、方法論がどうのというより「センスが良い」としかいいようがありません。

また、人との関わり方がうまいので、結果として「チームビルディング力」が抜群です。例えば、幕末の攘夷派の志士たち、とくに尊攘激派は「一人一殺してでも外国人を排斥すべし」というような、過激な一匹狼の単独テロ犯が多かった。そのような中、渋沢は、個人が志を貫くことも大切だが、目的を達成するためには「組織力」が必要だといち早く見抜きます。そして、実際に、人集めや武器調達にも成功しました。抜群の組織力と行動力が備わっているだけに、危うくテロリストになるところでしたが、持ち前の「バランス感覚の良さ」によって、その危機を自力で脱することができたのも面白い点です。なお、その後、これも幸運な出会いから武士へと出世し、さらに徳川慶喜の下で幕臣となった後も、数百人規模の兵団を組織する手腕を発揮します。

物事を成し遂げるには、人間ひとりの力ではどうにもならない。ただ、適材を見極め、必要人員をスカウトし、適所へ配置できれば、成功の可能性がぐんと上がる。このあたりは現在のビジネスシーンにも応用できる考え方ですね。日本に近代が訪れる前から、渋沢はこのことをよく理解していたのだと思います。つまり、個の力に頼り、暴走しがちな乱世にあって、「集団の力」を信じ続けた人だといえるでしょう。

――渋沢栄一の一生を見渡す本書では、教科書にも登場するような、超メジャーな歴史上の人物が多数登場します。彼等との交流を見て、渋沢栄一が「資本主義の父」と称される大人物になるのに、一番影響を受けたと思われる人物は誰でしょうか?

中村氏 「一番」を決めるのは難しいですね……。むしろ、出会った人ごとに、さまざまなことを吸収していったように見えました。

まずは教養と金銭感覚を身につけさせてくれた父、幼少期に「論語」を教えてくれた家庭教師であり従兄、そして、武士へと取り立ててくれた平岡円四郎。さらに上の階級へとステップアップし、幕臣となった際に全幅の信頼をおいてくれた最後の将軍・徳川慶喜と、海外出張・パリ留学でお供したその弟・昭武。そこで出会ったフロリ・ヘラルトら海外の知識人や、本物の「ノブレス・オブリージュ」とは何かを見せてくれた皇帝・ナポレオン3世。そして、近代日本を形づくっていく井上馨、大隈重信ら政治の舞台に登場する要人たちとの交流……。

誰か1人を尊敬し、見本として影響を受けたというわけではないのでしょう。その時、そのタイミングで必要な人物に出会える幸運があり、すべての出会いから影響を受け、知識を余すことなく吸い取っていったという方が正しいでしょう。その様は圧巻ですね。

また、言わずもがなですが、「日本資本主義の父」となるからには「資本主義とは何か」を理解しなければ始まりません。しかし、渋沢栄一がまだ若かった時代や、パリへ留学した頃(江戸後期〜幕末)、日本にはまだ「資本主義」という考え自体が存在していませんでした。貨幣経済はあっても物価はお米が基準で、銭や貨幣で表されるものではありませんでした。

そのような中で、国費での長期出張にあたって経費の管理をすべて行わねばならず、外国の国債を買ったり、ホテル住まいをやめて貸家を借りたりと、倹約に努めている金銭感覚はすごいですね。よく国債を購入して利益を出すといった、母国日本にはない仕組みを理解できたものだと感心します。

このあたりを渋沢に伝えたのが、フロリ・ヘラルトなのか誰であったのか、判然としないのはもったいないですが、1つのことに興味をもったら、とにかく実践してみるのが渋沢流だったようですね。この時代にはさまざまな人物が海外留学を果たしていますが、マンホールの蓋を開けて、ひどい悪臭に包まれた下水道の中まで歩き回った人物を、私は、渋沢さんの他に知りません(笑)。本当に、自分の目で確かめないと気が済まない、良い意味での「現場主義」の人だったのでしょうね。

――現在もなお、渋沢栄一がビジネスの現場で尊敬されている理由は何だと思いますか? また、実際にビジネスの現場で継承していくべき渋沢の経営哲学・理念とはどのようなものでしょうか?

中村氏 渋沢栄一自身、「ぜひとも日本に資本主義を根付かせよう!」という目的を持って生きたわけではなかったでしょう。いちビジネスマンとして、自分が所属した組織や、経営に関わっている企業の成長を促すうえで、その業種全体が発展することが欠かせないという考えです。つまり、日本一の会社を経営することが目的なのではなく、企業社会全体のベースを大きく発展させるという、壮大なスケールで経営を考えていたわけです。この視野の広さが今も尊敬される理由のひとつでしょう。

だから、同じ業種の競合他社・ライバル企業であっても、危うくなれば金銭面でもノウハウでも、助け舟を出す。そうしている間に、助けた会社の数だけ肩書きがつくものだから、会長、会頭、顧問などと数百にもおよぶことになってしまうんですね。渋沢さん自身、外国で初めてガス灯を見ても、自分がのちのちガス会社の会長になるなど、思ってもみなかったことでしょう。

当時、渋沢栄一とともに働いた人たちの中にも、この経営哲学、貪らない精神を理解できなかった人はいます。むしろ、渋沢とは正反対だった、岩崎弥太郎率いる三菱財閥の行った敵対的買収行為の方が理解しやすかったことでしょう。三菱財閥のやり方とは、ライバル会社はどんどん潰し、自社の得になるようなら吸収合併してく、単純に利益追求を正義とした方法論です。そうしていれば、自然と自社がその業界で「国内ナンバーワン」になるわけです。ただし、1社勝ち抜けはできますが、国内の、その業種の企業社会全体は焼野が原のようになりますから、当分の間、それ以上の発展は見込めなくなってしまいます。ここが渋沢栄一の経営思想との大きな差です。

誰かが利己的な考えで利益を貪りすぎては、その業種、ひいては日本経済全体がダメになる。そこで、経営能力や資本的な体力のある企業が他社にノウハウや協力金を分け与えることで、皆がともに成長し、全体がグングン発展する。理想論のように感じるかもしれませんが、これを続けていったら本当に企業社会全体がうるおい、明治の日本経済は大発展しました。つまり、渋沢栄一が、自分の信じる経営哲学を実践していたら、日本で資本主義が確立されるに至った、ということなのではないでしょうか。
中村彰彦氏『むさぼらなかった男――渋沢栄一「士魂商才」の人生秘録』
【著者プロフィール】
中村 彰彦(なかむら・あきひこ)

1949年栃木県生まれ。作家。東北大学文学部卒。在学中に「風船ガムの海」で第34回文學界新人賞佳作入選。卒業後1973〜91年文藝春秋に編集者として勤務。1987年『明治新選組』で第10回エンタテインメント小説大賞を受賞。1991年より執筆活動に専念し、93年、『五左衛門坂の敵討』で第1回中山義秀文学賞を、94年、『二つの山河』で第111回(同年上半期)直木賞を、2005年に『落花は枝に還らずとも』で第24回新田次郎文学賞を、また2015年には第4回歴史時代作家クラブ賞実績功労賞を受賞する。近著に『幕末維新改メ』(晶文社)など。史実第一主義を貫く歴史作家。

書籍案内

【書籍情報】
【文藝春秋Books】『むさぼらなかった男 渋沢栄一「士魂商才」の人生秘録』中村彰彦


地方豪農のせがれとして生まれ、「幕末の志士」から「日本資本主義の父」へ。誰も知らなかった「日本資本主義の父」渋沢栄一の素顔を、直木賞作家の中村彰彦が解明する。歴史秘録の決定版!
2021年大河ドラマ「蒼天を衝け」の副読本に最適で、今さら人には聞けない、明治最大の経済人の人生と功績が1冊で理解できる。(2021年1月15日刊行)

【目次】
第1章 幕末の志士になる! 英才教育と詩文にあこがれた少年時代の決意

 第1話 渋沢家の英才教育――迷信を信じなかった少年
 第2話 武士への憧れ
 第3話 疫病大流行に揺れる日本
 第4話 調和型から破滅型へ
 第5話 生涯最大の危機
 第6話 農民から武士へ
 第7話 一橋家の人事採用と栄一の初任給
 第8話 上司・一橋慶喜の苦悩
 第9話 農兵募集と人心掌握術
 第10話 幕末のニュービジネス開拓
 第11話 一橋家の家臣から将軍家の幕臣へ
 第12話 いざ、フランスへ

第2章 動乱の時代に最後の将軍に仕え出世街道を驀進 ヨーロッパで「近代」を知る
 第13話 上海での「ヨーロッパ体験」
 第14話 スエズ運河に「公益」を悟る
 第15話 フランスという名の大学――最新技術を目の当たりにする
 第16話 フランスという名の大学――ノブレス・オブリージュ
 第17話 パリで幕府瓦解を知る
 第18話 日本へ帰国の旅
 第19話 フランス帰りの「理財家」として
 第20話 商法会所の頭取として
 第21話 太政官の上京命令
 第22話 民部省兼大蔵省へ出仕

第3章 政治家から実業家へ 「日本資本主義の父」となる
 第23話 めざすは近代日本の建設
 第24話 花開く「士魂商才」――富岡製糸場の建設
 第25話 廃藩置県前後の日本経済
 第26話 国立銀行設立へ
 第27話 大蔵省VS司法省――井上馨と江藤新平の対立
 第28話 実業家への道――井上馨と連袂辞職
 第29話 第一国立銀行へ
 第30話 波に乗った銀行経営
 第31話 日本一の銀行家
 第32話 王子製紙と大阪紡績
 第33話 海運業風雲禄――岩崎弥太郎の独裁思想との戦い
 第34話 海運業風雲禄――むさぼらない男の知的な逆襲
 第35話 士魂商才から生まれた事業
  • 1