「戦略人事」とは、「戦略的人的資源管理(Strategic Human Resources Management)」の略語である。労務管理、給与計算などの管理やオペレーション業務だけでなく、自社の経営戦略の実現に向けて、人的マネジメントを行っていくことを意味する。経営目標や経営計画の達成と人的マネジメントを紐づけた人事施策のため、これまでの人事部の業務にはなかった視点として、近年関心を集めている。本記事では「戦略人事」の定義を始め実施する上でのポイントやメリット、企業事例などを紹介する。
「戦略人事」のメリットや企業事例とは? 経営戦略や経営計画の達成に向けて解説

経営目標や経営計画の達成を支える「戦略人事」とは?

「戦略人事」とは、端的にいうと、「経営戦略に深く関わり、その実現に寄与する人事」のことである。1990年代にアメリカの経済学者デイブ・ウルリッチ氏が提唱した考え方で、欧米の先進企業を中心に実践が進んでいる。日本での導入はまだ少ないのが現状だ。

従来の人事では、人事施策が自社の「経営目標」や「経営計画」の達成に直接紐づけられることはない。就業規則や制度に則った定型の管理・オペレーションを業務の中心とし、何かを“変える”ことより安定性や正確性が求められる傾向にある。これに対し、「戦略人事」では、人事部門が経営トップのパートナーとして、経営戦略に積極的に参画する。人材や組織を最大限に活用して、「経営目標」や「経営計画」の達成を遂行していくことになる。

現状維持の経営でも企業が生き残れた時代であれば従来の人事機能で事足りた。しかし、経営環境の急変や競争激化が顕著な今日にあっては、人事もヒトの側面から企業の変革を牽引していかなければならない。戦略人事が求められる背景がここにある。


経営戦略とどのような関係にあり、人事戦略とどのように違うのか

そもそも企業の経営システムにおいて、経営戦略と、その実現に資する「戦略人事」はどのように位置づけられるのか。また、戦略人事と似た言葉に「人事戦略」があるが、違いは何か。個々の定義や関係性をより明確にしておこう。

経営戦略との関係性

経営には「戦略・戦術・戦力・環境」の4つの要素が求められる。戦略・戦術がいくら優れていても、それらを遂行するだけの戦力(人材・人員)と、その戦力が存分に活躍できる環境(組織の体制や文化、職場環境など)が整っていなければ、経営戦略の実現は叶わない。この戦力と環境の整備を担うのが、「戦略人事」のあるべき姿である。

「戦略人事」を伴わない経営戦略は画餅にすぎず、戦略・戦術を理解しない人事は戦略人事として機能しない。ビジネスを成功させるためには、互いに不可分の関係にあるのだ。

人事戦略との違い

人事戦略とは、従来の人事の範囲でより成果を上げるためにはどうするか――たとえば優秀な人材を効率的に採用・育成するために長期インターンシップを採用したり、研修を外注に切り換えたりといった取り組みがあてはまる。

経営戦略まで踏み込んだ上で、人的マネジメントをどう行うか――たとえばDXによるイノベーションを目指すなら、高度なスキルを有するIT人材の獲得や社内横断的な専門部署の設置が必要というのが「戦略人事」である。経営戦略の実現に直接関わっているのだ。

「戦略人事」に必要な4つの機能

従来の人事は事業活動の後方支援に集中しがちで、人事部門も自らを組織の“裏方”と考える傾向が強かった。そうした従来型の人事部門から、戦略人事型の人事部門にシフトするためには、次の4つの機能が必要になる。

(1)HRBP(HRビジネスパートナー)

戦略人事には第一に経営トップや現場のリーダーのビジネスパートナーとして協働する機能が求められる。トップの考え方を深く理解するとともに、現場へも足を運び、事業の最前線で働く人々のニーズや実態を把握した上で最善の策を講じなければならない。

(2)CoE(センター・オブ・エクセレンス)

エクセレンスとは、卓越や優秀を意味する。採用や配置、評価制度などあらゆる人的マネジメントに関する卓越したスキルや専門知識、データ、各種ツールを共有する人事のプロフェッショナル集団でなければ、戦略人事の役割は果たせない。

(3)OD&TD(組織開発&人材開発)

経営戦略の実現のために解決しなければならない問題があるとき、OD(組織開発)は自社の組織が内包する問題を表面化させ、その原因を「人と人」や「チームとチーム」の関係性、相互作用に求めて改善する。一方、TD(人材開発)は、あくまで個人の知識やスキル、マインドに焦点をあてて解決を図る機能を指す。

(4)OPs(オペレーションズ)

戦略人事型の人事部門においても、給与計算や労務管理、異動の手続きなどといったオペレーション実務を、正確かつ効率的に処理することは必須の基本機能である。

「戦略人事」のメリットは、経営状況に応じた人材活用の実現

企業を取り巻く経営環境の変化はかつてないほど激しさを増している。それに適応して、自らを速やかに変革できなければ、事業の成功は望めない。しかし、ヒトに関する部分はそうすぐには変えられない。個人の能力の向上やマインドセットの改革には時間がかかり、組織文化の醸成や人員構成の最適化なども一朝一夕に実現しない。従来型の人事では、変化に適応するための戦略の遂行と人材マネジメントにタイムラグが生じ、経営のスビート感が失われやすかった。しかし、「戦略人事」にはそうしたリスクを減らせるメリットがある。戦略人事は、経営戦略と人材マネジメントが融合しているため、そのときの経営状況に応じた攻めの人材活用をタイムリーに実現できる。

経営陣や人事、従業員の側面から見た導入が難しい背景

「戦略人事」の導入には、メリットが大きい反面、難しさもある。現に、日本企業ではその重要性が広く注目されながら、実際の導入はそれほど進んでいない。その背景には、次の3つの問題がある。

(1)経営陣から見た難しさ

「戦略人事」は経営戦略に深くコミットするため、経営陣から明確で一貫性のある経営戦略が示されないと、人事担当者は動きようがない。また、人事部門から戦略人事の提言があっても、経営者にそれを受け入れる姿勢が乏しいケースも少なくない。

(2)人事から見た難しさ

逆に、人事担当者が「戦略人事」を理解していないと、明確な経営戦略があっても、それを施策に落とし込むことは難しくなる。従来型の人事から戦略人事という「攻めの人事」へ、人事担当者自身の意識変革もハードルになりやすい。

(3)従業員から見た難しさ

企業の組織運営を抜本的に変える「戦略人事」の導入は、各部署の役割や権限から社員一人ひとりのキャリアにまで影響を及ぼす。変化を嫌う現場の社員からいわゆる“抵抗勢力”が生まれかねない。年功序列や終身雇用といった旧来の経営慣行が残っている企業ほどそうした傾向が強く、人事の動きが阻害される。

【企業事例】実際に企業はどのような「戦略人事」を実施しているか

ここではオムロンや日清食品、日立製作所など、実際に企業が行う「戦略人事」の事例を紹介したい。

(1)オムロン

オムロンでは、海外の生産拠点が直面していた採用難や離職率の増大といった問題に対し、人事の主導で戦略的な施策を展開。工場内に高等教育を提供する「オムロンハイスクール」を設置し、現地の社会課題に貢献することで離職率の改善を実現した。

(2)日清食品

日清食品グループも戦略人事を推進する企業の一つ。2014年に最高人事責任者としてCHRO(チーフ・ヒューマンリソース・オフィサー)が着任したのを機に、企業が向かうべき方向性や企業戦略に沿った求められる人材の定義づけ、育成プログラムといった戦略人事についての課題が総合的に組み立てられるようになった。それによって、次世代グローバル経営人材を育成する企業内大学の創設などの成果につながった。

(3)日立製作所

ツールを活用して戦略人事のグローバル展開を加速させているのが日立製作所である。従来、同社の海外拠点では各国各社ごとに人事施策を講じていたが、世界中のリーダー人材を一元管理するデータベースの構築など、システムの力を使ってグローバルでの標準化・統一化を実現した。
「戦略人事」を遂行していくうえでは、企業の人事担当者は従来の人事の発想を捨て、経営の舵を取っていくというマインドの変革が必要になってくる。同時に、経営目標や経営計画を理解するために、経営層との密なコミュニケーションも求められる。まずこの二つをおさえることが、戦略人事をうまく進めていくための第一歩になるだろう。
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