「過労死ライン」の根拠とは?
この「80時間」や「100時間」という数字はどうやって決まったかというと、実は、月80時間は「1日6時間の睡眠時間」が確保できるように、100時間は「1日5時間の睡眠」が確保できるようにと算出した数字なのです。ただし、この時に算入している通勤時間は1日1時間強、つまり片道40分程度です。もっと長い通勤時間の人はざらにいます。ということは、残業月80時間では到底1日6時間の睡眠はとれません。では、「1日6時間の睡眠時間」とはどのようなものなのでしょうか。
風邪のウイルスを健康な被験者の鼻の中に塗るという実験があります。その結果、「睡眠時間が6時間以下の被験者」は、「7時間より長い被験者」に比べて、風邪にかかる危険が明らかに増えました。また、長時間労働はうつ状態に陥るリスクを増やしますが、/b>6時間の睡眠を確保できていた場合は長時間労働をしてもうつ状態になるリスクを増やさないという報告もあります。
このような研究結果から、6時間睡眠は最低限のレベルと言え、理想は7時間の睡眠時間を確保できるといいでしょう。
2019年には、より確実に睡眠時間が確保できるよう、終業から始業までの時間(勤務間インターバル)を9時間以上にするという努力義務が企業に課せられました。さらに言うと、2006年当時共働き世帯は53%でしたが、2023年は71%と増加しています。2人ともが正規労働者である場合、家事・育児に割く時間は、パートナー男性と比べて女性の方がはるかに多いこともわかっています。女性が睡眠時間を確保することは男性に比べて難しい面があると言えます。
長時間労働は「生産性の低下」と「ミスの誘発」につながる
適切な睡眠時間が確保できないことは、「本人の健康被害」だけなく「会社の生産性」にも悪影響を及ぼすことがわかっています。例えば「28時間寝ていないときのミスの多さは飲酒したとき並み」であるという研究があります。また、1日4~6時間睡眠を続けさせた実験では、日数がたつごとに作業効率は落ちていき、しかも恐ろしいことにそれを本人は自覚できないという研究もあります。
このように睡眠時間というのは「労働生産性の低下」や「ミスの多さ」にも関わる数字なのです。
ところで「自分はショートスリーパーだから大丈夫」と言う人がいます。ショートスリーパーというのは“1日6時間未満の睡眠でも平気で働き、しかも生産性の落ちない人”たちのことです。一説によるとレオナルド・ダ・ヴィンチは「3時間45分起きて働き15分眠る」のを続けていた、つまり1日90分睡眠だったという話です。しかし、これも実験がされており“普通の人には無理”だという結論になっています。
日本の睡眠学の権威である柳沢正史先生によると、真正のショートスリーパーはおそらく数百人に一人であり、遺伝子レベルで決まっているため、自分でショートスリーパーだと思っている人のほとんどはただの睡眠不足だそうです。
さて以上のことからも、長時間労働は、
1.ミスを誘発するので労災が起きやすくなる。
2.かえって労働生産性を下げる。
3.にもかかわらず、高い割増賃金を払っている。
というように、企業にとても大きな損失を負わせているということになります。
「睡眠が足りているかどうか」を判断するポイントとは?
体動などから睡眠時間を実測するスマホアプリがあります。しかし、これには大きな問題があります。それは、スマートフォンを枕元に置くと睡眠の量や質が下がることが知られていることです。枕元どころか寝室にあるだけでも睡眠に悪い影響を与えるという研究結果さえあります。また、技術的には企業が従業員の睡眠時間を測定することは可能ですが、健康のためには仕事とプライベートは分ける方がいいとされているため、はたして企業がプライベートな睡眠時間の管理をするのが適切なのだろうか、という問題があります。
筆者は産業医として面談する際、次の3つのポイントから睡眠不足であるかどうかを判断しています。まず「平日起きた時にすっきりしているかどうか」です。すっきりしているなら十分な睡眠が取れている可能性が高いです。次に「休日の起床時間」です。これが平日より2時間以上遅い場合は平日の睡眠時間が足りていない可能性があります。いわゆる「睡眠負債」を休日に返しているのです。3つ目は「居眠りをすることがあるかどうか」です。昼食後の血糖値が上がる時間帯を除いて、睡眠時間が足りていれば居眠りはしようと思ってもできません。
睡眠不足、そしてその主な原因である長時間労働は、労働者にも会社にも幸せをもたらしません。企業が生き残っていくためにも適切な労働時間管理が求められます。
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