人材を「資本」として捉え、その価値を最大限に引き出すことで、中長期的な企業価値向上につなげる考え方である「人的資本経営」が注目されています。しかし、人材の中でも「障がい者」は別枠として捉えられることも多いのが現状です。そこで、障がい者雇用を人的資本経営の中でどのように考えていくことができるのか、またその影響について解説していきます。
人的資本経営における障がい者雇用の重要性とは? 従業員エンゲージメントへの意外な影響も

人的資本経営とは?

人的資本経営とは経営戦略と連動させながら人材を企業の「資本」と捉え、その価値を最大限に引き出すことで、中長期的な企業価値向上へとつなげようとする経営の考え方です。人材を従来は「コスト」や「資源」と考えることもありましたが、人的資本経営では「資本」として捉え、投資の対象と見ていきます。

人材を資源と捉えるのか、資本として考えるのかで、どのような違いがあるのでしょうか。資源として捉えることはコストとして消費するものであり、できるだけコストをかけずに効率的に管理することを理想的と考えます。一方で資本と考えることは、人材に投資して利益や価値を生むものと捉えることであり、中長期的な経営的な視点から投資する対象と見て、企業価値につなげようとするものです。

人的資本経営は、「持続的な企業価値の向上と人的資本に関する研究会」の最終報告書として「人材版伊藤レポート」の中で示されており、持続的な企業価値の向上のために経営戦略と連動した人材戦略の指針を示すものとなっています。このレポートは、経済産業省のもとで伊藤邦雄氏を座長とするプロジェクトチームによって作成されました。「人材版伊藤レポート2.0」(2022)では、人的資本経営の実践に向けて深掘りした内容となっており「3つの視点・5つの共通要素」という枠組みに基づいた取り組みのポイントや具体的な企業事例や調査結果が公表されています。

このような背景には、人材不足や人材・働き方の多様化、ESG投資が浸透していることがあげられます。人材に関して見ていくと、日本では少子高齢化が進み、生産年齢人口が減少に転じています。労働力不足が懸念され、特定の業種だけでなく、どの企業にとっても人材の確保が課題になっていくことが予想されます。そのため、すでに入社祝い金を支給する企業ではその金額が上昇していること、2023年は人手不足倒産が過去最高であったことなどが報告されています。

このような状況の中で、外国人従業員や非正規雇用は増えています。働き方も多様化し、一つの企業でだけでなく、いくつかの企業で複業するスタイルも珍しくなくなりましたし、時短勤務やリモートワークなどが当たり前となりました。企業の人材構造が大きく変化し、人材・働き方が多様化しているため、従来のような人材管理で機能させることが難しくなってきています。そのため一人ひとりの能力やスキル、状況に対応した働き方で活躍の場を作り、それぞれの価値を出していく人的資本経営が求められています。

また、人的資本の情報開示が2023年3月決算以降から義務化されています。人的資本の情報開示とは、企業経営において自社の人材情報を社内外に公表することです。近年、ステークホルダーが企業を評価する項目として重要視しているのが、ESGつまり、Environment(環境)、Social(社会)、Governance(ガバナンス)への取り組みです。

人的資本はこのESGの「社会」と「ガバナンス」に含まれており、これらの点が企業の成長性を評価する判断ポイントとして注目されています。それはステークホルダーにとって人的資本情報は判断するための重要な項目となっているためです。なお欧米においては、すでに人的資本開示が義務化されており、グローバル社会の中で人的資本の情報開示が日本企業にとっても必要なものとなりつつあります。

人的資本経営の中で障がい者雇用と関係が深い項目

人的資本経営やダイバーシティでは、性別や国籍を差別しない人材活用が注目されていますが、障がい者雇用に関しては、このような取り組みの中に入れていない企業も多く見られます。しかし、人的資本と障がい者雇用という点から見ていくと、人的資本の情報開示で求められる項目の「ダイバーシティ」、「コンプライアンス・倫理」、「人材育成」の項目と関係が深いと言えます。

障がい者雇用を行うことは、「ダイバーシティ」つまり「多様性」として国籍や性別、年齢、経歴、障がいの有無などに関係なく多種多様な人材を受け入れることを実践していることになります。また、障がい者雇用は「障害者雇用促進法」で障害者法定雇用率が定められており、これらを遵守することは「コンプライアンス・倫理」という面でも役割も果たします。

「人材育成」という面では、障がい当事者の人材育成も大事ですが、障がい者と一緒に働く社員のマネジメントスキルの向上や多様性を受け入れ、視野を広げるという意味でも大きな影響があります。実際に障がい者雇用に取り組んでいる企業では、障がい者雇用の担当者となった社員がリーダー的な役割を果たす機会により成長できたと感じていました。

また、意外に思われるかもしれませんが「エンゲージメント」という点にも大いに関連があります。障がい者雇用の研修では、家族の中に障がい者がいる社員が参加していることもよくあり、「自社の障がい者雇用の取り組みをうれしく感じた」、「家族や子どもが社会に出て働けることへの希望が持てた」という感想を聞くことがあります。

会社の中で明らかにしてはいないものの、身近なところで障がい者と接する従業員は少なくありません。また直接の接点がなくても、社会に貢献している企業に所属していることに社会的意義や、製品やサービス提供以外の存在価値を感じる方たちもいます。このような「エンゲージメント」が高まることで、「企業の目標のために貢献しよう」というモチベーションや、業務への責任感の向上につながることがあるのです。

障がい者雇用を人的資本経営の中でどのように捉えると良いのか

人的資本を考えるときには、まず「障がい者」を人的資本の中の「人材」として位置づけることがとても大切です。外国人や女性、シニアは人材として含めているのに、なぜか障がい者だけは別枠で考えてしまう企業が多いのですが、ここを変えていかないと障がい者雇用は進みません。

ある企業では、障がい者雇用が進まず社内の中で障がい者に担ってもらう業務が見つからないと、障がい者代行ビジネスを活用していましたが、年々コストが上がっていくため、これを社内の業務に切り替えていくことを検討することになりました。そのときに合わせて行ったのが、経営方針に基づいた人的資本を見直し、ダイバーシティの方針を作成することです。ダイバーシティの中に障がい者も含めるとともに取り組み方の見直しを行い、雇用プロジェクトを立ち上げることになりました。

そのプロジェクトでは、様々な部門と連携を図り、本業に関係する業務での雇用を創出することになりました。さらにその取組が社内の中で広がると、他の部門でも「うちの部門でも、できそうな業務がある」という話が自然と出てくるようになりました。障がい者雇用を含めたダイバーシティ的な視点からのプロジェクトとして、他の部門にも関わってもらうことで、全社的な取り組みやさまざまな視点からの意見が反映されています。

結果的に、それまで障がい者を受け入れることは難しいと考えていた部門でも障がい者の人材を受け入れることができ、障がい者雇用を社内で推進するきっかけとなりました。また、全社的な経営戦略の中のダイバーシティの取り組みとして障がい者雇用の方針を周知することにつながっています。

障がい者代行ビジネスは、法定雇用率が大幅に未達で行政からの指導を受けている場合や企業名公表が迫っているようなときには、経営戦略的には一時的に活用する意義はあるかもしれません。しかし、継続的に活用することは、障がい者や一緒に働く社員の人材育成や将来的な投資にならず、コストが継続的にかかることになります。

障がい者雇用をどのように位置づけるのかは、企業の持続可能な成長に関係してきます。コンプライアンスなどの点からしなければならないものと捉えるのか、それとも人材の一つとして多様性や包摂性の取り組みの一環として新たな人材活用やイノベーションの起点と捉えるのかによって、将来的に大きな違いがでてくるでしょう。

変化が激しい時代には、これまでの成功体験にとらわれることなく、企業も個人も変化に柔軟に対応していく変革力が求められています。障がい者雇用を人的資本経営的な視点から捉え直すことは、企業の競争力、長期的な企業価値の向上に影響することになります。

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