前回の第7回では、2023年3月期決算以降の有価証券報告書に、人的資本項目の開示が義務化されることをお伝えしました。つまり、「開示できる項目や内容」を早急に精査、構築していかなければならないタイミングということです。社内外に積極的に発信したい“情報”を定める上で、どのような観点で考えたらよいのか、一例をご紹介します。

【人事が持つべき経営視点】第7回を読む▶「非財務情報の開示義務化」に向けて、人事が備えたい“3つ”のアウトプットスキル
人事部門が注力すべき「非財務情報」項目とは? ――「社員教育と離職率」を“投資家”はどう見るか

「非財務情報」の開示が求められるようになったワケ

ベンチャー企業に代表されるような社歴の若い企業が情報開示する際には、「社員教育」と「離職率」がキーワードになるのではないかと考えています。大企業とベンチャー企業を比較した場合、一般的に大企業のほうが社員教育制度は充実し、離職率も低い傾向です。それゆえ、ベンチャー企業がこの部分をどう見せていくか、良く見せられるような改善に取り組んでいるかがポイントになります。

私自身は、以前2000年前後から2010年頃には会社員としてIPO業務を担当していました。この時期は、IPOなどを取り巻く市場環境が大きく変わった時期でもありました。

2000年代のベンチャー企業は、まだまだ自力で売上を立て利益を出して資金を捻出していかなければいけない環境にありました。一日でも早く新入社員や中途採用社員を最前線の戦力にすべく、厳しい社員教育を徹底していたベンチャーも多かったと思います。

ところが2010年代に入ると、ベンチャーキャピタル(VC)やエンジェル投資家と呼ばれる方達が台頭してくるようになります。起業したばかりの売上実績もままならない会社でも、投資家へのプレゼンテーションが上手くいけば、“億単位”の資金が提供されることもあるような時代に変わったのです。提供された潤沢な資金を活用して、大企業に負けない体制を短期間で整備できるようになることは、大きなメリットと言えます。一方で、デメリットもあったと思います。それは、社員教育を行わなくなった会社が圧倒的に増えたということです。

「非財務情報」から企業の何がわかるのか?

壮大なビジョンを掲げている起業家の中には、内心は大企業が高く買い取ってくれることを最初から見越している人もいるのが今の時代です。そして実際にそれが実現し、「会社の売却益で残りの人生は南の島で暮らしながら今度は自分が投資する立場になって悠々自適に暮らす」ということも実際にできる時代です。

そのような人達にとっては、社員教育ほど「意味のないこと(=余計な出費)」はないわけです。ずっと自分がその会社に関わっていくのであれば、社員教育は売上や利益を上げるための「投資」になります、しかし、何年後かに売却して社員ともそれっきり、という短期的な関係なら、教育をする必要もないと考える人もいるでしょう。また、教育される側も迷惑だろうと発想する人もいるかもしれません。その場合には、人材に投資する行為は、時間とお金のムダと思うのは当たり前のことです。

そのような背景もあり近年、人的資本経営、つまり人材への投資の重要性とその情報開示が投資家から求められるようになってきたのだと思います。財務情報だけでは経営者の「本心」が読めないため、人材投資を本気で行っている経営者かどうかで、本当に中長期的に会社を発展させる気持ちが経営者にあるのかどうかを見定めたい、ということもあるのだと思います。

たとえば非財務情報において社員教育に関する情報が一切ない会社だと、「この会社は社員教育の必要がない優秀な社員で構成されている」という見方もできなくはないですが、一般的には「社員教育に力を入れていない」と見えます。そうすると、「経営者はどこかのタイミングで会社の売却を狙っている可能性がある」、「中長期的に会社を発展させようという気がない」という見方をする人も出てくるでしょう。

社員教育に関する投資や施策をどのように考え、それが実際の売上や利益計画のどのように連動していくか、まさに「経営戦略と人材戦略の連動」が求められる部分だと思います。

企業の現状を示す「離職率」という指標

もう一つは「離職率」の課題です。
大企業であれば、さまざまな手厚い福利厚生があり、また経営が傾いたとしても、「この大企業が潰れたら世の中が混乱してしまう」という世論も含めた周囲のさまざまなサポートもあり簡単には会社は潰れないので、「不安だから」という理由で早々に離職する人は少ないものです。

一方でそのような「後ろ盾」がないベンチャー企業の場合、社員の動きは異なります。経営不振までいかなくても、少しでも業績にネガティブ要因があると「会社の経営が不安だから」という理由で転職する社員も一定数出てきます。また、ベンチャーには「常に新しいこと」を求めているというタイプの社員も少なくありません。会社に不満はなくても会社が安定期に入り、「新しいチャレンジを会社がしなくなった」という理由で、他のベンチャーに移っていく人もいるでしょう。人材の流動性が高いベンチャー企業では、大企業よりも離職率が高くならざるを得ない背景が現実にはあると言えます。

社員の分母数が少ないベンチャー企業では、特に優秀な人材が辞める場合には、ダメージが大きくなります。離職率の高さがそのまま会社の評判や将来性のバロメーターに直結すると投資家に判断されてしまうこともあります。「離職率」を高止まりしないようにできるかは重要テーマです。また、会社が成長して安定経営に入るとベンチャーマインドが失われがちになりますが、そうならないように、常に収益の一部を新規事業開発に投資し、社員も積極的に新規事業に参画できる制度を設けるなど「ベンチャーらしさ」を保つ工夫も必要です。そういった社員を飽きさせない施策のほうが、手厚い福利厚生よりもリテンションに効果的に働く事があります。

反対に、“離職率が平均より低い”ベンチャー企業であれば、ベンチャーマインドを備えた優秀な人材が離職せずに残っていることの証明にもなります。その結果、将来的にも引き続き期待できる優良な企業、と投資家から評価され、中長期的な投資対象として見てもいいという判断がなされることでしょう。
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