ある日突然、会社を辞める社員。辞める社員に限って、直前まで辞めそうな雰囲気がないものです。だからこそ辞めてしまったときに、どうして辞めるのか、と原因を探りたくなります。しかし、辞める時にはもう決意を固めている、というケースが少なくないのではないでしょうか? では一体、離職を防ぐにはどうすればよいのでしょうか。今回は離職研究の視点から、離職を防ぐための方法について理論的に考察します。
離職に関する理論と研究:「辞めるときにはもう決意が固い」という現実。離職を防ぐには?【63】

自己都合による離職はなぜ起こってしまうのか?

私の経験上、たった1つの理由だけで会社を辞める人は多くないと感じます。もちろん、ハラスメント被害や長時間労働、健康上の理由で辞めざるを得ないという人もいます。しかし、こうした「特別な事情のみ」で辞める人は少数で、多くの方は複合的要因が重なって会社を辞めるのではないでしょうか。

厚生労働省の「平成30年雇用動向調査」(※)によれば、「自己都合」による離職者の離職理由として最も多かったのは、「労働条件(賃金以外)がよくなかったから」でした。そのあとに「満足のいく仕事内容でなかったから」、「賃金が低かったから」が続いています。

このことからも、給料が低いといった単純な理由よりも、人間関係や職場環境、仕事へのやりがいなどの「労働環境における複合的な要因」が離職を発生させていると推察されます。

このような離職理由の「謎」については、近年、日本でも研究者の間で取り上げられるようになってきています。2021年に発表された論文「離職に影響を与える要因分析」(川﨑・伊藤, 2021)では、オンライン調査のデータから、離職に影響を及ぼす要因を分析しています。

この論文によれば、勤続年数が短い段階では、「労働条件よりも自己成長できる環境かどうかが離職に関係する」ことが示唆されています。その一方で、長期的な就業意欲や組織貢献意欲には、「会社の業績能力」、「仕事のやりがい」、「福利厚生が充実」、「家族・友人に認められること」などが影響を及ぼすことが明らかにされています。

また、前回(62回)でご紹介した若年層の離職に関しては、以前から「リアリティ・ショック」に関する研究が行われてきました。リアリティ・ショックとは、入社前の期待やイメージに対して、入社後の現実とのギャップにショックを受けることです。リアリティ・ショックが発生すると、精神的・肉体的にもショック症状を発症することが、研究で指摘されています。特に「労働時間・休日の条件」や「仕事が自分に合わないこと」、「人間関係がよくなかったこと」は、リアリティ・ショックによる離職理由の大きな割合を占めることが示唆されています。

これらの研究結果からは、短期的には「リアリティ・ショック」が離職要因となり得るが、長期的には「個人によって様々な要因が離職に影響を及ぼす」ということが分かります。

日本で「離職研究」が進んでいない理由とその背景

離職に関しては、多くの研究が行われるようになってきましたが、日本ではまだ研究が不十分な状況と言えます。なぜなら、「離職」と一言でいっても様々な要因があるとともに、日本ではビジネス現場と研究との間に隔たりがあるためです。また、日本では終身雇用制の影響で、長年「会社は辞めないもの」という認識が定着しており、離職研究は盛んではありませんでした。

特に、「企業と研究との隔たり」は、日本の大きな課題です。海外では有名ビジネススクールが企業と一緒に共同研究を行う例がよくあります。企業は人事領域における共同研究の結果をもとに、従業員のモチベーション向上施策など、実際のアクションを検討することも一般的です。

しかし、日本ではまだまだ研究とビジネスとの間には隔たりがあります。最近でこそ、楽天などの大手企業が自社内でエンゲージメントやモチベーションに関する研究を行うようになりました。しかし、実際のところ企業側は、研究の世界とは無縁のように感じているのではないでしょうか。

この点は、大学や研究者側にも課題があります。心理学では主に大学で研究が行われているため、分野によっては学生を対象とした研究が中心で、ビジネスパーソンを対象とした研究は少ない状況にあります。離職に関しては、福祉系の大学で行われる研究も多く、「福祉系で比較的研究の協力が得られやすい看護師や保育士」を対象としたものが目立ちます。また、離職は学問的にも「経営学」と「心理学」の両方に関連する研究であるため、両方の学問から複合的にアプローチした研究が少ない状況といえるでしょう。

さらに、研究の世界では実験条件が異なれば結果も変わるため、業界や職場環境、個人的事情に左右される離職の問題は、一般化することがなかなか難しいテーマだといえます。ただし、日本でも様々な業界や職場で、より研究に協力的な企業が現れれば、今後は離職に関する研究もさらに進んでいくでしょう。

離職の「トリガー」とは何か? 離職を予測するという考え方

研究の世界だけでなく、企業の中でも離職に関する検証はあまり進んでいないのではないでしょうか。特に、従業員数の多い大手企業の場合、企業規模によっては年間に数百名が離職することも当たり前です。ですから、あまり疑念なく退職の手続きを行っているという人事担当者も多いのではないでしょうか。

また、多くの企業では退職時に、離職者に対して面談を行います。当然ながら面談で離職理由をヒアリングしますが、ほとんどの場合、ここで「本当の理由」を伝える離職者はいないでしょう。もっと言えば、離職者自身も複合的な理由で離職を決意するため、一言で離職理由を伝えるのが難しいという場合も多いと思います。

しかし、離職者は多くの場合、何らかの離職サインを事前に出しているはずです。多くの離職は、“離職者個人の価値観と職場の価値観との相違によって起こる”と仮定すれば、人間関係や報酬など価値観の「ズレ」が発生するイベントが離職のトリガーになり得ると考えられます。予め個人の価値観をヒアリングしておけば、この点が予想できるというケースもあるかもしれません。そのため、現場の上司や人事担当者は、なるべく社員や職場環境に対するデータを日頃から集めておくべきだと言えます。

こうした現場でのデータを集め、企業側が分析していくことで、ある程度の離職を予測すしたり、離職対策を講じたりすることができるようになります。

そして、このような取り組みは、離職の現場を持たない大学や研究者にはできない試みです。デジタル時代に突入し、データがとりやすくなったいま、企業で離職などの人事領域に関する研究を行えば、自社にとってもより高度な問題解決ができるようになり、社会にとって有意義な研究結果を提供できる可能性があります。

企業現場でも科学的な分析方法を取り入れて、離職対策を講じる試みをやっていくべきではないでしょうか。

参考文献
川﨑昌, & 伊藤利佳. (2021). 離職に影響を与える要因分析. 目白大学経営学研究= The journal of management Mejiro University, 19, 27-41.
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