エレンの成長から浮かび上がる「新人の可能性」と「危うさ」

エレンの成長は、ポテンシャルある人材を育成する難しさを痛感させます。ストーリーが進むと、エレンは徐々に自分自身の能力や才能に目覚めていきますが、最初は調査兵団の戦闘支援器具である立体機動装置でさえ、まともに扱うことができません。



どんなに才能がある人材でも、新人の段階でそれを見抜くことの難しさを感じさせるシーンです。特に日本企業では、新人時代に一律の教育が行われ、得手不得手に関係なく一定のスキルを習得することが求められます。基本的なビジネスマナーができなければ、どんなに才能があっても「こいつはダメだ」と烙印を押されてしまうのです。私が仕事で接してきた経営リーダーの方々も、新人時代の話を聞いてみると「失敗ばかりしていた」という方が少なくありません。ほとんどの方が、上司や先輩社員に怒られ、仕事もあまりできなかったということですが、後にリーダーとしての道を歩んでいます。

エレンも最初は活躍できなかったものの、内に秘めた巨人の能力が覚醒し、自らの能力が世界を変えうる可能性に気づきます。そして、裁判の場で「全部、自分に投資しろ」と叫ぶのです。





このシーンはまるで、入社したばかりの才能ある新人が、思わず調子にのってしまう様子を思い出させます。以前、仕事に慣れて優秀な成績を上げた新入社員が「私がいなくなれば、困るのはあなたたちですよね?」と、上司や先輩を突き上げている様子を目撃したことがあるのですが、その姿が脳裏に浮かびました。才能と技術があっても、人間性が伴わなければ意味がない。その必要性を、『進撃の巨人』は私たちに教えてくれます。

もし才能ある社員の人間性が欠如していれば、その能力を悪用してしまうこともあるでしょう。例えば、実際に起きたあるメーカーでのデータ流出事件は、優秀な社員の出来心で技術が盗まれたことから生まれています。



『進撃の巨人』は、才能がある人材を組織が扱う「可能性」と「危うさ」を気づかせてくれるのです。

私たちは、これからの優秀人材をうまく活かすことができ...

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