第5回 「健康経営」の第一歩は、産業医の選任と活用

企業にはびこる名ばかり産業医

健康経営は決して莫大なコストがかかるものでも、難しいものでもありません。事業規模に関わらず、投資≠キべき取り組みと言えます。とはいえ、大企業と中小企業で取り組めることも取り組むべきことも異なります。今回は、健康経営における大企業と中小企業の違いを見てみましょう。

※本稿は、鈴木友紀夫『企業にはびこる名ばかり産業医』(幻冬舎)の一部を抜粋・再編集したものです。
中小事業所には、大企業のしているような健康経営の取り組みは現実的ではないことが多いでしょう。費用をかけて大々的な健康増進キャンペーンを打つとか、健康支援ツールを開発する、社員食堂のメニューをヘルシーなものに変更する。そうしたことは「うちには関係がない」「とても無理」と思われるのももっともです。

けれども一方で、実は中小事業所ならでは強み≠烽ります。

それは、経営者と従業員の一体感・連帯感であり、組織が小さいがゆえに迅速な意思決定・方針転換ができるということです。

大企業では充実した産業保健を行っている反面、組織が大きいために情報管理も縦割りになりがちです。そのため産業保健活動だけが浮いてしまい、すべての社員の日常業務に健康経営の考え方が浸透するというところまでは、なかなか至りにくい傾向があります。

その点、中小企業では、経営陣と従業員との間で情報を共有しやすく、さらに「従業員の健康」という観点から、思い切って業務や組織の見直しに打って出ることもできます。従業員180人ほどの、ある工作機械メーカーのケースもそうでした。

そこはもともと、月の時間外労働が100時間を超える人がゴロゴロいるような、長時間の残業が常態化している事業所でした。定期健康診断の有所見率も高く、従業員のストレスも高いという、まさに健康を犠牲にして業績を追求する%ュき方が慣習になっていました。それは社長が技術畑出身で、「開発にはそもそも時間がかかるもの。いい製品を作るためには、どれだけ残業してもいい」という方針があったからです。

しかし、現状に危機感をもった人事が、社長に「今のような働き方は会社にとってプラスにならない」と粘り強く働きかけ、社長もついに長時間労働の是正を決断しました。

そこで嘱託産業医と人事が連携して、長時間労働の健康リスクについての講習や、管理職への研修などを実施。すると、残業をしない代わりに朝1時間早く出社し、集中して業務を行うといった朝型の働き方に変わり、1年もしないうちに長時間労働者はわずか数人にまで激減。従業員の心身の健康度も大きく回復したのです。

さらにいえば、従業員の労働時間は大幅に削減されましたが、事業所全体の業績はまったく変わらなかったそうです。以前よりも短時間で密度の濃い仕事が行われるようになり、生産性が向上したということでしょう。

ごく普通の中小企業がなぜこのような「働き方改革」ができたかといえば、それは人事の高い意識と経営者の決断、そして産業保健の専門家である産業医の知見があったからです。だから私は、これから健康経営を検討したいという中小企業の皆さんには「産業医の選任と活用が健康経営の第一歩」とお話ししています。

ただし、「ただ産業医を選任しただけ」では、残念ながら「名ばかり」になったり、望むような効果が得られなかったりします。(※本書第二章参照)

それでは、中小事業所が嘱託産業医の力を活かして、効果的な産業保健活動を行うには、一体どうすればいいのでしょうか。

健康経営というのは、ここ数年でよく見聞きするようになった言葉ですが、その内容はいってみれば当たり前のことです。従業員の心身の健康を守ることで、必要な人材を確保し、生産性・業績の向上につなげる。こうした取り組みについて、ほとんどの企業経営者や人事担当者は「やったほうがいい」と感じているはずです。

しかし「やるべき」と頭ではわかっていても、実際にはなかなか踏み出すことができない事業所が少なくありません。

それはなぜかと言えば、産業保健といっても、中小事業所では「組織のなかの誰が、何を、どのように進めていけばいいのか」という産業保健活動のノウハウ自体がないからです。

健康経営や産業保健活動を導入するときにいちばんの要になるのは、窓口となる人事労務担当者です。

しかし中小事業所では、産業保健だけに専門で取り組める人材というのはまずいません。人事として通常業務をたくさん抱えながら、どのような健康増進の取り組みを行っていくかを計画するだけでもたいへんな作業です。

さらに中小事業所で選任する嘱託産業医は、事業所での活動時間は月1回、数時間ほどというのが一般的です。その限られた時間で何をするのかが明確になっていないと、なかなか有効な活動にはつながりにくいものです。

また事業所の産業保健には従業員、上司、人事、産業医、主治医など多くの関係者が関わります。それぞれの役割分担や、健診データなど情報の管理・共有・活用のしかたなども個々に考えていかなければなりません。

というのも、産業保健の基本である「定期健康診断の実施と監督署への報告」一つをとっても、ある程度のルールは決まってはいるものの、各事業所で効果的に運用するには各事業所の事情に併せて運用方法を決めていかなければならないものです。

現状は個々の産業医や事業所まかせになっていて、どのような書式に記録をして何をどこに保管するか、健診結果の判定結果をどのように健康増進の活動につなげていくか、やりっぱなしにならないようにするにはどうすれば良いか、そういうこともすべて担当者らが一つひとつ検討し、決めていかなければならないのです。メンタルヘルス面談や休職・復職面談なども、もちろん同様です。そうした個々の具体的な作業がわからないと、新しい取り組みにはなかなか踏み出せないものです。

こうしたことから、時間もマンパワーも限られる中小事業所が産業保健を進めていくには、「産業保健活動を、個々の事業所の事業計画や組織マネージメントに落とし込む」支援が必要ではないか、と私たちは考えています。
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著者プロフィール

株式会社エムステージ 執行取締役 鈴木 友紀夫

1966年生まれ、福島県出身。東京理科大学にて応用微生物学を専攻。
医師の人材サービス大手に所属後、医師と医療機関をつなぐ人材マッチングサービス事業を行う株式会社エムステージの立ち上げに参画、取締役に就任。現在は同社産業保健事業部にて、企業の産業医選任・産業保健支援サービスや産業医になりたい医師向けのサポートを行う。労働者の健康を守るため、そして医師の新たな働き方を提案するために奔走している。
著書『企業にはびこる名ばかり産業医』(幻冬舎)
医療経営2級、健康経営アドバイザー(初級)

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