私は、「適職観」は、仕事に就いている中で醸成されていくものだと思っています。
「才能」とは、生まれた時から持っているものではなく、後天的に訓練によって得られる能力のことですから、大抵の人は一つの仕事に取り組んでいる間にそいれが適職になるはずなのです。
(ただし、稀に、全く向かない仕事に就く人はいます。が、企業であれば採用時にそこまで向かない人は採らないのが普通ですし、周りも止めるのでは・・・)

「こんな仕事をしたい」と色々、学生時代に考えることは無意味だとは言いません。
それなりに、大学のキャリア教育が果たす役割もあるとは思います。
ただ、意外とそこで考えられている「職」の種類は、わかりやすいものに偏っているのではないかと感じています。

たとえば、大抵の会社には営業担当者がいます。
おそらく、事務系の職種で最大多数を占めるのが営業職でしょう。
ところが、「13歳のハローワーク」(幻冬舎 村上龍 2003年)という本には、541種類の職業に関して記載がありますが、営業職のことは、わずか1ページにしか記載がありません。
しかも「何かを売るのが好き、という子どもはいない」と、最初から職として営業職は排除されているかのように書かれています。
最近の大学には、多種多様な学部、いろんな職種、業界に直結する
学部、学科(「不動産学部」、「観光学部」、「健康メディカル学部」等)が増えてきましたが、「営業学部」というものは聞いたことがありません。
学生の営業職に対する認知は、「13歳のハローワーク」程度でしかないと思われます。
他の職に関しても、表面的にしかわからないというのが現実でしょう。
また、大企業に入れば、1、2年単位で異動し、「職」種が変わることは当たり前ですし、そうでなくとも一生、同じ「職」に就いている企業人は少数ではないでしょうか。
「こんな仕事をしたい」ということがすぐに叶う人も、ましてやずっとそれを続けている人も少数でしかありません。
努力しても、希望が叶わないことの方が多いのです。
にもかかわらず、「職」に就く前に、あれこれ考えすぎると、自らの可能性の幅を狭めてしまうことになりかねません。
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