平田 オリザ著
講談社 777円

「コミュニケーション能力」という言葉を見るたびに違和感を抱いてきた。どういう意味で使われているのかよくわからないからだ。もちろん定義はある。厚労省は若年者就職基礎能力の筆頭にコミュニケーション能力をあげて詳しく解説しているし、経産省の社会人基礎力では、コミュニケーション能力を働きかけ力、発信力、傾聴力などの要素に還元して規定している。
わかりあえないことから──コミュニケーション能力とは何か
コミュニケーション教育も盛んだ。グループディスカッションやディベートに慣れさせたり、ロジカルシンキングを学ばせたりしている。コミュニケーション能力というより、コミュニケーションスキルを教えている。

 どれも職業人としては重要であることは認めるが、あまりに自明でピンと来ない。だが本書を読んでコミュニケーション能力についての違和感が氷解した。現代口語演劇というツールを使い包括的な視点で実践的に論じている。コミュニケーション教育に関わるキャリアセンターの職員、人事、ミドルマネジャーのすべてに読んでもらいたい良書である。名著と言ってもいい。


 経団連の経年調査によれば人事が新卒採用にあたり最も重視する能力は9年連続で「コミュニケーション能力」。2位以下に20ポイント以上の差をつけ、2012年は過去最高の82.6%だ。

 では企業が強く要求している「コミュニケーション能力」とは何だろう? 明確に説明している企業は少数だが、「グローバル・コミュニケーション・スキル」=「異文化理解能力」だろう。異なる文化と価値観を持つ人の意見もその背景(コンテキスト)を理解し、時間をかけ、説得・納得し、妥協点を見いだす能力。この能力があれば、グローバルな経済環境でも存分に力を発揮できるだろう。

 しかし、平田オリザ氏は「企業が求めるコミュニケーション能力は、完全にダブルバインド(二重拘束)の状態にある」と断じている。

 ダブルバインドとは2つの矛盾したコマンドが強制されている状態だ。「我が社は、社員の自主性を重んじる」としている企業で、上司に相談に行くと「そんなことも自分で判断できんのか! いちいち相談に来るな」と言われ、いったん事故が起こると「重要な案件は、なんでもきちんと上司に相談しろ。なんで相談しなかったんだ」と怒られるケースは典型的なダブルバインドである。


 「若者のコミュニケーション能力の低下」は多くの大人がセンセーショナルに言うので、もはや常識と言っていいほどだが、平田氏によれば間違いだ。「低下」を裏付ける学問的統計は存在しない。


 若者のリズム感・音感は中高年より発達しているし、ファッションセンスもいい。異文化コミュニケーションの経験値も高い。低下どころか上がっているというのが平田氏の見立てだ。

 ただし、問題が2つある。まず「コミュニケーション問題の顕在化」がある。若者のコミュニケーション能力の平均値が向上しているとしても、一定の割合で「口べた」な人がいると言うことだ。これらの人は旋盤工やオフセット印刷で「手に職をつける」ことで職人として生きた。ところが日本の製造業はじり貧で「口べた」の若者を受け入れる余裕がない。

 もう一つの問題は「コミュニケーション能力の多様化」だ。昔の日本は均一社会だったが、現在の子どもたちは育ち方がまちまちで、コミュニケーション経験が多様化している。祖母・祖父と一緒に暮らしているかどうか。近所に親戚がいるか。団地で育ったか。
 子どもの中には帰国子女もいるし、日本語を母語としない子どもさえいる。親と教員以外の大人と話したことがなかった学生もいれば、母親以外の年上の異性とほとんど話したことがない男子学生もいる。


 第2章以降はスキット(寸劇)を用いたコミュニケーション教育の実例が紹介されている。演劇というと台詞を覚え、「暑苦しい」「わざとらしい」というイメージを持つ人が多いと思うが、オリザ流は別物だ。「話さなくていい」し、「いなくてもいい」というのだから少し驚く。

 日本では演劇によるコミュニケーション教育は珍しく思えるが、言語教育の大きなツールとして認められている国は多いそうだ。日本だけが言語教育の後進国らしい。

 コミュニケーションには「会話」と「対話」、「対話」と「対論」がある。日本のコミュニケーションは会話の傾向が強く「わかりあう文化」の国だ。欧米は対話、対論の傾向が強く、他者と議論して「説明しあう文化」の国々だ。

 また国や地域によってコミュニケーション文化が異なっている事例が豊富に紹介されている。とても面白い内容だが紹介しきれない。本書を読んでもらいたい。


 最も驚いたのは第1章の最後に記されている教育の改革プランだ。初等教育段階の「国語」を完全に解体し、「表現」という科目と「ことば」という科目を分けようというのだ。

 「表現」科には演劇、音楽、図工、国語の作文やスピーチ、ダンスなどが含まれる。現在の科目の分け方は、10歳くらいまでの子どもにとってほとんど意味がないと平田氏は考えている。そうかもしれない。

 「ことば」科では文法や発音・発声をきちんと教える。日本は先進国の中で唯一、発音・発声を教えない国だそうだ。口の開き方や舌のポジションをしっかり教えることが話し言葉教育の基礎になる。そして初等教育の課程では、「ことば」科に英語や、地域の実情に応じて韓国語や中国語を入れていけばいい。

 素晴らしい提言だと思う。耳と口が柔らかい子どもの間に日本語と外国語の発音・発声を身につければ、その後の語学学習がスムースだろう。問題は指導者が少ないことだと思う。国語教師には無理だ。日本語の発声・発音を学んだ者は演劇部やアナウンス部などのクラブ活動経験者しかいないと思う。

 しかし改革をスタートすれば、20年後、30年後の効果は大きく、グローバルコミュニケーション人材が育ちそうだ。
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