人事と科学の関係:「人事」に関連する科学分野・研究にはどのようなものがあるのか【59】
人事の仕事には「経験と勘」に裏打ちされた実践が重要で、科学的な理論は関係ない。人事担当者の中には、そう考える方も少なくないでしょう。しかし、私たち人事部門の担当者が日常的に目にする業務内容の多くが「主に欧米で研究された理論に基づいている」のはご存知でしょうか。逆にいえば、私たちはもともとの概念を知らずに業務を行っていることも多いということになります。こうした理論の中には、大手企業の人事担当者同士の会話で出てくる「キーワード」も多くあります。そこで今回は人事担当者に最低限、知っておいてほしい理論について紹介します。

「マネジメントと科学」の関連性とは?

企業で働く私たちは日々、何らかのマネジメントをしています。マネジメントとは、一般的には「企業が目標を達成するために、経営資源を効率的に管理して活用する取り組み」と定義できます。人事の仕事をしていて「管理職のマネジメントに問題がある」、「マネジメント研修をやろう」といった言葉が出ることがありますが、そもそもマネジメントに関する認識自体が「人によって異なる/揃っていない」と感じる瞬間も多くあるのではないでしょうか。

それでは、まずマネジメントに関する基本的な知識をおさらいしてみましょう。

・科学的管理法

マネジメントはもともと100年ほど前にフレデリック・テイラーによって研究されていた「科学的管理法」に端を発します。テイラーは経営学の父とも呼ばれ、それまで管理されていなかった工業生産に「効率」という概念をもたらしました。科学的管理法が確立するまでは、労働者の日々の作業は経験と勘にゆだねられ、日々の生産量が安定しない状況でした。テイラーによってライン制、企画と実行の分離、職業訓練といった仕組みが生まれ、現代のマネジメントの基本ができたのです。こうした「ライン制」や「部署」という100年以上も前の考え方を、デジタル時代に生きる私たちが未だに採用しているのは驚きです。

・目標管理

目標管理(MBO)というと、多くの人事担当者は評価制度を連想します。しかし、もともとはドラッカーによって提唱されたマネジメント手法です。ドラッカーによってもたらされた大きな変革は、「従業員自らが目標を考えること」です。それまでは、管理者側が目標を決めることが当たり前でした。しかしドラッカーは従業員が自分で目標を考えることでモチベーションが高まり、組織の業績が向上することに目を向けました。目標管理は、日本では評価方法のイメージが強いですが、もともとはモチベーションを高めるマネジメント手法であることは意外と知られていないものです。

このように、ごくごく基本的な概念をおさらいしてみるだけでも、意外と知らなかったこともあるのではないでしょうか。

「組織と科学」を結びつけたアプローチとは?

近年では「ホラクラシー組織」や「ティール組織」などの新しい組織の概念が誕生しています。ついつい私たちは流行りにのり、新しい制度などを取り入れたいと思ってしまうのですが、その一方で組織の基本的な考え方は、新しい理論が誕生しても「変わらず普遍的なまま」です。組織に関する研究は、主に組織心理学や経営学で研究されてきました。

・ホーソン実験

組織について語るなら、ホーソン実験は外せない研究のひとつです。ホーソン実験は、1920年代から30年代にかけてアメリカで研究され、工場における生産性向上の要因を探る実験として行われました。ホーソン実験の最大の発見は、生産性は作業環境ではなく、人間関係によって左右されることが判明したことです。現代でも、フリーアドレス化やテレワークなど、つい作業環境にばかり目を向けてしまうことがある今日この頃ですが、組織で仕事をするうえで「人間関係が生産性に影響を及ぼすこと」は、実は100年ほど前の実験で判明しています。

・グループシンク(集団浅慮)

「空気を読んで行動する」、そんなことが組織で働くうえでは当たり前になっています。しかし「空気を読む」ことが行き過ぎてしまうと、場合によっては会社の業績に影響を及ぼすこともあります。集団浅慮は、客観的、合理的な判断ではなく、組織のルールや組織の中の思い込みで判断してしまうことです。

少し古い話ですが、第二次世界大戦でアメリカが真珠湾攻撃を日本軍に許してしまったのは、「日本軍はハワイには絶対攻めてこない」という組織的な慢心があったからだという研究があります。伝統的な大企業でも「我々は勝てる」という慢心から、凋落の一途を辿った企業がいくつもあります。集団思考を優先するゆえに、浅はかな考え方に同調してしまうのは人の特性ですが、組織の中でこうした兆候が見え始めた時は注意が必要です。

「組織論」は遥か昔から研究が重ねられてきました。こうした古典的な研究を知るだけでも、現代の人事施策に活かせることがあるとわかるのではないでしょうか。

勘違いされやすい「エンゲージメント」と「モチベーション」

最近の流行り言葉になっているエンゲージメントやモチベーションも、背景にある理論を知ることで、より一層、解像度高く問題を解決することができます。

・モチベーション

モチベーションに関する理論としては、アブラハム・ハロルド・マズローの5段階説が有名ですが、モチベーションはもともと「動機づけ理論という心理学の分野」で研究されてきました。特に重要なのが心理学者のフレデリック・ハーズバーグによって提唱された2要因理論です。大手企業の人事担当者同士の会話で、たまに「衛生要因」、「動機づけ要因」という言葉がでることがあります。この2つの言葉はまさに2要因理論のことです。

「衛生要因」は仕事に対して不満足を招く要因のことで、上司・同僚との人間関係や会社の方針、労働条件や給与などが含まれます。一方の「動機づけ要因」は、目標達成や褒めること、成長、仕事内容などです。2要因理論を理解すれば、社員のモチベーションを高めたい場合、単に給与を上げるだけではモチベーションは上がらず、仕事内容への満足度などの「動機づけ要因」を高めることが重要だというのがわかります。

・ワーク・エンゲージメント

最近よく言われている「エンゲージメント」は、科学的にはオランダのユトレヒト大学のウィルマー・B.シャウフェリ教授によって提唱された「ワーク・エンゲージメント理論」で定義されています。ワーク・エンゲージメントは、「仕事に誇りややりがいを感じている」(熱意)、「仕事に熱心に取り組んでいる」(没頭)、「仕事から活力を得ていきいきとしている」(活力)の3つが揃った状態です。もともとはバーンアウト(燃え尽き症候群)の研究から生まれました。

日本におけるワーク・エンゲージメント研究の第一人者である、慶應義塾大学の島津明人教授によれば、ワーク・エンゲージメントは「仕事に多くのエネルギーを注いでいて、楽しく働いている状態」だそうです。一方で楽しく働いていても、仕事にはあまり熱心に取り組んでいない、という状態は「職務満足感」として定義されています。「働きがい」や「仕事のやりがい」は、ワーク・エンゲージメントと職務満足感の両者を含む広い概念であり、必ずしも「エンゲージメント=やりがい」ではありません。「やりがい」の中でも、仕事に活動的に取り組んでいるのがワーク・エンゲージメントです。

ちなみに、たまに「エンゲージメント」という言葉が、人事の現場で「組織への所属意欲」という文脈で使われている場合があります。しかし、これは正しくはありません。科学的には「組織コミットメント」という理論があり、所属意欲は「組織コミットメント」で説明されています。こうした概念を考えてみると、「エンゲージメント」という言葉を使う際、どのような定義で相手と会話したいのかをよく考えるべきだというのがわかるでしょう。

いかがでしたでしょうか。意外と勘違いしていたこともあったのではないでしょうか。ほんの少し科学的な理論を知るだけで、今まで考えてきた施策がより裏付けを備えた効果的なものになります。

といっても難しく考える必要はなく、科学的に証明された基本的なことを覚えるだけでOKです。理論武装をするのではなく、例えば「従業員のモチベーション低下による離職増加」など、実際の問題に対して対処するために、こうした科学的な考え方をまず活用してみてはどうでしょうか。
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